第十一話(二)
時は十九時少し前。
ピンポーンと来客を告げるベルの音がした。
はーい、と返事をして、留花はドアノブを回す。
扉を開けた先にいたのは司樹だった。
「こんばんは、留花さん」
「こんばんは、司樹さん」
にこりと挨拶を返す。
意外にもよろずや以外でこうして会うのは、司樹と初めて会った時以来だ。
「それじゃあ、よろずやへと向かおうか」
「わかりました」
と、ここでとある疑問が浮かぶ。
「わたし、司樹さんに自宅の住所教えていましたっけ?」
「直接教えてもらってはいないけど、履歴書に住所が書かれていたし、あと一応白宇にも訊いたからね」
「なるほど」
「……断じて、ストーカーしていた訳ではないからね?」
「わかっていますよ」
家の鍵をしっかりと閉めて、司樹と二人でゆっくりと歩き出す。
空を見上げれば、丸い月が浮かんでいて星が瞬いている。
ふふっ、と留花が思い出し笑いをした。
「ん?どうかした?」
「いえ、司樹さんにつれられて、初めてよろずやへと行った時のことを思い出しちゃって。あの時は、まさか妖怪相手に働くことになるなんて思ってもみませんでした」
「……引き摺り込んでごめんね?」
「謝らないでください。わたし、よろずやで働き始めて、後悔なんてしていないんですから」
その言葉に嘘はない。仕事も見つけられたし、妖怪との関わり方も教えてもらえた。感謝こそすれ恨むつもりは全くない。
優しく微笑む留花に司樹は何処かほっとしたように息をついた。
他愛もない話をしていると、よろずやが見えて来た。
いつもなら店内に入るのだが、案内されたのは店の裏庭だった。
「やあ、来たね」
そこで待っていたのは少年の姿をした白宇だった。
その手には何故か杖を持っている。
真っ二つに折れた杖はテープで繋ぎ止められていて。
一体何に使うのだろうか、と留花が様子を窺う。
「それじゃあ、いくぞー!……えいやっ!」
掛け声とともに白宇が杖を地面にぶっ刺した。
満月の光を浴びた杖がきらきらと輝き出す。そうかと思えば、杖はみしみしと枝葉を広げる。テープで繋がれたそれは接ぎ木のようで、やがて太い幹となり、あっという間にしっかりとした樹木へと成長した。
ぷっくりとした蕾が徐に次々と開花して、見慣れた薄紅色の花を咲かせた。
「これより、留花ちゃんの歓迎会を始める!」
大きな桜の木を背景に、白宇が堂々と告げた。
「かんげい、かい……?」
目の前の光景と告げられた言葉が理解できなくて留花が目をぱちぱちと瞬かせる。
――桜の時期は過ぎたはずなのに……って、そうじゃなくて!何で杖が桜の木に!?それと、歓迎会って!?
一体どういうことだと留花が混乱していると、表口から「ごめんくださーい」と声がした。
白宇と司樹が「どうぞどうぞ」と訪れた客を招き入れる。
「ルカ姉ちゃん、こんばんは」
「ルカお姉さん、こんばんは」
「宴と聞いて酒を思ってきてやったぞ!」
「ジュースも持ってきたっすよ!」
たくさんのお菓子を持ってきたトキワとトキミに続いて、八が幾つもの酒瓶を掲げる。河童は大きなクーラーボックスを軽々と運んでいた。
「わしも来たぞー!」
声が聞こえた方――空を見上げれば朧車が飛んでいて、ゆっくりと着陸をする。中から出てきたのは、風呂敷を持った山ばあだった。
「料理もたくさん持ってきたよ。ほらお前さんたち、おこぼれが欲しいなら、そこのしーとを敷きな」
いつの間にか集っていた小妖怪たちが、用意されていたレジャーシートを桜の下に敷き始める。
トキワとトキミと山ばあが重箱やお菓子を広げていると、河童がクーラーボックスの中から次々とジュースを取り出した。
「酒飲む奴は集まれー」
「オレンジジュースの人ー?コーラの人ー?ラムネの人ー?……ああもう面倒だから自分たちで注いでくれっす!」
八や河童によって飲み物が各自に配られる。
あれよあれよという間に、常連客たちによって宴の会場が整えられていく。
呆気にとられていた留花の肩を司樹がぽんと叩いた。それによって漸く留花は金縛りのような状態から解かれた。
「留花さん、こっちこっち」
司樹に促されながら、大人しく留花が座る。因みに、八に手渡されたお酒は、司樹の手によってそっとオレンジジュースに持ち替えられてしまった。
――あー、わたしのお酒が……いや特に飲みたかった訳じゃないから別にいいのだけれど……。
なんせ、妖怪たちとの宴なんて初めてのことで。
未だにこの展開についていけない留花は戸惑いつつも、司樹と白宇を見遣る。
「えっと、あの、これって……」
「さっき言った通り、留花さんの歓迎会だよ」
「ずっとできなくてすまぬな」
「いや、それは別に気にしていなかったんですけど……」
「今日はちょうどいろいろと条件が揃ってだな。急遽提案したのだが、皆こうして集まってくれたんだ」
「……わざわざ集まってくれたんですね」
留花はじんわりと心があたたかくなるのを感じた。
何だか涙が出そうになって、顔を俯かせた。
よしよしと優しい手つきで司樹が留花の頭を撫でた。
「まあ、飲み食いしたい奴らが集まっただけとも言えるが」
「そういうことは言うなって!」
白宇が司樹に窘められる。その様子を見て、留花は小さく笑った。
気を取り直して、白宇が辺りを窺う。
「皆、飲み物は行き渡ったか?それでは、よろずやの新たな従業員ならびによろずやの更なる発展を祈念いたしまして……乾杯!」
白宇が告げれば、一斉にコップが掲げられた。
山ばあは周りの世話を焼き、トキワとトキミは美味しい料理に舌鼓を打っている。
八がいつの間にやら用意した麻雀で勝負をし始めた。時々酒を煽りながらも、悩む強面の八つの顔に相手はびくりと肩を震わせている。
河童は地面に描かれた簡易的な土俵にて相撲をとっていた。集まった小妖怪たちが野次を飛ばす。
音頭を取った白宇は酒の飲み比べをしている。
皆思い思いに過ごしており、とても賑やかな宴だ。こんなに賑やかな宴は初めてだった。
「あいつら、主役そっちのけで楽しんでやがる……」
「あはは……皆さんが楽しんでくれているのならそれでいいです」
全く、と悪態をつく司樹に留花が苦笑いを零す。
桜を仰ぎながら、ふと呟く。
「まさか杖が桜の木になるなんて思いもしませんでした」
「ああ、あの杖ね……」
司樹が杖の入手ルートを話し始めた――
床につきそうなぐらい長い髭を撫でながら、翁の面を被った老人が呟く。
「ふーむ、どれにしようかのぉ……」
老人の目の前に並べられているのは、幾つもの杖だ。
老人曰く、よろずやへ来る途中に使っていた杖が折れたとのこと。本当なら甘味を買うだけだったのだが、急遽杖を買うことになった。
けれども、なかなか決められないようで、かれこれ一時間はこうして悩んでいる。
杖にもいろいろな種類があり、様々な形状の中で、老人が今見ているものは一本杖と呼ばれるタイプだった。
その中でも、折り畳み式や伸縮式があり、材質も木製やアルミ製やカーボン製など実に様々な種類がある。
老人が使っていたのは、木製の一本杖だった。
桜の木から作られたというそれは、年季が入っているものの艶やかで美しかった。
「長年使っていたからのぉ……こうなっても仕方がないのぉ」
と、老人は笑っていたが、一体どれだけの年月を使えば頑丈そうな杖がぽっきりと真っ二つに折れるのだろうと司樹は内心で思った。
「……よし、これにしようかのぉ」
老人は漸く決めたようだ。饅頭と杖をレジに持ってきて、懐から財布を取り出す。
「値札取っておきますね」
「どうもありがとう」
饅頭は袋で包み、杖は値札を取って老人に渡す。
と、ここで白宇が老人へと近寄った。
「もし良ければ、その杖を貰っても?」
白宇が指差した先にあるのは、真っ二つに折れた杖だった。
白宇の申し出に司樹が驚く。対して老人はといえば、「どうぞどうぞ」と快く承諾した。
「ご苦労様。今までありがとうな」
最後に杖をひと撫でして感謝を述べた老人は新しい杖をついて店を去って行った。
老人が去った後、白宇は上機嫌でテープで折れた杖をくっつけた。
「その杖どうするんだ?テープで巻いただけじゃ杖としてはもう使えないだろ?」
「ふっふっふ、それはまだ内緒だ。勿論、杖としてはもう使えないけどな」
得意げに笑った白宇に、司樹は首を傾げた。
「――という訳。そうしたら白宇が急に『今宵、歓迎会を開くことにした』って言い出してさ。まさか、そこで貰った杖を使うなんてね。僕も驚いたよ」
司樹はそうは言ったものの、留花には司樹が然程驚いているようには見えなかった。
「各地には地面にさした杖が成長して樹木になったという伝説があるそうだよ。今回使われた杖は桜の木から作られたものだったから、桜の木に成長したみたいだね」
「なるほど」
そういう伝承を知っていたのなら、司樹がこの様子なのも頷けた。
あとは、奇怪な物事に対する慣れの違いだろうか。流石に、以前よりは少しは慣れたと言っても、司樹と比べたら自分なんてまだまだだ。
――これからも、司樹さんとたくさんの奇怪な物事を体験するのかな……。
ちらりと見遣った青年は手元の酒を飲んでいる。
「ん?どうかした?」
「な、何でもないです」
視線を合わせてきた司樹に、留花が慌てて首を振った。
誤魔化すように留花はコップに口をつけながら、周りを見渡す。
とても賑やかな光景は、数ヶ月前の留花には想像もできなかったものだった。
――こうして、誰かと一緒にいるだなんて……あの頃は考えもしなかったなぁ。
留花は微かに笑みを零した。
周囲は騒がしいが、二人の人間を包む空気は穏やかだ。
不意に司樹が口を開く。
「月が綺麗ですね」
夜空を仰ぎながら、ぽつりと呟かれた言葉。
けれども、ぼうっとしていた留花にはその言葉はちゃんと届かなかったようで。
「……司樹さん、今何て?」
「……いや何も」
「……そうですか」
ふいと顔を背けた司樹の耳が赤い。だが、顔を俯かせた留花はそれに気がつかない。
因みに、留花の耳もほんのりと赤くなっているのだけれど、司樹もそれに気づいていなくて。
「ふむ、二人とも若いな」
そんな二人を見ていた白宇がやれやれと肩を竦めて酒をあおった。
風が吹いて、桜の花びらがひらひらと舞い散る。
わあっ、と歓声が上がった。
美しい満月に照らされた、満開の桜の木の下での宴は、まだまだ終わりそうにない。




