第五話(二)
ぽりぽりぽり。
小気味良い音がする。それは河童による咀嚼音だ。
店内の片隅にある椅子に座って――よろずや店内の片隅にある休憩スペースはイートインスペースも兼ねている――河童がきゅうりをつまみにラムネを飲んでいる。
――きゅうりとラムネの組み合わせなんて美味しいのかしら……?
その組み合わせはいかがなものかと留花は思ったが、テレビで冷やしきゅうりという屋台グルメが紹介されていたのを思い出した。ラムネも屋台で売られているイメージがあるので、屋台繋がりとして案外イケるのかもしれない。
尤も、河童が食べているのは漬け物ではなく何の味付けもされていない生のきゅうりであるが。
どちらにせよ、留花はその組み合わせを試したいとはこれっぽっちも思わなかった。
因みに、どちらもよろずやの商品で、ちゃんと河童が購入したものである。
生野菜が売られているのは、普通の雑貨店では見られない光景だろう。そういう点において、『よろずやはコンビニみたいなもの』と言った司樹の言葉が当てはまるなと留花は思った。
「ぷはーっ!生き返ったっす!」
「それは良かったです」
本当に良かったと留花はほっとした。もしもあのまま行き倒れを放置していたら、寝覚めが悪過ぎる。いくら相手が妖怪だとしても、だ。
留花は想像しかけた『もしも』を頭を振ることで打ち消した。
「いやー、びっくりさせてしまってすまなかったっす。お嬢さんに気づいてもらえなかったら、今頃オイラどうなっていたことやら」
「いえいえ」
「店の前で倒れられていたらそりゃあ嫌でも気づくって。全く、何で毎回毎回他人に見つけられやすい場所に倒れているんだか」
司樹曰く、「河童はよろずやの店前だけでなく、誰かの目につく至る所で干からびかけて行き倒れ寸前の状態になっているのを度々見かける」とのこと。
嫌味を含んだ言葉に、河童はしみじみと言う。
「やっぱり誰かに気づいてもらわないとヤバいっていう生存本能が働くんすかねぇ」
「ヤバいと思うなら水分補給して倒れないようにしなよ」
「ごもっともっすね。次からは気をつけるっす」
「……って、河童は言うんだけどさ。この遣り取りもう何年もしているんだよね。全然改善される気配がないんだけど、どう思う留花さん?」
「ええっと……そんなに繰り返しているんですか?」
「かっはっはー、お恥ずかしい限りっす」
照れ臭そうに笑う河童に、「笑い事じゃないだろ」と司樹が呆れたように突っ込んだ。
確かに、水分不足で行き倒れを何回も繰り返すなんて笑い事じゃないなと留花も同意した。
「どうして何回もそんなことに?」
「オイラ、さすらいの旅人なんで」
キリッと言い放った河童に、留花は「……ええっと?」と困ったように首を傾げた。
「オイラ、いろんなところを旅していましてね。元々は棲んでいた川が埋め立てられてしまいまして、何処か棲める場所がないか彷徨っていたんすけど」
「……えっと、その……すみません」
辛いことを思い出させてしまったのではないかと思い、留花が気まずそうに謝った。
それに対して、河童が苦笑いを零す。
「お嬢さんが謝ることなんて何もないっすよ。確かに最初は辛かったっすけど……今でも故郷を思い出したら辛くなることもあるっす。でも、あの『流れ』には誰も逆らえなかった。妖怪も、人でさえも……」
河童の眼差しは何処か遠くを見つめているかのようだった。
きっとそれは、今はもうない河童の故郷の景色だろう。
河童自身、元から外の世界に興味はあった。小さな川でのんびりと過ごすのも悪くはないとは思っていたけれど、旅人からの話や他の場所から来た河童たちの話を聞いて、「オイラもいつかは……!」と思っていたらしい。
けれど、一歩外の世界に踏み出す勇気がなかった。
「だから、こう言っちゃ棲家をなくしたモノたちや朽ち果てていったモノたちには申し訳ないとは思うんすけど、オイラにとってあの『流れ』は良いきっかけになったと思っているんすよ。『えいやっ!』って外の世界に飛び込んでしまえば、あとは気の向くまま、流されるままっす」
各地を渡り、数日で去る場合もあれば、気づけば何年も留まっている場合もある。
けれど、「この場所に一生棲み続けたい」という気持ちにはなれなくて、河童は旅を続けているらしい。何年も、何十年も――。
「旅は楽しいっすよ。いろんな場所に行って、いろんなヒトに出会って、助けたり、助けられたり……。知らない土地で知らないモノに出会って知らないことを知れて……」
しんみりとしていた河童だったが、次の瞬間にぱっと笑った。
「それで、水中も地上も泳いだり流されたり歩き回ったりしていると、自分でも気づかないうちに頭の皿の水がなくなっていて、気づいたらあんな状態にって訳っす」
「ほんと、勘弁してほしいよ」
「またやらかしたらその時はよろしくっす」
「だから、そうならないように水分補給をしろって」
最早水掛論になってしまっていることに気づきながらも、司樹と河童は繰り返す。何度でも、何度でも。
不意に、ずっと話を聞いていた留花がぽつりと呟いた。
「……河童さんは凄いですね。わたしなんて、全く知らない土地に行くなんて怖くてできませんでしたよ」
留花が昔に思いを馳せる。
祖母と二人で暮らしていた家は、祖母が亡くなった際にあまり話したことのない親戚が相続した。
――『こんな大きな家、貴女に管理できないわ』
――『就職したんでしょ?若いんだし、こんなボロい家よりももっと新しい場所に住んだ方が良いわよ』
――『少し期間をあげるから、自分の身の丈に合った物件を探しなさい』
とか何とか、他にもいろいろと言われた。
喪失感に苛まれていた留花は反論することもできなくて。
あれよあれよという間に手続きは済んでしまって、留花は今までずっと住んでいた家を出ることになった。
あの後、祖母との思い出がたくさん詰まった家も結局取り壊されてしまって、今では新しい家が並んでいる。
その様を見た時、留花は自分の居場所がなくなったのだと改めて認識したのだ。
全く知らない土地で心機一転なんて臆病な自分にはできなくて。結局は、市内から出ることもできずに今は小さなアパートで一人暮らしている。
河童を見ていると、小心者な自分が情けなく思えてくる。
静寂の中、第一に声を発したのは河童だった。
「お嬢さんはこの土地が嫌いっすか?」
「……『この土地』ってどのくらいの範囲ですか?」
「範囲?うーん、そこまで考えていなかったっすね。まあ、適当で」
「えぇ……」
「兎に角、好きか嫌いかを考えて欲しいっす」
曖昧に問われたことに呻きながらも留花は考える。
祖母と暮らしていた場所から今の場所へ引っ越しはしたが、市外でも県外でも何なら国外でも行ける中で――先程言ったようにそんな度胸などないが――自分はこの土地に留まることを選んだ訳で。
好きでも離れなくてはいけない人、嫌いでも離れられない人もいる中で……何処にでも行けるそんな中で、自分は自分で選択してこの土地に留まっている。
それは、つまり――
「嫌いではない、です」
「それならここに居ればいいんすよ。無理に外に出て行く必要はないっす。何となくその土地に居る奴もいる。その土地じゃなきゃ駄目だっていう奴もいる。オイラみたいにあちこち歩き回っている奴もいる。妖怪それぞれ、人それぞれっすよ。ね、坊?」
「何でそこで僕に話を振ったんだ?」
視線を投げ掛けてきた河童に司樹は顔を顰めた。けれど留花の視線も感じて、深く息を吐いた。
「……まあ、そうだね。僕もあちこち彷徨っていた側だったけど……今はこうして留まっているからね。人それぞれ、妖怪それぞれだよ」
「……そういうものですかね?」
「そういうものだよ」
不安気に訊ねた留花に司樹は相槌を打った。
それに、と司樹が続ける。
「彷徨って留まって……こうして留花さんに出会えた訳だしね」
真正面からの言葉と視線に、留花は固まった。固まって、ゆっくりと口を動かす。
「……それは、司樹さんにとって良いことなんですか?」
「良いことだよ」
「……そうですか」
即座に返されてしまった。
留花は司樹と視線を合わせるのが何だか気恥ずかしくて、視線を彷徨わせる。
――そうか、わたしに会えたことは司樹さんにとって『良いこと』なんだ。
何処にも行けない自分が情けなく感じていた。だが司樹によって、今ここにいる自分を少しだけ肯定できるような気がしてきた。
水を打ったように静まり返った中で、河童が黄色い嘴から小さな声を発した。
「……坊、結構恥ずかしいこと言ったって自覚あります?」
「……今自覚しているから何も言わないで」
己の顔を手で覆って司樹が呻いた。垣間見える耳が赤い。
かっかっかっ、と河童が笑う。
そんな二人の会話は、己の思考に浸るので精一杯の留花の耳には届いていなかった。




