第七話 宙舞う帽子(一)
それは、留花が買い物から帰ってくる最中の出来事だった。
「ま、待てえぇー!」
突如聞こえてきた大声に、留花は振り返る。
目に入ってきたのは、宙を舞う帽子を一人の少女が追いかけている光景だった。
けれど、おかしな点があって。
風が全く吹いていないのに、真っ白なつば広の帽子はふわりふわりとこちらに向かって飛んできている。
それだけでなく、帽子を捕まえようとしている少女までも、帽子に合わせて宙に浮いているではないか。
――あの女の子は普通の人間じゃないな。
留花がそんなことを思いながら呆然と眺めていると、「そこのお姉さん、その子捕まえて!」と少女が叫んだ。
留花ははっとして頭上を通り過ぎようとした帽子を「えいっ」とジャンプして掴んだ。
「……捕まえちゃった」
まさか本当に捕まえられるとは、と留花は自分で驚いて、まじまじと帽子を見つめる。
つば広の帽子には黄色い大きなリボンが付いていた。そのリボンがまるで気落ちしたかのように萎縮したのは目の錯覚だろうか。
「や、やっと追いついた……」
少女はぜえはあと息を切らしつつ、宙から地へと舞い降りてこちらに駆け寄ってきた。
「お、ねえ、さん。捕まえてくれて、ありが、とう……」
「無理に話さなくてもいいですから。深呼吸して落ち着きましょうか」
何度か深呼吸した後、少女は漸く落ち着いたようだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
少女の笑顔が太陽のように眩しい。
留花は彼女の手に帽子を渡そうとした、のだが――
「えっ!?」
「あっ!」
それは一瞬の出来事だった。
手の力を抜いたその瞬間、逃げるように帽子が留花の手から宙へと浮いたのだ。
風が吹いた訳ではないし、勿論、留花が放り投げた訳ではない。
帽子はリボンを羽ばたかせ、ふわりふわりと宙を漂っている。そのリボンはまるで大きな蝶のようだった。
留花がぽかん、と口を開けたのに対して、少女は悔しそうに地団駄を踏んだ。
「ああもう逃げないでよ!」
少女が手を伸ばすが、帽子は余裕そうにひらりとかわす。何度も何度も少女は手を伸ばしたが、何度も何度もかわされてしまった。
少女の手が届くか届かないかの絶妙な高さで飛んでいる帽子はなかなか捕まらない。
――これ、加勢した方がいいよね?
「とうっ」
留花が掛け声と共に手を伸ばしてみる。すると、またもや呆気なく帽子は捕まった。
「えっ」
少女の悪戦苦闘を見ていたため、すんなりと捕まった帽子に留花はびっくりしてしまった。
暴れることもなく大人しくしている帽子に「何でぇ!?」と少女が声を荒げる。
「あたしよりもそのお姉さんがいいってこと!?」
再び少女が地団駄を踏む。
――え、これって修羅場?わたし、もしかして修羅場に巻き込まれている!?
なんて、巫山戯ている場合ではない。泣き出しそうになっている少女に留花はたじろいだ。
――えっと……わたし何もしていないよね!?していないはずだよね!?
留花は己の行動を思い返してみた。だが、したことといえば、帽子を捕まえただけ。それは少女にお願いされたことであり、悪いことではないはずだ。
留花がどうすればいいのかわからずに困っていると、少女が留花――ではなく帽子をビシッと指差した。
「もういいわ!そんなにお姉さんがいいなら、お姉さんの帽子になりなさいよっ!」
ふんっと鼻を鳴らした後、少女が身を翻してどしどしと足音を立ててこの場から去ろうとする。
「……いやいやいやちょっと待って!」
留花が慌てて止めようとすると、急に帽子が暴れ出した。驚いて離せば、帽子はすいーっと少女のもとへ飛んでいき、そして、ぽすり、と少女の頭の上に被さった。
「……もう一体何なのよぉ!」
少女はぷるぷると肩を震わせたかと思うと、その場に座り込んで泣き出してしまった。
おろおろとつばやらリボンやらを揺らめかせる帽子と泣いている少女を放っておけなくて、留花は彼女たちに近づいた。
「そんなに目を擦ったら赤くなっちゃいますよ」
「だ、だってー……」
ぐすぐすと鼻を啜る少女に、困ったなぁと思いながら留花はしゃがんで少女と視線を合わせる。
「さっきは勢いで言っちゃっただけで、本当はこの帽子と一緒にいたいんですよね?」
「……うん。でも、直ぐ逃げちゃうの。きっとあたしのことが嫌いなのよ」
「そうかなぁ……」
あれだけ逃げていた帽子は、今では少女の機嫌を窺うかのように周りを漂っている。その様子からして、少女を嫌っているとはとても思えない。
――嫌っているというよりも寧ろ……。あ、あれならこの子たちの役に立つかもしれない。
思いついたことを留花が提案する。
「あなたは、帽子が逃げないようにしたいんですよね?」
「うん」
「それなら、ある物を使えばできますよ」
「本当に!?」
「とは言っても、わたしにできることはお店に売っている商品を紹介するだけになっちゃいますけど……」
「全然構わないわ!そのお店って何処にあるの?」
ぐいぐいと訊いて来る少女に若干気圧されながらも、「案内しますね」と頷いた。
向かう先は勿論――。
ちらりと見遣れば、帽子は置いていかれまいとリボンを羽ばたかせて懸命に後ろをついて来た。
――うんうん、やっぱりついてくるよね。
くすりと笑いそうになってしまう。
「お姉さん?」
「ううん、何でもないですよ。あ、今回は特別だけど、知らない人について行ってはいけませんよ」
何度も言い聞かせられた言葉を今度は自分が小さな女の子に言っていることが、留花は何だか不思議に思えた。




