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ストレイン(仮)  作者: 犬塚ゆき
第一章・ミゼル‐ヴィーリ間定期列車
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05

 ミゼルの古い街並みを抜けた列車は、蒸気機関の音と小気味良い車輪の音を響かせながら、雄大な緑の中に敷かれた鉄のレールを走っていた。ミゼルと、そこから頭一つ突き出したエルスールの鐘塔が遠のいていく。黒い煙突が吐き出す煙は、暫く軌道に沿って線を描いた後、風に流れて消える。

 鉄の外装を持つその列車の内装は殆どが木製で、アーチ型の天井からは等間隔で笠付きの電球が提がり、四角い窓の付いた壁の上部に荷物置きが設置される。そのすぐ下に張られたロープは最後尾から全ての車両を通り先頭まで一直線に繋がっており、非常事態が発生した際にはそれを引くことで列車を急停止させる。板張りの床の中央を空けるようにして、四人用の箱席が左右に並んでいた。

 空席の多い六号車、二人掛けの座席が向かい合う形の箱席に、シスカとエイミーが進行方向を背にして座り、ラルフとエミリオがその向かいに座っていた。頂点を過ぎてようやく傾き始めた陽の光が、窓際のシスカとエミリオを照らす。

「ヴィーリ到着は四時間後ね」

 ジャケットを脱ぎ、ベージュのブラウス姿になっていたエイミーが駅で配られていたリーフレットを畳みながら言う。三つ折りにされたリーフレットの表紙には、今四人が乗っている列車の写真と「ミゼル発定期列車案内 ~雪と工業の街ヴィーリへ~」の文字。中にはヴィーリの歴史や名産、名所などが写真やイラストを交えながらも簡潔に紹介されており、注意すべき魔物の情報も掲載されていた。

 ヴィーリは一年を通しての平均気温が低く、夏を除いた全ての季節で雪が降る、まさに雪の街と呼ぶに相応しい地域だった。広大な面積の中に多くの工場地帯を有し、世界に流通する大型機械のおよそ三割がそこで造られていた。近年においては世界中で増加する大型機械の需要に対応するため、古くからあるヴィーリの森を切り開き、工業用地を徐々に拡大していた。一方で工場に出没し悪戯をするグレムリンやチョールトといった魔物には政府や民間による数々の対策が施されているが、依然としてその被害は減っていない。

「ヴィーリに行ったことは?」

 ラルフの問いに、

「一度だけ、小さい頃に両親と旅行で。河原の土手でソリ遊びをしてた記憶しか無いけど」

 シスカが答えて笑い、エイミーもつられて笑った。名家であるアルトナー家の第一子として生まれたエイミーは、グランフォートという街にある実家で暮らしていた幼い頃、外で遊んだ記憶は殆ど無かった。英才教育と言えば聞こえはいいが、彼女は以前シスカにその頃のことを「牢獄」という言葉で表していた。

「ラルフさんは、行ったことあるんですか?」

 自らの思い出を語れない代わりに、エイミーはラルフに訊ねる。人の思い出を聴いていると、そして人がそれを幸せそうに懐かしむ顔を見ていると、まるでそれが自分の思い出であるかのように楽しい気分になれる。これも、あるときエイミーはシスカに伝えていた。それ以来、シスカは遠慮せずに自分の幼少期のことをエイミーに話すようにしていた。

 期待の表情を見せるエイミーに、ラルフが口を開く。

「五年くらい前、俺と同じ魔弾士の母親の助手をしていたときにな」

 そう言ったラルフは、ずっと開いていなかったアルバムを見るかのような、割れ物をそっと扱うかのような、どこか遠い目をしていた。しかしその表情はすぐに消え去り、口調は勢いを取り戻す。

「夜景が綺麗だった。工場と、変わった形をした古い建物をバックに、雪が舞って。あとは……、郷土料理のスープがうまかったな。ヴィーリで取れる野菜と肉のスープ」

 そこまで話して、

「そういえば昼食がまだだったな。俺はそろそろ食ってこようと思うけど、三人はどうする? 売店で何か買ってくるか?」

 ラルフは徐に立ち上がり、訊ねた。

「うん。お願いしようかな」

「私も、お願いします」

 シスカとエイミーが答え、わかった、と頷いたラルフが隣席に視線を移して、

「エミリオは?」

「………」

 目を閉じたまま質問を無視するエミリオ。ラルフは肩を竦め、レストランと売店のある四号車へ向かった。残った三人の間に会話は無く、列車の音と揺れが規則正しくリズムを刻む。

 それから暫くして、黒いローブを纏った大柄の男が一人、通路を通り先頭車両の方へ歩いて行った。それを見たエミリオは小さく舌打ちをすると、腰のバッグに入った札を後ろ手に確かめる。


 食堂車である四号車の窓際席ではラルフが、ライスやサラダと共に置かれた魚のムニエルを切り分けていたそのままの体勢で、三号車へと続く扉に取り付けられたガラス窓越し、車両連結部に立つ男を見ていた。羽織った黒いローブの隙間から腕を出し、その先には黒塗りのトランク。男は目深に被ったフードの下の口を不気味に歪ませて、それを開く。


 突如として列車が悲鳴を上げたのは、それからすぐのことだった。何かを擦るような轟音と振動、そして甲高いブレーキ音。列車は急激に速度を落とし、乗客達の悲鳴が車内を満たす。直後、各車両に備え付けられたスピーカーから、

「た、只今、当列車において多数のグレムリンを確認致しました! おおお客様におきましては、決して窓を開けないようにお願い致します! なお、お客様の中に魔術師様か召喚師様がいらっしゃいましたら、すす速やかに三号車、車掌室までお越しいただけますようお願い致します!」

 とても慌てた、車掌と思われる男性の声が響く。雑音交じりのそれはくぐもり、背後では機関士達の声が飛び交っているのが聞こえた。シスカとエイミーは一度顔を見合わせると立ち上がり、慌てふためく乗客の中を三号車へと急ぐ。シスカは扉の前で一度立ち止まり、席に残ったエミリオを振り返るが、エイミーに促されて車両を出た。

 エミリオは閉じていた目を開け、落ち着いた様子でベルトに留めていたバッグを外すと中から術札用の布と墨の入った小さなガラス瓶、筆を取り出す。通常古語で書かれる札の文字は書物で調べながら書くのが普通とされているが、エミリオは手許だけに視線を落とし、慣れた手つきで墨を付けた筆を滑らせていった。

 シスカもまた、三号車へ向かいながら、手帳を開いてペンを走らせる。

『ミゼル‐ヴィーリ間定期列車でトラブル発生。協力要請有り』

 担当講師の反応は早く、短かった。

『了解。協力を許可』

 浮かび上がったデュクドレーからの返事を確認して、シスカは手帳を閉じる。食堂車内のレストランをエイミーと共に走り抜けると、狼狽える給仕やコック達のいる厨房へと続く「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉をくぐった。

 シスカ達が通り抜けた後、誰もいない窓際のテーブルの上には、切り分けられただけで少しも減っていない魚のムニエルとライス、そしてサラダが置かれたままになっていた。



 同じ頃、ライプフェルト大学の講師室棟地下一階、クリストフ・デュクドレーの部屋。換気扇の音だけが絶えず満ちるその空間で、部屋の主は何かを考え込む様子で奥に置かれた席に着く。机の上には三冊の手帳が広げられており、それらには全て、トラブルの発生を知らせる一文が刻まれていた。デュクドレーは大きな溜め息を一度吐いた後、外した眼鏡を机に置き、椅子を軋ませて天井を仰ぐ。天井越しに、慌しくばたばたと走る講師達の足音が聞こえた。

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