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3.絶望と救い

 ノアのお陰で手の痛みは引いた上に、不思議なことに洗濯物をしても手が冷たくならなかった。氷のような水の中でもほんのり手が暖かい。心の中でノアに「ありがとう」と伝える。彼を思うと自然と笑みが浮かんだ。


 なんとか洗濯物を干し終えると、シャロンは屋敷に戻った。

 継母がいないことを確認しながら廊下を進み、自室へと向かう。


 ふと、とある部屋から誰かの話し声が聞こえた。客人のために用意された部屋だ。

 くすくすと、男女が笑い合う声が聞こえる。その声には聞き覚えがあった。


 嫌な予感がして扉を開ける。


「……どうして」


 ベッドの上に継母の連れ子であるリリアーナと、婚約者のアルバートがいた。しかも2人は裸で抱き合っている。


「ノックもしないで突然入ってきてなんなの?」


 キッとリリアーナに睨まれて一瞬怯みそうになったシャロンだったが、なんとか言葉を絞り出す。


「どうして、アルバート様と、リリアーナが一緒にいるの? しかも、は、裸で……」


「私たちが一緒にいることが、あんたに何の関係があるの?」


「だって、アルバート様は私の婚約者なのよ。なのにどうして私の義妹であるあなたが、アルバート様と、浮気なんて……」


「あら、アルバート、まだ言ってなかったの?」


「え?」


 言っていなかった?


(アルバート様は私に何を言っていないの?)


「ああ、そういえばそうだったな」


 喉の奥がひりつく。

 それ以上は言わないで。私からまた奪わないで。


「俺、お前との婚約を取り消すことにしたんだ。ついさっき伯爵の許可を得て、正式にリリアーナとの婚約が決まったんだ」


「うそ、でしょ……」


「嘘じゃないわ。信じられないなら今からお父様のところに行って聞いてみてはどうかしら?」


 リリアーナが嘘を吐いているようには見えない。

 なら、本当にアルバートはシャロンを見捨てて、リリアーナを選んだということだろうか。


「それなら、私はどうなるの?」


「お父様から聞いたのだけれど、婿養子を取るそうよ。その相手があなたよ、シャロン。婿養子と結婚させるんだったら、やっぱり実の娘がいいそうよ。だからあなたは、死ぬまでこの屋敷に住むのよ。よかったじゃない。世間知らずなあんたが外の世界で生きれるはずないもの」


 ふふふ、とリリアーナは嘲るようにシャロンを笑う。


 もうすぐ屋敷から出て、継母から解放されると思っていた。なのに、突然絶望をつきつけられて、シャロンは膝から崩れ落ちる。


「お前、そこにいると邪魔だから早く出て行けよ」


「ふふ、いいこと思いついたわ。今から面白いものを見せてあげるわ」


 リリアーナはアルバートにキスをする。アルバートはさらに深くキスをしようとしたが、リリアーナは押し退けて引き出しに入っているナイフを取り出しシャロンの元にやってきた。


「何を、するつもりなの?」


「別にあなたを傷つけるつもりはないのよ。ただ、愛するアルバートを楽しませようと思っただけなの」


 怯えるシャロンに近づくリリアーナは、獲物を目の前にした雌猫のようだった。リリアーナの言葉にアルバートは興味深そうに視線を向けていた。


 シャロンの目の前でリリアーナが突然首をナイフで引っ掻いた。うっすらと赤い傷跡ができるものの、血はほとんど出ていない。そうしてナイフを床に捨てたリリアーナは、突然甲高い声で叫んだ。


「お母様助けて! シャロンが、シャロンが! お願い殺さないで!」


 リリアーナの狙いがわかった。逃げようとしたけれど、床にしゃがんだリリアーナに手首を強くひっぱられて転んでしまった。


「リリアーナどうしたの?! って、あんた私の娘に何してるの!」


 継母が部屋にかけつけたとき、シャロンはリリアーナに覆いかぶさる状態になっていた。


「違うんですお義母様。私ではないんです。リリアーナが引っ張るから転んでしまって」


「嘘おっしゃい! 私にはあんたが大嘘つきだとわかっているのよ! さっさと娘からどきなさい!」


「きゃっ!」


 継母はシャロンの髪を掴むと、廊下まで引きずっていった。

 ちょうど駆けつけてきたメイドたちは継母に命じられ、シャロンを床に抑えつける。

 アルバートはというと、声が漏れないように口を抑えながらも、ベッドの上で腹を抱えて笑っていた。


「皿を割るだけじゃ飽き足らず、あたしの大切な娘にも手を出すなんて! 今日こそは許さないよ! 地下室に連れて行きなさい」


「待って下さい! 私は違うんです! お願いです! 信じてください!」


 シャロンはメイド達に引きずられるようにして、地下室に連れていかれた。


 地下室には囚人を閉じ込めるような牢屋が連なっている。

 小さな領土しかない伯爵邸の地下にどうして鉄格子をはめた部屋が必要なのか。シャロンにはとても理解できなかった。


 天井から鉄製の鎖で吊るされた手枷を両腕にはめられる。宙吊りの状態のシャロンを見上げる継母の目は狂気で満ちていた。


 ドレスを引き裂かれ、背中があらわになる。


 継母が家にやってきてから、何度も同じ罰を与えられてきた。恐怖でシャロンの目から涙が止まらない。何度も何度も「ごめんなさい」、「許してください」、「お願いします」と懇願しても、ただ継母の嗜虐心を煽るだけだった。


 腰につけた鞭を抜くと、継母は傷だらけの背中に鞭を力一杯振り下ろす。

 古い傷の上に新たな痛みが刻まれていく。血飛沫が飛び、唇にかかった血を舐めとる継母の目は爛々としていた。その姿は血に飢えた悪魔そのものだった。


 どのくらい経っただろうか。

 地下室に悲鳴と許しをこう叫び、そして肉を引き裂く鞭の音が響き渡る。人の声が聞こえなくなってもしばらく鞭の音が続いたが、シャロンが気絶してしまい飽きてしまったのか継母は彼女を置いて出ていってしまった。


 それから長い時間が経ち、シャロンはようやく目を覚ます。いつの間にか冷たい床に降ろされていたシャロンは起きあがろうとしたけれど、背中の痛みでまともに動くことさえかなわなかった。


 どうして自分はこんな思いをしなければいけないのだろうか。


 母が死んで、継母が来てからシャロンの人生は地獄そのものだった。何も悪いことをしていない。ただそこにいるだけで、目の敵のように継母が苦しめてくる。周りのものは父でさえ誰も助けてくれない。婚約者にも見捨てられてしまった。

 シャロンはただ、穏やかに暮らしたいだけなのに。そんな小さな願いさえも踏みにじられてしまう。


 ーーシャロンはここから逃げ出したいとは思わないの?


 ノアに問いかけられた言葉が思い出される。


 あのとき、もしシャロンが逃げたいと答えたら、ノアは何と答えただろうか。もしかして、一緒に逃げてくれたのだろうか。


 世間知らずの娘と、奴隷の男が外の世界で生きていけるはずはない。もしかしたらどこかで野垂れ死ぬのかもしれない。

 だけどそうだとしても、冷たい地下牢よりも、大好きな人と堕ちる地獄の方が幸せなのではないだろうか。きっと、ノアの腕の中はどんなベッドよりも暖かくて心地がいいはずだ。

 だけどそんな願いが叶うことなんてありえない。それでも、彼を望んでしまうことは愚かなことなのだろうか。


「ノア、会いたいよ……。助けて。私を、ここから連れ出して……」


 ぽろぽろと溢れ出る涙に混じって、本音が溢れていく。救いを求めてもただ虚しいだけ。そうわかっているのに、彼を求める気持ちを抑えることはできなかった。


「それがあなたの願いなのですね」


「ノ、ア……?」


 ノアの声がどこからか聞こえた。彼がどこにいるのか探したかったけれど、痛みのせいで首を動かすことさえ難しい。

 

 けれど彼が側にいてくれている。その安心感と痛みで頭が朦朧としているので、継母のプライベート空間である地下牢にただの奴隷が入れるはずがないということに全く思い至らなかった。


「シャロンの願いはわかったよ。全部終わったら君は僕のことを嫌いになるかもしれない。それでも、目を覚ましたら君が全ての苦しみから解放されることを約束するよ。それまでゆっくりおやすみ」


 名前の呼び方も口調もいつもと違う。けれどいつもの穏やかで温かなノアの声に、冷たくなっていた心が優しく溶かされていくようだった。

 彼の声に導かれるように、シャロンは深い眠りに沈んでいった。



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