6.誤解と永遠の幸福
ノアと入れ替わりにやってきたメイドたちは、少し変わっていた。
みんな頭にツノがあったり尻尾が生えていたりと、体の一部が普通の人間と違う。
少し怖くなったシャロンだったが、メイドたちはみんな優しくて親切で仕事も真面目にしている。伯爵邸の意地悪なメイドたちと比べると、姿が違うことに何の意味もないように思えた。
そうして大人しくメイドに身支度を整えられていたシャロンは、別人のように美しく生まれ変わった。
フリルとリボンがあしらわれたオレンジ色のドレスは、上品さを出しつつもシャロン自身の愛らしさも引き出していた。
軽く化粧をほどこし、少しヒールのあるかわいいパンプスを履く。
こんなにかわいいドレスを着て化粧をしたのは人生で初めてなので、シャロンは思わず感動してメイドたちに何度も感謝の言葉をかけた。
全て終わると庭園に案内された。
真冬のはずなのに、外は春のように心地よい温かな風が吹いていた。
様々な花が咲き乱れた庭園を奥に進むと、青い薔薇の庭園とその中心に白い石造りのガゼボがあった。
そしてテーブルに優雅に足を組んで座っているノアの姿を見つけた。
ベッドの中で見たノアも美しかったが、黒い衣装に身をつつみ、髪をゆるくひとつにまとめた彼は上品さが際立ちなお美しかった。
彼の周囲だけきらきらと星が瞬いているように思える。
「綺麗だね、シャロン」
甘く優しい彼の言葉に思わず頬が熱くなる。
テーブルにつくと、ノアとの朝食を楽しんだ。初めて食べる食べ物に目を輝かせるシャロンに、ノアは微笑ましそうに笑みを浮かべていた。
そうして他愛もない会話を楽しむ。
ここに来るまでに見つけた花は何の花なのか、スコーンに入っている果物が美味しいだとか。大した話をしていないのに、ノアはとても楽しそうにシャロンの話に相槌を打ってくれるのでシャロンも夢中になって色々と話してしまった。
「シャロンは僕について何も聞かないんだね」
けれど、ふいに発したノアの一言にシャロンは固まってしまう。
さっきまで穏やかな空気が流れていた庭園が一気に凍り付いてしまったようだった。
「あいつらを殺した力についてや、この城がなんなのか。そして異形の城の住人はなぜ僕に従っているのか? 当然疑問に思っているんでしょう?」
ひやりと背中に冷や汗が伝う。
本音を言うと、疑問は溢れるほどある。けれど本当のノアを知ってしまったら、捨てられるような気がしていた。
伯爵家の後ろ盾がなくなった今、シャロンはただの世間知らずなだけの小娘だ。そんなシャロンがいつまでノアと一緒にいられるのだろうか。全てを知ってしまったら、その現実を知ることになるような気がして恐ろしくてたまらなかった。
「僕のこと、怖い?」
ノアの瞳から急に温度が消え失せる。
氷のように冷え冷えとした瞳に射すくめられ、何か言わないといけないとわかっていても何も言えずに口をぱくぱくとするしかできなかった。
そのうちノアはつまらなさそうに小さく溜息を吐くと、立ち上がった。
「無理はしなくていいよ。あんな酷い光景を見たら、誰だって怖いと思うから。安心して。もう二度と君の前に姿を見せないから」
言葉を探している内にノアに突き放され、シャロンはパニックに陥る。
もう二度と姿を見せないといった。それはもう二度とノアに会えないということ。そんなの嫌だった。
けれど何か言わないといけないと思っている内にノアは行ってしまおうとする。
(やだ! 行かないで! ノアがいなくなったら私、生きてけない!)
シャロンは思わずノアの服を掴んでいた。
せっかくの綺麗な衣装が皺になると怒られるだろうか。そうだとしても、彼を失うよりも罰を受けて痛い思いをする方が何倍もマシだと思えた。
「シャロン、何で泣いてるの?」
ノアに言われて初めて自分が涙を流していることに気がついた。
拭っても拭っても涙が次から次へと溢れてくる。
「腫れるから強く擦っちゃダメだよ。ほら、僕が拭いてあげる」
柔らかなハンカチでノアが流れる涙をそっと拭ってくれる。その優しい手つきに胸が熱くなり、さらに涙が溢れて止まらなくなる。
「ひぅっ、ノア、私を捨てないで。私、ノアがいないと、ダメなの……!」
やっとの思いで言葉を吐き出す。
こんなことを言われたら気持ち悪いと思われるだろうか。鬱陶しいと拒絶されるかもしれない。
それでも今何か言わないと彼が自分の前からいなくなると思ったら、言わずにはいられなかった。
「ごめん、シャロンを泣かせるつもりはなかったんだ。ただ君の口から僕のことを嫌いだと言われるのが怖くて。本当にごめん。あんなこと二度と言わないから」
拒絶の言葉が返ってくると思っていた。
けれどノアは眉根を下げて、怯える小さな子供のように本音を吐露した。
「本当に?」
「うん、本当だよ」
高価なはずの衣装が汚れるのも構わず、ノアはシャロンを抱きしめてくれた。
そんな優しいノアが好きだった。優しいからつい甘えてしまう。
本当は迷惑をかけないようにこのまま姿を消した方がいいのかもしれない。けれどノアと二度と会えないと想像するだけでどうしようもなく胸が苦しくておかしくなってしまう。
体を引き裂く痛みは我慢できる。けれどこの心を引き裂くような痛みだけはどうしようもなかった。
しばらくしてシャロンは落ち着きを取り戻すと、改めて席について自分の気持ちをゆっくりとノアに伝えた。
「ノアが普通の人じゃないっていうのはなんとなく昔から気づいていたの。あの人たちを殺した力を見た時も、ああ、ノアならこういうこともできるんだろうなってすぐに納得できた。あなたが例えどんな人でも、一緒にいたいって思っている。でも今の私は身寄りのないただの娘で、あなたにはきっと釣り合わない。本当のあなたを知ったら、もうこうやって一緒に食事をしたりお話できたりすることができないと思って。だから、あなたのことを聞くのが怖かったの」
「そういうことだったんだ。はあ―――、本当によかった」
シャロンの言葉を聞いて、長い溜息をついた後に頼りない笑みを浮かべた。いつも穏やかで落ち着いている印象の彼には珍しい姿に、シャロンは目を丸くする。
「僕も怖かったんだ。あいつらを殺したのは君のためというのもあったけれど、僕自身の復讐でもあったんだ。人を殺すような醜い姿を見られたら、純粋で優しい君はきっと僕を嫌悪する。だから眠らせて全てが終わったあとに城に連れてこようと思った。けれど思いのほか君は魔力に抵抗があったようで、想定よりも早く目を覚まして見つかってしまった。それに血で興奮して、少し理性も失っていたし。あのときの僕、正直怖かったでしょ?」
シャロンは思い出してみる。
血に濡れたノアの目は爛々としていて、一種の狂気を感じていた。少し怖いと思ったけれど、それよりも。
「綺麗だった……」
そう、綺麗だった。
白皙の肌に濡れた血が生えて、ノアの美しさをより一層引き立てていた。
ノアはなぜか口元に手を当てて頬を赤らめていた。
そんな彼の様子が可愛くて、思わず吹き出してしまう。
シャロンとノアは言葉でお互いの気持ちを伝え、わだかまりをといていった。
ノアは魔物の国の王だという。
魔王は死ぬと、その魂が別のものに引き継がれる。ノアは魔王の魂を受け継いで生まれてきた。
前世の記憶を思い出したのは去年のこと。すぐに魔王城に帰らなかったのは、シャロンを1人にすることができなかったからだという。
伯爵家の人間をすぐに殺さなかったのは、人を殺したらシャロンに嫌われるのではないかと怖かったから。
けれどシャロンの苦しむ姿を見るのが耐えられなくなり、嫌われてもいいから城に連れていく決意をしたのだとか。
「私のために、ごめんなさい。あなたはもっと早く自由になれたはずなのに」
「シャロンがいない世界に生きていても、僕にとってなんの意味もないんだ。シャロン、僕が魔王でも嫌いになったりしない?」
「嫌いになるはずないわ。ノアはノアだもの。あなたも、私とまたこうやってお話してくれる?」
「当たり前だよ。というか君が僕を受け入れてくれるのならそのつもりだったんだ。ううん、話すだけじゃなく、これからもっといろんなことを一緒にしたい。君と人生を共にしたいんだ。シャロン、僕たち結婚しよう」
ノアの突然の告白に、シャロンは言葉を失う。
胸の奥から熱いものが込み上げ、目の前が潤んで見えなくなる。
瞬きをするとはらはらと綺麗な涙がこぼれ落ちた。
「私なんかでいいの?」
「シャロンだからいいんだ。ずっとずっと、僕の側にいてくれたあの日からずっと、君と永遠のときを共にしたいと願っていたんだ」
ノアの言葉はどんな高価な贈り物よりも、シャロンを幸せな気持ちにした。
ずっとずっと彼と一緒にいたいと思っていた。彼も自分と同じことを思っていたなんて。
「すごく、嬉しい。ノア、私も、あなたと一緒にいたい。愛しているわ、ノア」
「僕もだよ、シャロン。愛している。永遠のときを君と共に」
ノアはシャロンを抱きしめると、そっと唇にキスをした。
柔らかくて温かな感触に、熱っぽい吐息。
ノアの全てが愛おしくて、彼と共に生きることのできる未来を思うと幸福で胸がいっぱいになった。
END
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