202409050938
日記なので、やったことを書きます。長い。
水曜は休みでしたが、午前中から病院行ったら疲れた。俺は足の裏が痛む足底筋膜炎というやつと、あとは右の太ももの表面がピリピリと痛むんですが、これが椎間板ヘルニアに由来するものである疑いがある。うちの奥さまのほうは女性に多いという股関節がどうのこうので痛いとはいうやつ。というわけで、夫婦そろって整形外科医に行ってきました。近所にもあるんですけど、地域で評判のいい内科とか整形外科とか兼ねてる病院あるあるで、とにかく気が狂ったように混雑している。それでちょっと離れた場所にある病院に行こうか、という話になったんですね。
出かけるにあたっては、昨日、パンクを修理しようとして挫折した自転車も車に積み込むことにしました。素人がダメならプロに頼む。ほんとは自転車を購入したプロショップに持っていきたいところだったんですが、運の悪いことに水曜だけ休業なので、ホームセンターに持ち込むことにしました。
というわけでまず一軒目のホームセンター。
パンク修理だけでもよろこんで精神でやってくれるらしいという話だったので相談したところ、案の定というかなんというか、パンク修理では済まない、できればチューブごと交換したほうがいいとのこと。パンクしたときに、なんかこう、晴天の空に突き抜けてよーいどんのピストルが軽やかに鳴り響くような、それゴムがさせていい音じゃねーだろみたいなすげえ音したんすよ。破裂したな、みたいな。
ところがチューブ交換となるとなかなかに厄介で、俺の自転車はグラベルで650Bというそんなに普及してるわけじゃないホイールのサイズです。ゆえにホームセンターでは置いてない。やたら距離感の近い兄ちゃんが自転車を見てくれたんですけど「オレ4年前までイオンにいたんすよ。そのころのイオンにはこのチューブあったと思ったんだけど、どうだったかなあ……」と、ほとんどこのままのセリフを言いました。
結局修理は不可能ということでお代はなし。諦めて次はサイクルベースなんちゃらに持っていくか、ということになりました。まあ車なら行ける範囲です。
しかし位置関係的に先に病院のほうをかたづけてしまいたい。というわけで、整形外科医に向かいました。
場所じたいはよく知ってたんですが、ごく最近にできたらしく、古いビルの一階部分をリノベしてそこだけピカピカになってるよくわかんない感じの建物でした。なんかここ昔ゲームの中古屋とかなかったっけ?
中に入るとこれもおしゃれげな清潔空間で、システムは最新式らしく、会計はセルフでやるようになってました。問診票を書いて待つことしばらく。具体的には2時間。結局どこに行っても待たされる……。読みかけの相当におもしろかったはずの婚約破棄から始まるウェブ小説が、理解のある彼くんに愛されまくるだけのまったく起伏のない展開になっていいかげんいらいらしはじめたところでようやくお呼びの声がかかり診察開始です。技術方面についてかなり詳しいから期待してたのにまさか理解のある彼くんがおのれの欲望を我慢して7歳下の地味めでさえない感じだけど実は隠れ美少女で、愛されが始まった瞬間おっぱいまで大きくなるっていう乙女ゲーでそこそこ見た展開になると思わないじゃん。書いてるだけでイライラしてきた。
レントゲンをさんざん撮って、これそろそろ被ばく量だいじょぶなのかな?と思いはじめたころようやく終わり、診察でまたかなり待たされて、結果としてはやはり椎間板ヘルニアの初期症状が出てるということでした。まあ若いころには相当に腰痛で苦しんで、それはなぜか四十代なかばできれいさっぱり消えたんですけど、あれどこに行ったのかなと思ったら、椎間板ヘルニアの妖精ちゃんが、肉体が弱ったタイミングで「きちゃった♡」したわけですね。おまえ嫌われものだから気をつけたほうがいいよ。
とはいえ、この状態でできることはなにもなく、阿吽の呼吸で「湿布はできるだけたくさん出しておきましょうか?」「ぜひお願いします」ということで、大量の湿布と、あとは塗るロキソニン系のやつももらった。
「チューブのやつ、かぶれが少ない感じがあってけっこう使うんですけど、どれくらい出せますか?」
「いやぁ、5本くらいはふつうに出せますよ」
「じゃあそれでお願いします」
「よしきた」
よしきたなんて表現ひさしぶりに聞いたなと思いつつ、病院を終えて薬局に行ったら、塗り薬、箱に入って出てきた。その数10本。1ロットかよ。外箱見たこともねえぞこれ。永久に使い終わる気がしない。
うちの奥さまのほうは明確な股関節なんとかの兆候はレントゲンでは見てとれなかったそうで、ほっとしていました。あの人、ちょっとフィジカルエリート的なことあって、いくら年齢差が数歳俺のほうが上だとはいえ、総合的な肉体性能が男性の俺より上なんですよね。たぶん100メートル走とかぜんぶ含めて数値的に向こうが上。やったわけじゃないけど。それだけにトレーニングで負荷をかけすぎてしまうことがあって、それゆえ自分の肉体の状態は正確に把握しておきたいらしいんですね。
そんなこんなで病院も薬をもらうのも終わったんですけど、もう疲れた。そしてめちゃくちゃ腹減った。昨日チャーハンを食いたいというこの身を苛む熾烈な欲望があったにもかかわらずついうっかり回転寿司食っちゃったので今日はチャーハンがいい。しかしうちの奥さまが町中華的なところ苦手なんですね。ならまあバーミヤンでも行こうかな。5年くらい行ってない気がするし。以前SNSでバーミヤンの台湾唐揚げをバカ盛りで乗せたマーボーチャーハンっていう限界食事を見かけたことがあって、それでバーミヤンを思い出したというのもあります。
バーミヤンはすかいらーく系列ですんで、とうぜんあの配膳ロボットがいます。チェーンが違うとセリフも違うのかなと思ってたら「いまから行ってくるニャ!」というおなじみのセリフが聞こえてきて、なーんだなんも変わらねえのか、と思ったらすぐ近くで別のヤツがニーハオ言った。
「ニーハオって言ったぞいま!」
興奮気味に俺が言うと、
「言うだろ。バーミヤンだからな」
と、スマホゲーやりつつうちの奥さまがどうでもいい感じで答えました。
「どこで覚えたんだ」
「研修センターだろ」
「センター! センターで研修! 効率悪い! 機械だいなし!」
「出来の悪いやつは充電切られるからな。ヤツらも必死だ。最悪は人格の再インストールだし」
「え、あれって人格だったの?」
「だんだんディスプレーの表情がなくなってきて、ザザ、ザザザッと画像が乱れる。マシン語みたいなのが入り乱れるようになって、かすれた声で、き、きえたくない、にゃ……と聞こえてくるんだ」
「かわいそう! ちょっとおもしろい!」
「おもしろくねえよおまえどういう感性してんだよ」
などとクソみたいな話をしつつ、うちの奥さまはゲームを、俺はさっき読みかけてたウェブ小説の続きを読んでたんですけど、わりとさっきついにセックスした。理解のある彼くんのやさしいセックスですぞ!!! 俺うるせえなちょっと。やさしい彼くんに真性包茎になる呪いをかけておいた。愛さえあれば別に包茎でもいいんだろヒロインは。おじちゃんなんかいやなことでもあったの?
結局、バーミヤンならではのセリフは「ニーハオ」と「ツァイチェン」くらいだった。食ったものは、俺が肉増量の回鍋肉定食で、うちの奥さまは醤油ラーメンと半チャーハンのセットでした。からあげも3個ついてた気がする。よく食うな。
そのあとはフランスパンを買いに行って帰宅。そのままぶっ倒れるようにして寝た。
というところまでが、生活時間軸のずれている俺の昨日のできごとでした。
今日については、深夜に起きて職場で休日失禁を2時間ばかりこなして、そのあと特に予定もないのでバイクでふらふらとでかけることにしました。ひでえミスタイプだなおい。
バイクはいわゆる原付二種というやつで、そのなかでかなりお安いやつです。価格だけで選んだのかというとそうではなく、もともと俺は筋金入りの50ccの原付バイク愛用者なのです。原付一種でいちばん不便なのは警察官が捕まえに来ることなので、数年前に一発試験でオートマ限定ではありますが原付二種とったんですよね。動画を死ぬほど見てコースを決死の思いで暗記して初試験で合格しました。いざバイク買うぜとなったときに、俺の眼の前には、トリシティなんてイロモノから売れ筋のPCXはじめいろいろな選択肢があったんですが、やっぱりあの50ccの車体の小ささがいい。そういうわけで、当時の価格では20万ちょっとの最安値の小さいやつを選んだのです。車重は100キロジャストくらい。クラス最軽量のバイクのひとつだと思います。
3時間くらい走って、帰りがけに早朝から営業してるおいしいパン屋を2軒ばかりハシゴしてさっき帰宅しました。フランスパン、好きなんですよね。かなり食い歩いてる。鎌倉の朝7時からやってるパン屋さんのフランスパン、ちょっと驚くくらいおいしいので機会がある方は試してみてください。
ところでみなさん「エモい」という日本語は使用されますか。というようなことをバイクを運転しながら考えていました。
俺はSNSとかではわりと平然と使いますが、小説だとちょっとなあ、という感じです。ちょっとなあと思う理由は、語義があまり定まってなくて地の文に使うには危うい感じがあるからです。あとあまり時代性が強すぎる単語を使うと、数年後に読んだときうわぁぁ……みたいな状態になりがち。
俺は新語や新しい言い回しはわりと平気で自分の文章に取り入れるほうです。ちょっと上で書いた「限界」もそうですし、最近は「横転した」という表現をわりと見かけます。エモいもそのひとつだとは思うんですが、ただこれはちょっと性質がほかの単語とは違うと思う。
この言葉で表現される感情じたいは大昔からたぶんあったんだと思います。自分の経験でいうと、十代のころ時刻表片手に全国を回っていたときに、いいかげん長崎あたりで疲れきってもう帰りたいなあと思ってた午後5時くらいのとき。足を引きずるようにして電車通りを歩いていたら、電停に女子高生らしきシルエットがぽつんと佇んでいるのが見えた。しかしどんな容姿なのかは逆光でよく見えない。手にはなにか本を持っているらしい。
そのとき、ふと風が吹いた。女子高生らしき人物は、持っている本のページが煽られたのか、あわてて空いてるほうの手で本を押さえ、それから、特に脈絡はないんだろうけど空を見上げた。
というのを目撃していて、俺は、現在なら「エモい」としか表現しようのない感覚を覚えたものです。
もともと俺はネット上の文章書きとしてはエロゲ界隈を出自としておりまして、それも「葉鍵」なんて言葉が幅を利かせていた時代ですよね。えいえんはそこにあるわけですよ。のちに「感傷マゾ」なんて言葉も出てきますけども、現在の「エモい」につながる感情の系譜として、文章で表現されたのはあのへんがわりと早いほうだと思うんです。
いったいに、新しい言葉が野火のごとく広がるときには「その言葉でしか表現できない」なにかがあるからだと思う。古いところでは「萌え」なんて言葉もそうですよね。二次元のキャラクターに対して恋愛感情に近いものを覚える。これは、それ以前には(個人の問題としてはともかく)ほぼ存在しなかった。なぜ断言できるかというと、それ以前にはそんな女々しいことをするやつは男性じゃなかったからです。つまり異常者として社会的に抹殺された。だからそれらの人々が一定数になったとき、その現象を表現するために新しい言語を開発する必要があったんだと思います。
俺は「エモい」というのも、これと似ていて、この言葉でないと表現できないなにかがあるんだと思う。それがなんであるかは、ちょっと探しただけでも論文がいくつか引っかかるレベルになってるので、素人の俺は詳述する必要ないです。
ただなんだろ、この言葉は「孤独」と「共感」が密接に絡んでるような、そんな予感があります。
俺はおっさんなわけですが、界隈はわりと「概念の夏」みたいなものに殺されやすい、いってみればブルーライト文芸みたいな感性を持った人がわりと多い。世代的に新海なんちゃらさんには愛憎なかばする複雑な感情を持っている人たちでもあるんですが、ま、そういう人たちなので、深夜生活者の俺が出かけたときになにげなくアップする写真なんかはわりと喜んでくれる人が多い。
今日もでかけたついでに写真でも撮ろうかな、と思ってたんですが、俺は、つい最近にSNSそろそろやめるかなーと思ってたところで、写真をアップする場所がありません。なら別にいいか、となった。バイクや自転車乗ってる人はわかると思うんですけど、わざわざ止めて撮影すんのだるいんですよね。
「いや待てよ」
俺は頭のなかで声に出すくらいの勢いで、ふと疑問に思いました。じゃあいままで俺はなんのために写真を撮っていたのか。そもそも俺にとって出かけた先で写真を撮影するというのは本来的な行動だったのか。
俺の十代はフィルムカメラの時代ですから、とうぜんそんな気軽に写真を撮る文化なんぞ存在しません。使い捨てフィルムカメラだってあったかどうか。
ポケベルを経てガラケーの時代、そのいずれでも俺には写真を撮る習慣は身につかなかった。なんなら自分が写真に映るのは大嫌いです。死んだときに周囲が苦労するやつ。
ということは、俺にとって「出先で写真を撮る」というのは、SNSの時代になって後天的に身についた習性だったわけです。そのことに俺は驚いた。深夜にふらふらと出かけるなんていう、自分自身以外にとってどういう意味もない行動でも、SNSが前提になってる。SNSなんていうとアレげな感じになるんですけど、わかりやすく言うと「他人」ですよね。自分がこういう行動してる、と示す相手がいて初めて行動が始まってる。もともとはそうじゃなかった。そもそも俺に友だちなんていなかった。行動するときは常に一人だったし、一人で行動してる自分を伝える相手すらいなかった。俺はそういう場所から始まったはずで、その孤独が俺に文章を書かせたはずだ。あとキーボード叩くことじたいがすごく好きだったからタイピングソフトめちゃくちゃやってた気がする。孤独とかのレベルじゃない。もっとアホっぽい。
じゃあいまは?
そう考えたときに、俺は、俺自身のためだけに、たった一人で行動する、という機会と時間がほぼ存在しないことにようやく気づきました。まあ働いてるおっさんだいたいそんなもんすけどね。それでこれくらいの年齢になってそういうことに気づく、というのもひとつのパターンだとは思う。
以前に読んだワナビ本で「書くことを始める前に、まずはたった一人で、ほんとうに孤独な時間を30分くらい持ちなさい」と書いてあるのがあって、なるほどと思ったんですよね。この文章をだれが読んでるかは知りませんが、それらの人々は、ふつうのブログやSNS経由であるよりもはるかに高率で小説を書いた経験があるでしょう。じゃあなにがおまえに小説を書かせたのだ、と問うたら、言葉になるかどうかは別として、そのタネは孤独の時間に発生してるものだと思うんです。別に絶対的な孤独でなくても、群衆のなかの孤独であってもです。
そういう意味で、ほんとうに自分がひとりだった時間はいつから持ててなかったのだろう。
エモいという言葉について考えたのは、まあそういう理由です。海が、山が、景色の見えかたがふだんとは違う。なぜか。そう考えたときに、俺にはこれを共有する相手がいないからだ、と気づいたのです。俺はおっさんで多くをすでに持っている。知識だってそう。経験だってそう。俺の世界はすでに既知で塗りつぶされていて、そこに孤独と恐怖の影は近寄りがたくなっている。それがなく、徒手空拳でこの世界を生きていたとき、世界はどう見えた。もっと恐ろしいものではなかったか。あるいは、未知であるがゆえに、より美しく、その美しさを共有する相手すらいない、という孤独が自分に文章を書かせたのではなかったか――。
そこで「エモい」という言葉を思い出したのは、この言葉の背後には若さゆえの孤独と、そして「前提として」のインターネットがあるのではないかと思ったんですよね。十代のころにネット環境がどこにも存在しなかった俺ですら、その後の四半世紀でネットのある世界、共有がリアルタイムである世界があたりまえになってしまった。そのことに俺は驚いたんだと思います。
さて、現在の俺は「持っている」。金だって、まあ老後に毎日焼肉パーティーやってA5和牛ばっか食うような贅沢さえしなきゃ目算はある。あのころあれだけほしかった125ccのスクーターだって持ってる。いま俺の目の前にはディスプレーが2枚あって、REALFORCEのキーボードもあって、どんなエロゲのOPでもちゃんと動くスペックのパソコンがある。俺は「あのころ」にやりたかったことがなんでもできる。時間と体力はなくなったけどさ。
さて、あとはどうする。
と、それっぽく締めたところで、放課後手つなぎ下校とか放課後マックとかを取り戻すことは永久にできないので、この恨みを抱えてなんとか生きていこうと思います。