第三話(二)
店内の商品の位置を粗方説明した後、レジカウンター前で司樹が訊ねた。
「古澄さんってレジ打ちの経験はある?」
「ないです」
以前働いていた場所では、電話対応とデータや書類の処理、倉庫の片付けや備品の管理等といった事務作業や雑用をしていた。
なるほどと頷いた後、司樹が声を響かせる。
「それでは、これからレジ打ちの説明を始めます。まずは僕が実際にやっていくね」
「より実践的になるように、おれが客役をするとしよう」
白宇が客役に立候補して、近くに置いてあったお香を手に取った。
「お会計お願いします」
「お預かりします」
司樹が実演しながら手順を教え、留花はそれをメモしていく。
どうやらこの店のレジは旧式のもので、お金を投入口から入れればお釣りが自動的に出て来るものではないようだ。
――つまり、預かった金額を間違えて入力したり、お釣りを間違えて渡したりしたら大問題になるってことだよね……。
ボールペンを持つ手にぎゅっと力が入って文字が歪になってしまったがまだ読める範疇だ。
後できちんと書き直しておこうと思っていると、説明が終わった。
「――てな感じだ。では、古澄さん。こちらへどうぞ」
レジの前に立たされて、留花と司樹の位置が逆転した。
留花は困惑した様子で司樹を見た。
「えっと……」
「さあ、レジ打ちをやってみよう!」
「……わかりました」
留花が近くにメモ帳を置くと、白宇がお香を渡してきた。
「お会計お願いします」
「お、お預かりします」
――えっと、商品を受け取って、バーコードをスキャンして……。
留花は緊張しながらも、メモを見つつ教えられた通りに作業をしていく。
預かった金額と入力した金額が間違ってないか確認した後にキーをおせば、ガチャン、とレジの現金を収納してある部分――ドロアが開いた。
画面に表示されたお釣りの金額分をドロアから一枚一枚掴む。
たかが練習、されど練習。初めてだから仕方がないといえば仕方がないかもしれないが、現金を扱うことにとても緊張してしまう。
そのせいか手が震えてしまい、小銭を上手く取ることができない。「早くしないと!」と思えば思うほど、掴んだはずの小銭が手から再びドロアの中に滑り落ちていく。
「落ち着いて。ゆっくりでいいから」
「焦らずに金額の間違えがないか確認をするんだぞ」
「……はい」
頭上から降り注ぐ声もレジカウンター越しに聞こえてくる声も優しい。
何とか全てのお釣りを掴んで、間違っていないかをしっかりと確認した後、お釣りの金額を伝えつつレシートとともに客役の白宇に渡した。
「ふむ、ちゃんとできていたぞ」
「うん。慣れれば簡単簡単」
「簡単、ですかね……」
朗らかに笑う白宇と司樹に留花は素直に頷けなかった。
――こんなにも手こずってしまうなんて……この先ちゃんとやっていけるのだろうか。
と、一抹の不安が留花の頭を過った。
顔を俯かせ暗い思考の海に沈みつつある留花に司樹が声を掛ける。
「まあ、こればっかりは何度もやって慣れていくしかないかな」
「はい……」
「妖怪たちの中には物々交換で交渉してくるやつもいるから、その時は僕か白宇を呼んで」
「は、はい……」
――今の時代に物々交換で買い物?いや、妖怪なら普通のことなのかな?
留花の中でどんどん不安が募っていくばかりだ。
それを察した司樹が留花の目を見てはっきりと告げる。
「わからないことがあったらその都度訊いてくれればいいし、何かあったとしてもちゃんとフォローするからさ、どんどん頼ってよ」
「頼る……」
他人に頼る――それは、留花が苦手としていることの一つだった。
頼ることは多かれ少なかれ他人に迷惑を掛けてしまうことだ。他人に迷惑を掛けないためには、できる限り自分で物事をこなしていくしかない。
自分のことは自分でやる。できる限り他人に迷惑を掛けないようにする。今までそうやって生きてきた。
けれども生きていく上で、自分だけではできないこと、知らないこと、わからないことは必ず目の前に立ちはだかる。
今は仕事のこととか、妖怪のこととか。
――本当は「頼ってよ」って言われてすっごく嬉しいくせに。
素直な自分がそう言った。
――甘えちゃいけない。そんなんじゃ一人で生きていけないよ。
素直じゃない自分がそう言った。
天秤は後者に傾く。
「迷惑を掛けないように頑張ります」
留花の口をついて出たのは当たり障りのないそんな言葉だった。
司樹が「そうきたかー」と眉尻を下げる。
「頑張ってくれるのは勿論嬉しいんだけど、ほんと無理はしないように」
「……」
「無理はしないように、ね?」
「……はい」
――無理しないなんて、それこそ無理なことなのに……。うう……久閑さんの目が笑ってなくて怖い……。
威圧感に負けた留花は渋々と頷いた。
二人の間に漂う何とも言えない空気を壊したのは、白宇だった。
「お会計をしてくれたそこのお嬢さん、シフト上がりは何時ですかな?」
「……え?」
突然のことに留花が素っ頓狂な声を上げる。
どうやら、客役を白宇はまだ続けているようだ。
「もし良ければ、この後一緒に喫茶店にでも行きませんか?」
「ええっと……」
「待て待て待て」
留花が狼狽えていると、待ったを掛けたのは司樹だった。
眉間に皺を寄せて司樹が白宇を睨む。
「お前は一体何を訊いているんだ?」
「いやだって、留花ちゃんにちょっかいを掛けてくる輩がいるかもしれないだろ?その時どう対処するかも考えておかないと」
「……確かに」
うーんと深刻に考え始める男二人に留花は苦笑する。
「そんなヒトいないと思いますけど……」
「初めて会った時、ナンパされていたよね?」
「……あれってやっぱりナンパだったんですか?」
踊り猫のことを言っているのだと察した留花が訊き返す。自意識過剰かなと思っていたのだが、側から見てもそのように見えていたらしい。
――良かった良かった。……いや、何も良くはないな?隙を見せないように気をつけていかないと。
留花が思案している傍らで、司樹と白宇がお互いに顔を見合わせた。
「これは危ないな」
「ふむ、危ない」
「危機管理能力がなさ過ぎる」
「同意見だ」
「古澄さん、この店につれて来た僕が言うのもなんだけど、知らない人にはついて行っちゃダメだよ」
「ついて行きませんよ!」
散々な言われように留花が立腹する。「わたしは大丈夫です」と言っても、男二人は納得していないようで、
「……やっぱり、対処法を考えないとだな」
「うむ」
と、二人が話し合いを続けている。
大丈夫なのになぁと不服に思いながらも、空いた時間ができたので、留花はメモを見返してレジ打ちの練習を脳内で何度も反芻した。
「――よし、取り敢えず、穏便に言ってもダメそうなら実力行使ということで」
「ふむ。その後は勿論出禁だな。二度とこの店に足を踏み入れることのないようにしてやろう」
男二人が頷き合う。彼らに突っ込む声は何処からも聞こえない。
――何だか物騒なこと言っているなぁ。
練習に徹しながら、二人の会話を聞いていた留花は他人事のように思うのだった。