第六話 お使い(一)
珍しいことに、いつもはいるはずの姿がそこにはなかった。いや、珍しいというよりは、留花がこのよろずやで働き始めてから初めてのことだというべきかもしれない。
あれ、と思い、留花が訊ねる。
「司樹さんは何処かへ出掛けているんですか?」
「司樹はとある理由により爆睡しているから起こさなかった。今日はおれと留花ちゃんで店番だ」
「とある理由?」
「昨日妖怪たちの間で飲み会があって、それに司樹も巻き込んで……巻き込まれてだな」
――今、『巻き込んで』って言った?
思わず突っ込みそうになったが話の腰を折るわけにもいかない。
留花の疑問は口には出ず、白宇の話が続く。
「酒の飲み比べをしたんだ。まあ、妖怪たちの中ではよくあることよ。因みに、一番早く潰れた奴は罰ゲームとして好きな子の名前を皆の前で大声で叫ぶことになってだな。無論、好きな子なんていません、はなしだ。結構盛り上がったぞ」
うんうんと白宇が頷く傍らで留花は思う。
――地味に嫌な罰ゲームだな……というか、妖怪たちもそういう恋バナ(?)みたいなことで盛り上がれるのか。まあ、酒もほとんど飲まないし、好きな人もいないし、それ以前に他人との関係が希薄なわたしにとっては縁のない話だな……。
なんて多少自虐しつつ、心の中で留花は呟いた。
「司樹さんってお酒強いんですか?」
「普通に強い方だと思うぞ。まあ、おれには敵わないけどな」
腕を組み何処か誇らしげに白宇が言い切った。
外見年齢が小学生くらいなのに飲酒の話をするのは如何なものかと今更ながらに留花は思った。だが、白宇の正体は妖怪だから「まあ、いいか」で済ました。
妖怪相手に人間の常識を当てはめてはならない。こういうことは深く考えてはならないのだ。
それは留花がよろずやで働くようになって学んだことの一つである。
「さっきも言ったように司樹は酒に強い方なんだがな、飲み過ぎると次の日は爆睡するんだ。一度寝たらなかなか起きない。まあ、泣き上戸でもなければ、笑い上戸でもないし、他人にウザ絡みするとか迷惑をかける云々についての酒癖はそこまで悪くないのは幸だな。人も妖怪も酒癖が悪い奴は本当に厄介だからな。酒に関してはいろんな意味で留花ちゃんも気をつけるように」
「わかりました」
――見た目小学生くらいの白宇くんに酒について注意を受ける二十歳……側から見たら変な光景だろうなぁ……。いやでも白宇くんは実際はわたしよりもずっと年上らしいしなぁ……。司樹さんも白宇くんにお酒について注意されたこととかあるのかな?
白宇に酒について享受される司樹という光景を留花が思い浮かべてくすりと笑っていると、白宇が目を眇めた。
「留花ちゃんは司樹がいなくて寂しいか?」
ちょうど司樹のことを思い浮かべていたので、そう問われて留花はドキッとした。
寂しいか寂しくないかと問われれば――
「……寂しい、ですね」
白宇は度々散歩に出掛けていなくなることがあるが、司樹はずっと側にいてくれて。よろずやの仕事や妖怪のことを教えてもらったり、他愛のない話をして笑ったりして二人で過ごす時間も多い。
他人と話すのが楽しいと思ったのはいつぶりだろうかと自分自身思ったくらいで。
それほどまでに留花の人間関係は乏しいものなのだ。
前の職場では必要最低限のことしか話さず、話を振られたら相手に合わせて話すくらいで、聞き役が多かった。勿論、疑問に思ったら訊くこともあったが、積極的に自分から喋るなんてことはあまりなかった。
一人暮らしであるため、家で家族と話すこともない。それ以前に、そんな存在がいない。悲しいなんて気持ちは薄れてきていて。でも、寂しいという気持ちは心の何処かにあって。
だからこそ、司樹と過ごす時間は留花にとってかけがえのないものとなりつつあった。
普段いる人がいないのは寂しい。きっと当たり前の感情だ。でも、それだけじゃない気がする。
――相手が、司樹さんだから……?
ふと思い至った考えと己の感情に戸惑っていると、はたと白宇と目が合った。
何処か満足げに白宇が頷く。
「そうかそうか寂しいか。ふむ、素直でよろしい」
「……あの、白宇くん。このこと司樹さんには言わないでくださいね?」
「何故だ?」
「だって……いなくて寂しいだなんて、子どもっぽいじゃないですか」
「そうか?司樹が聞いたら喜ぶと思うんだがな」
「……絶対に司樹さんには言わないでくださいね?」
「善処はする」
――ああ、これはたぶん言われるやつだろうな……。
にまにまと笑う白宇を見て留花は察した。
――うん、深く考えないようにしよう……。
留花は現実逃避のために、手持ちのふわふわのモップで埃を取っていく作業に専念する。
棚や机が綺麗になっていく様を見て普段ならすっきりとするはずなのに、今日は気持ちが晴れなかった。