08
ラルフは六号車に戻っていた。深緑色の手帳に、事後報告であることについての謝罪、そして先程の出来事の一部始終を書き込んで閉じる。ラルフが窓の外を見ると、ミゼルを出たばかりの頃は生い茂っていた大地の緑はまだらになり、寒地にあるヴィーリの街が近付いていることを知らせていた。
「ラルフ!」
「おう」
久々の再会から声高に名前を呼んだシスカに、ラルフは右手を上げて応えた。
「今までどこに?」
シスカが訊ね、一瞬の間の後、
「……屋根の上だ」
天井を指差して応えたラルフは、手帳を通じてデュクドレーに報告したのと同じように、黒いローブの男やその男が持っていたトランクのこと、そして六号車へ来る途中に二班のアーノルドに会い現在の状況を聞いたこと、四号車から六号車までの車外にいたグレムリンは殆ど走る列車に振り落とされ、それでも残ったものは自分が全て倒したこと、そして結局昼食をとり損ねたことなどを十二班のメンバーに告げた。
「そんなことが……。大丈夫ですか?」
「ああ。問題無い」
エイミーが心配顔で訊ね、ラルフが応える。続けてその気遣いに、
「ありがとう」
短く礼を言った。
十号車ではライプフェルト最終学年第二班のアーノルドが、右手に持った銃で最後のグレムリンを撃ち抜く。銃は黒銀色の銃身と黒いグリップを持った三十八口径リヴォルバーで、バレルの長さは六インチ。
「これで最後か」
呟いたアーノルドは銃身を折るようにして蓮根状の弾倉を開け、排莢。カーゴパンツのポケットから新たな銃弾を六発、無造作に取り出して詰めた。右手首をスナップさせて銃身を元に戻す。
礼を言う十号車の乗客達に目もくれず、九号車に向かおうと扉に手を掛けた瞬間、背後で空気の揺れを感じたアーノルドが振り返る。三メートル程離れた場所には、黒いローブを纏った男が現れていた。乗客達は一様に目を見開いて驚き、場が静まる。男の腹部からは赤い血が流れて床に血だまりを作っていたが、それはラルフの銃撃によるものではなく、その弾丸を摘出するために男が自ら抉った際のものだった。屋根に居た際に目深に被っていたフードは取れ、数センチ程に刈り揃えられた金色の髪と、憎しみや怒りをそのまま具現化したような恐ろしい形相が露になっていた。澄んだ炎のように赤い双眸はただアーノルドのみを捉え、睨め付ける。
「何だお前は――」
言葉と同時にアーノルドが身体を向けた瞬間に、きつく握られたローブの男の拳が頬骨に直撃した。大きな体躯が吹き飛び、二枚の扉を破って九号車へ。十号車、そして九号車は再び乗客達の叫び声に満たされた。辛うじて受身を取ったアーノルドが、
「野郎!」
片膝を着いたまま、やはり低く不鮮明な声で悪態をつき、離さずに持っていた右手の拳銃を構えると、ゆっくりとした足取りで九号車の床を鳴らしてにじり寄る男の頭を狙った。轟音と共に銃弾は男の眉間目掛けて飛び出し、直線を描いてその距離を瞬間的に縮める。
そして、ローブの男は動いた。身を屈めて銃弾を避け、そのままの中腰でアーノルドに走り寄る。
「戻れ!」
アーノルドが、それまで出さなかった大きな――それでも休日の街中では軽く掻き消えてしまいそうな程の――声を発した。余裕の男が握った右手をゆっくりと振りかぶった瞬間、びくりと身体を震わせて、笑っていた顔が引きつる。
男の背中では、避けたはずの銃弾がローブに穴を開けていた。無理な軌道を描いた銃弾は速度を失っており、貫通はしない。
「なめるなよ。ただのガンナーと一緒にするな」
動きを止めた男に更に弾丸を撃ち込むべく撃鉄を起こすアーノルドの目に、男の楽しそうに笑う口許が映る。
「シウバ!」
唐突に、背後から声がした。アーノルドと同じ二班の班員であるミシェットの声で、叫ばれたのは彼が使役する魔獣の名。小柄な魔獣士に呼ばれた灰色の蛇は、窓の上に備え付けられた荷物置きに居た。三角形の頭をもたげたシウバは、ローブの男のすぐ近く。静かに移動し、着実に狙いをつけていた。
そしてシウバは、雨を降らせた。ただしそれは水ではなく、鋭く尖った細い針の雨。秒間百五十以上の針が男のみを目掛けて降り注ぎ、男にローブを縫い付けた。加えてアーノルドが銃口を向ける。と、
「なめるなよ」
その場にいた他の誰でもなく、ずっと無言だったローブの男が、先程のアーノルドの台詞をなぞるように言った。男は漆黒のローブを掴み、突き刺さった針ごと身体から引き剥がすと、勢い良くアーノルドの方へと投げ、同時に走り出した。天井から下がる電灯の下すれすれを飛ぶローブで絶え間なく降り続く針の雨を防ぎながらアーノルドへと近付き、頭の上で組んだ両手を猛烈な速さで叩き込んだ。
「ぐっ!」
詰まった声を発して、アーノルドが床に叩き付けられる。屈強な魔弾士は、もろくも崩れた木の床の表面にめり込んで倒れた。
濃いグレーのボディースーツ姿になった男は振り向きざまにシウバの首の付け根を掴んでそのまま締め上げると、苦しげなシウバの声と共に針の雨が止んだ。
静まり返った空間を、走る列車のリズムが満たしていく。男が振り返り、背後に立っていた魔獣士をその視界に捉えた瞬間、
「――!」
ミシェットが声に出さず意識下で発した合図で、男の手の中、灰色の蛇が今一度目を開けた。
空中に形成されていく無数の鋭利な槍。目標を囲うように配置を完了したそれらは、男を飲み込むように一斉に襲い掛かり、身体中に突き刺さる。男はそれでもなお、痛みを感じる様子すら見せず、手の中のシウバを思い切り床へと叩き付けた。シウバの意識は今度こそ途切れ、大量の槍がその場で霧散した。魔獣を失ったミシェットは男の裏拳で吹き飛び、窓を豪快に割って列車の外へ投げ出された。
赤い目の男はローブを拾うと、シウバが倒されたことによって壊れた針の破片を払い、動く者が誰も居なくなった車両を後にして八号車へと向かった。
出発からは既に四時間程が経過しており、列車はなおも緑のまばらな大地を走り続ける。