第十話(二)
「あ、いた!」
不意に聞こえてきた第三者の声に留花はびくりと肩を震わせた。
こちらに駆けてきたのは、今度こそ人間だった。
留花よりも少し年上であろう少年だ。
ぜえはあと肩で息をする少年に、狐が訝しげに訊ねる。
「何でここにいるんだ?店番はどうした?」
「それはこっちの台詞だ!人に店番押し付けて勝手にどっか行くなよ!お金ならいいけど、物々交換とかまだわからないんだからいてくれないと困るよ!」
「何だ、寂しかったのか?それならそうと素直に言いなよ」
「違うわ!」
少年が突っ込んだが、狐は何処吹く風と聞き流す。当たり前のように狐と話している少年は、全く、と悪態を吐いた後、視線を留花へと向けた。
留花と少年の目がぱちりと合う。
徐に少年が口を開いた。
「……君、さっきこいつと話していたよね?こいつが視えるの?」
「見える、けど……?」
少年の質問の意図がわからず、困惑しつつも留花は答える。
「そっか……それじゃああれは?」
少年が近くの木を指差す。そこには二つの顔が……まさしく顔だけがあった。
木の上で動いているそれらを見て冷や汗を流しつつ、少女はその特徴を述べる。
「うんうん……それじゃああれは?」
少年が空を指差す。風もないのにひらひらと舞う布に顔があるように見えるのは見間違いだろうか。
けれども、どうやら見間違いではないらしい。
少年に告げれば、「あるね。顔が」と肯定された。
そんな二人の遣り取りを黙って見ていた狐が声を発した。
「この子はばっちり視えているぞ」
「……みたいだね」
狐と少年が頷き合う。
何やら納得する彼らに、留花は困惑するばかりだった。
狼狽える留花に少年が説明する。
「あれらは、妖怪と呼ばれるモノたちなんだ」
「……よう、かい?」
「そう、妖怪。あやかし、物の怪、魔物、怪異とか呼び方はいろいろあるけど」
「……その、狐さんも?」
「妖怪です」
「犬でも狐でもなく妖怪……」
「犬ではなく狐ではある妖怪です」
「霊に狐と書いて霊狐っていう妖怪だよ」
留花が頭に疑問符を浮かべていると、補足するように少年が付け足した。
なるほど、と訳がわからないまま留花は無理矢理納得した。
――それにしても……凄く視線が気になるんだけど……。
黄昏色の美しいその瞳でじいっと見つめてくる霊狐の視線がとても気になった。
「ほうほうほう……これはこれは……」
何やら意味ありげに頷かれ、留花はたじろいだ。
「ふむ。お嬢さんが妖怪が視えるようになったのは今日が初めてのようだな。ここに来てから視えるようになった。違うか?」
狐の言う通りだ。生まれてこの方、妖怪が視えた記憶なんてない。
こくりと留花が頷いた。
霊狐曰く、
「何事にも境目というものがあってだな。そういう場所に行ったりそういう時間になったりすると、普段は視えないモノが視えることがあるんだ」
とのこと。
「安心するがよい。一過性のものだよ」
そう言われて留花はほっとした。
だが、留花は知らない。霊狐が心の中で「……今はな」と付け加えたことを。
と、ここで霊狐の視線が少年へと向いた。
「そんなに残念がることないだろ」
「……別に、残念がってないし」
とは言ったものの、少年は何やら落胆しているようだった。
少年と再び目が合ったかと思えば、おずおずと少年が訊ねてきた。
「その……君は信じるの?」
「何を?」
「妖怪が存在しているってことを」
やけに真剣な声だった。
きょとんとした様子で、ゆっくりと留花が首を傾げる。
「だって、実際に視えているし……お兄ちゃんも視えているんでしょう?」
「うん、視えているよ」
「それなら、信じるも何も、妖怪は存在しているってことじゃないの?他の人のことはわからないけれど、少なくともわたしたちにとっては」
自分の空想かなと思ったけれど、どうやらそうじゃなくて。
妖怪は昔話に出て来るモノで、その話の中には怖いモノもあったけれど、所詮は空想上のモノだとずっと思っていた。
けれども、自分以外にも視える人がここにいる。ということは、妖怪は空想上のモノじゃなくてちゃんと実在しているということになるんじゃないのかと留花は考えたのだ。
自分なりの意見を述べると、少年が黙り込んでしまった。
どうしたんだろうと留花が戸惑っていると、霊狐が話を切り出した。
「さて、迷子のお嬢さん。もし良ければ君をお婆様のもとへ案内しようと思うんだけど如何かな?」
「この子、迷子だったのか……そんな子にちょっかいかけているんじゃないよ」
「親切心故だ」
ふんぞり返った霊狐に「本当か?」と少年は胡乱げなご様子。
留花は恐る恐る二人に話し掛けた。
「あの、わたしは大丈夫です。迷子センターに行ってみます」
――そうだ。最初からそうすれば良かったんだ。
焦燥感からそんな考えに至らなかった。
「いやでもそれ、恥ずかしくない?君もお婆さんも」
「恥ずかしい、けど……」
背に腹はかえられない。こんな広い敷地の中、さっき会ったばかりの二人――一人と一匹と言うべきだろうか――が顔も知らない祖母を探すのは無理だろう。
それに、何より――
「迷惑掛けたくないし……」
それが一番だった。他人に迷惑を掛けるぐらいなら、自分が恥ずかしい思いをした方がマシだ。
――呼び出されるおばあちゃんには、申し訳ないけど。
そう思って、二人に別れを告げようとしたが霊狐は何ともなしに言った。
「若者が遠慮するんじゃない。ほらほら二人とも手を繋いで!」
霊狐に促されるままに、少年と留花は手を出し合った。
そのまま留花は少年に手を差し出しかけたが思いとどまった。迷惑を掛けたくはないという思いが、躊躇という形で出てしまった。
けれども、少年は戸惑うことなく、留花を安心させるかのように微笑んで手を差し出してきた。
そろそろとその手を留花が掴めば、よしよし、と少年と霊狐が満足そうに頷く。
「さ、おれについて来るがよい!」
そう言って、霊狐はさっさと歩き出してしまった。
え、と留花は戸惑ったが、少年にも「行こう」と促されて歩き出す。
「大丈夫。あいつ、探しモノとか得意だから。君のお婆さんが何処にいるのかももうわかっているはずだよ」
「そう、なの……?」
「そういう能力を持った妖怪だからね」
「す、凄いね……!」
留花がきらきらと瞳を輝かせると、霊狐がふんぞり返った。
「そうだろうそうだろう!」
「威張るな」
「もっと褒めてくれても良いんだよ?」
「あまり褒めないでやって。調子に乗るから」
「ふふっ」
少年と霊狐のおかげで留花は自然と笑えるようになった。
少し余裕が出てきた様子の留花に少年が問う。
「君、妖怪を視るのは初めてなんだよね?」
「うん」
「そっか……大丈夫?怖くない?」
「……見た目が不気味なモノは怖い」
「まあ、普通はそうだよなぁ……」
独り言のように少年は呟いた。
「お兄ちゃんは妖怪が怖くないの?」
「もう慣れちゃったよ」
諦めたかのように少年は言った。
何処か寂しげな少年を見ていると、留花は胸が苦しくなって、ぎゅっと彼の手を握る手に力が入った。
少年に何か言いたいと思って慌てて口を開く。
「あの、あのね!『人生諦めも肝心だ』っておばあちゃんがよく言っているの!」
「うん?」
「だからね、わたし諦めたの!」
「……何を?」
「妖怪が視えることを!」
最早自分が何を言っているのか留花にはわからなかった。でも、少年に自分の思いを何とか伝えたくで必死だった。
「自分の空想だって思いたかったし、怖いから妖怪がいるって認めたくはなかったけど……諦めて妖怪は存在するんだって受けいれて認めようと思ったの。お兄ちゃんたちに会って、あれらが妖怪だって教えてくれたから、妖怪が視えるのが自分だけじゃないんだって知れたから、そう思えるようになれたの。……怖いのは嫌だけど」
最後の言葉は尻すぼみだった。妖怪の存在を認めるだなんて啖呵を切ってしまった手前、ちょっぴり恥ずかしかった。
恐る恐る少年の方を見遣れば、ぽかんとした顔があった。
そうかと思えば、突如少年が笑い出した。ふははっと年相応に笑う彼を見て、恥ずかしさやら嬉しさやらが留花の中に込み上げてきた。
「笑わないで!」
「……ぷ、くくっ……ごめんごめん」
「絶対にごめんって思っていないよね?」
「ごめんごめん」
少年に嗜められて、留花は自分が酷く子どもっぽく思えた。もう、と言ってみたものの、留花もつられて笑ってしまった。
ふと、二人の前を歩いていた霊狐が振り返った。
「話の腰を折るようで悪いが、あそこにいるのが君のお婆様じゃない?」
霊狐が示したその先にいたのは確かに祖母だった。
人混みの中、懸命に留花の名を呼び続けるその姿に留花は胸が締め付けられた。
「余程君のことが心配なんだろうね。さあ、早くお婆様のところに行ってあげな」
霊狐に言われて留花は頷いた。
留花と少年はどちらからともなくゆっくりと手を離す。
最後に留花が二人を見つめた。次いで、しっかりと頭を下げた。
「案内してくれて、ありがとうございました」
「いえいえ。お役に立てたようで何よりさ」
「いいかい?今回は特別だけど、これからは知らない人について行ってはいけないよ」
「うん」
少し困ったように、でも優しげな声音で少年に言われて、留花は素直に返事をした。少年は満足そうに笑った。
少年と霊狐に見届けられながら、「おばあちゃん!」と留花は祖母のもとへと駆けて行く。
驚く祖母に二人のことを言おうと振り返る。
だがまるで全てが幻だったかのように、振り返ったその世界に、霊狐も少年も妖怪の姿も見当たらなかった。
「名前訊くの忘れちゃったな……」
ぽつりと留花は呟いた。




