第十話(三)
あれから何年も経った。
一言では言えない大変なことがたくさんあって、あの現実味のない現実のことは留花の頭の中ならすっかり忘れ去られてしまっていた。
妖怪が視えるなんて普通ではあり得ないことを体験したというのに。……いや、普通ではあり得ないからこそ、まるで夢のようで。だからこそ、忘れてしまったのかもしれない。
司樹がゆっくりと話す。
「あの時、あそこで僕たちはフリーマーケットに参加していたんだよ。半強制的に連れて行かれた場所でまさか視える人間に会うとは思わなくてさ。視える人間がいることは教えてもらっていたけど実際に会ったのは初めてで、凄く嬉しかったんだ。自分と同じ景色を共有できて、妖怪は存在するんだって認めてくれる子がいて、本当に嬉しかったんだよ」
少し気恥ずかしげに司樹が頬を掻く。
「また会いたいなとは思っていたんだけど、まさか会えるとはね……」
「そうだったんですか……偶然って恐ろしいですね」
留花の言葉に、うっ、と司樹が詰まる。「ん?」と首を傾げた留花に対して、取り繕うように司樹が声を発する。
「それにしても、まさかナンパされているとはね」
「ナンパに関しては不可抗力です」
きっぱりと告げた後、留花は訊ねた。
「何で、昔会ったことを教えてくれなかったんですか?」
「……いやだって、自分は覚えていて相手は忘れているって、その……自分だけ特別なこととして覚えているのって、凄く恥ずかしい、というか何というか……」
「……」
それに対しては本当に申し訳ない気持ちになったので、留花は何も言えなかった。
結局、忘れてしまって気づかなかった自分が悪いのだ。
と、ここであることに気がついた。
「……あの、もしかして、わたしが猫にナンパされていたのを助けてくれた時からよろずやで働くように勧誘するつもりでした?」
「……」
司樹は黙り込んだが、白宇は隠すことなく言い切った。
「半分正解で半分不正解だな!」
――『半分』って一体どういうこと……?
訝しげに眉を顰めた留花に白宇が更に続けた。
「正確には、留花ちゃんを勧誘するために司樹をあの場に行かせたというのが正しいかな」
「は、え?どういうことですか?」
「おれには、未来が視えるんだよ。さっき留花ちゃんは『偶然』って言っていたけど、そうじゃない。未来を確定させるために、おれが司樹をあの場に行かせたんだ」
自慢げに白宇が言った。
もう何を言われているのか留花には訳がわからなくて、「……へぇー、そうなんですか」と答えることしかできなかった。
「昔もだけど、あの時迷子になった留花ちゃんの未来を視て、何処に行けばお婆様に会えるのか逆算したんだよ」
「そう、だったんですね。……因みに、今のわたしが妖怪が視えなくなる可能性はあるんですか?」
「さあ、どうだろうね」
大事なところを濁されてしまい、留花はもう閉口するしかなかった。
暫しの静寂が流れる。
ずっと黙っていた司樹が重たい口を開いた。
「こいつはこういうやつなんだよ。未来が視えても素直に教えてくれる訳じゃないんだ」
「当たり前だろ。ちょっとしたことで未来は変わるもんだし、それに全部言ったらつまらないじゃないか」
「はぁ……」
大きな溜息が司樹から零れ出た。何だかとても疲れている様子だ。
――司樹さん、苦労しているんだろうなぁ……。
なんて、留花は思った。
「……昔はその場限りの一過性のものだったけど、今の留花さんが妖怪が視える側に来てしまったって白宇から聞いて、言い方はあれだけど、もういっそのこと引き摺り込んで妖怪についていろいろ教えたいって考えて……。ごめん、ただの僕のエゴなんだ。本当にごめん」
頭を下げる司樹を慌てて留花が止める。
「謝らないでください!謝るのは寧ろわたしの方です。司樹さんは覚えていてくれていたのに、わたしは忘れてしまっていて……本当にごめんなさい」
「それは全然気にしなくていいから」
「強がるなよー。本当は忘れられていて落ち込んでいたくせにー」
「五月蠅い黙ってろ!」
茶々を入れてきた白宇に司樹が怒鳴った。
騒ぐ青年と霊狐の姿に、あの時の少年と霊狐の姿が重なった。
――そっかそっか。妖怪が視えることや司樹さんについて行くことにあまり抵抗がなかったのは、過去にもう体験していたことだったからなんだ。
すとんと腑に落ちた留花が口もとを緩めた。
あの、と声を掛ける。振り返った司樹と白宇が留花を見遣った。
「昔も今も助けてくださってありがとうございます。それと、引き摺り込んでくださってありがとうございます。不束者ですが、これからもよろしくお願いしてもらえると嬉しいです」
そうはっきりと告げる。
一瞬の沈黙の後、
「こちらこそ、よろしくね」
司樹が手を差し出してきた。
あの時よりも大きくなった手を留花は握る。
そんな二人を見て、白宇がくるりと宙で一回転した。すると、見慣れた少年姿へとなった。
だが、霊狐の時と変わらず頭にはふさふさの耳がついている。上機嫌そうに耳が動いた。
「二人とも、これからもよろしくな」
握り合った手の上に、小さな手が合わさった。
誰からともなく「ふはっ」と笑い声が零れた。




