04
「ただいまっ」
シスカが息を弾ませて自室のドアをくぐると同時に、意識だけで三体を呼ぶ。
「お帰りなさいませ」
「おう」
「お帰りなさい」
部屋を出たときと同じように、現れた三体は応えた。朝は殆ど寝ていたフィオーレももうすっかり目が覚めたようで、シスカへと走り寄る。
「出発はいつになりましたか?」
訊ねたネーヴェに、フィオーレを抱き上げたシスカが、
「すぐよ。ミッテ駅集合で、最初はヒノサトの街だって」
「ヒノサトか。昔アリーセと暮らしてた街だ」
メーセが口にしたアリーセとは、シスカの母親の名前だった。彼女が結婚する前、魔獣士見習いとしてヒノサトに住んでいたことを、シスカはアリーセ本人から聞いて知っていた。
ヒノサトは、ミゼルなどがある大陸とは切り離された小さな島にある街。木造の特殊な造りの建物や、一千年以上前から変わっていないというヒノサト独自の思想や世界観が有名で、ヒノサト特有の魔術や魔獣も多く存在していた。
「そうなのよ。向こうに着いたら案内よろしく」
フィオーレを肩に移動させ、シスカはクローゼットへと歩く。
「大分昔だから、街も変わってるだろ。案内できる自信は無いぞ?」
それでも嬉しさを隠し切れない様子で、メーセが応えた。フィオーレが、
「そういえば、エイミーとは同じ班になれた?」
「うん。希望通り」
その答えにフィオーレは喜び、対照的にネーヴェが珍しく嫌そうな声を出す。
「あまり、気乗りがしませんねぇ……」
ネーヴェが気乗りしないと言った理由は、エイミーの住む古い二階建てアパートを背景に、シスカ達がエイミー達と合流した際に明らかになる。
「やっぱりあんたも来たのね」
エイミーの足許に座る薄い水色の毛並みを持つ猫、ヒーロが嘆息しながら言い、
「例え出言不遜な者が居るからといって、主に同行しないわけにはいきません。それが、仕えるということですよ」
塀の上に立ったネーヴェが忌々しげに、嗜めるように返した。
「……本当にあんた感じ悪いわね」
ヒーロが吐き捨てるように言って、
「おや、気に障りましたか。これは申し訳ありません。雰囲気を悪くしてはいけませんので、私はしばし姿を消すことにしましょう。お嬢様、宜しいですか?」
シスカが了承すると、ネーヴェはその場でスッと消えた。
「あなた達も相変わらずなのね」
エイミーが苦笑しながら、すまして毛繕いの仕草をするヒーロに言った。黙って傍に座っていたメーセが、
「そんな奴らほっといて早いとこ行こうぜ。駅で待ち合わせなんだろ?」
「そうね、ごめんなさい。行きましょうか」
エイミーが応え、二人と三体は歩き出す。シスカは一度家に帰った際にスカートからグレーのズボンに穿き替えており、セーターの上からはフードの無い白いローブを羽織っていた。エイミーは先程と同じブルーアッシュのジャケット姿。二人はそれぞれ用意していた大きめの鞄を手に持つ。メーセとヒーロが先頭を歩き、フィオーレはエイミーの肩の上に。エイミーの家からラルフの提案したミッテ駅までは、歩いて十分程度で着く距離だった。
ミッテ駅はミゼルのほぼ中心に位置し、ミゼル発の殆どの長距離列車の始発駅となっている。二階建ての駅舎に売店などがいくつか立ち並ぶ大きな駅で、ホームは全部で三つ。列車はその全てのホームから二方向ずつ出ており、合計六つの街へと繋がる。
駅前は広場になっており、中心には大きな花壇。レンガ造りの丸い花壇には、四季折々の花が植えられていた。道は花壇を囲むようにして円を描き、脇にはミゼル内の大学の校章入りアイテム専門店や、魔術道具の専門店、雑貨店やレストランなどが並ぶ。それらは全て古めかしい外観の建物に収まり、景観を壊さないよう看板等は控えめにショーウィンドウの中に掲示されていた。
休日や朝夕は大勢の人や馬車が行き交う賑やかな場所だが、ラルフとエミリオが到着した昼下がりのミッテ駅切符売り場の人影は普段の半分程で、その殆どはライプフェルトの三年生だった。
学校から駅までの間、ラルフとエミリオに会話は無く、それは駅に着いてからも同じだった。二人の服装は大学でのそれとほぼ変わらず、エミリオは円筒形の鞄の口紐を肩越しに持ち、ラルフは長方形の底板の入った大きな布鞄の他に、肩掛け用のストラップが付いた黒い角鞄を持つ。ラルフのバックホルスターには鈍い銀色の自動式拳銃が、木製のグリップを上にして収まっていた。グリップの色は黒で、側面中程には紋章の入った金のメダリオンが埋め込まれる。
「取り敢えず列車でヴィーリまで行って、そこから船でヒノサトへ向かうルートが妥当だな」
切符売り場に掲示された路線図と地図を交互に眺めて、よく目立つ赤い髪をしたラルフがそれまで閉じたままだった口を開く。エミリオは足許に鞄を置くと、興味無さげに壁にもたれ掛かり立っているだけだった。
「それでいいか?」
念のために訊いたラルフに、煩わしそうにエミリオが口を開く。
「あのさ、仕切るんだったらいちいち訊かないでくれる? さっきみたいなのも迷惑なだけだし」
「そうか。でも悪いけど、俺は遠慮しながら生きるのはもうやめたんだ。俺は俺のやりたいようにやる。全力で。だからそれが気に食わなければ、そっちも全力で止めればいい」
そう言ってラルフは意地悪そうに笑う。溜め息を吐いて目を閉じたエミリオだったが、何かに気付いた様子ですぐに目を開ける。上げた視線の先には、駅に向かって歩いてくる女子二人と三体の魔獣の姿があった。駅に辿り着く頃には姿を消していたもう一体の魔獣――ネーヴェも現れ、二人と四体になったシスカ達にラルフが、
「大所帯だな」
「この子達、普段は姿消してるから」
「それなら良かった。列車の座席を常に八つ確保するのは骨が折れそうだからな」
応えたシスカに、ラルフが冗談めかして言った。
「改めて、魔弾士のラルフ・ニクラス・ベックマンだ。リート出身で、歳は二十一」
銃器を媒介として能力を発現する魔弾士。その能力の効果も十人十色で、弾道の補正や銃弾への属性付加など様々なタイプが存在する。
ラルフは右手を差し出してシスカと、続いてエイミーと握手をする。その笑顔は今朝大学で見せたものと同じ、夏の日差しを連想させる爽やかな笑顔だった。
「あたしはフランシスカ・シュッツ、十九。ミゼル生まれの、見ての通りの魔獣士。こっちはネーヴェ、それからメーセと、フィオーレ」
シスカが三体の魔獣を指しながら自己紹介を返し、
「グランフォート出身のエイミー・アルトナーと、ヒーロです。シスカと同じ魔獣士で十九歳。宜しくお願いします」
ヒーロを抱き上げたエイミーが丁寧に頭を下げた。
「えっと……」
壁にもたれた黒髪の男子学生の方を見て遠慮がちに口を開きかけたシスカに、
「エミリオ・コルネット。十九。札士。以上」
自身で面倒臭そうに口を開き、エミリオがラルフの言葉を遮った。彼が口にした札士とは、多種多様な札に魔力を込め、それを使用することによって効果を得るタイプの魔術師のこと。エミリオが腰に着けている革製のバッグにはその札と、札の素材となる特殊な布、そして専用の墨と筆が入っていた。エミリオは壁から背中を離して円筒形の鞄を持ち上げると、
「行くなら行こうよ。時間が勿体ない」
呆れた表情で言う。
「……そうだな。行くか」
ラルフがシスカとエイミーにも確認を取って、二人が頷く。魔獣達はここで姿を消し、四人はまず切符売り場のカウンターへと足を進めた。
ヴィーリまでの切符を買って入場し、石造りのホームに辿り着いた四人はそこに停車している長距離列車を目にした。列車は石炭を燃料とする蒸気機関車で、先頭の機関車両やその次に繋がれた炭水車両を含めた全十両で編成され、三号車には車掌室と機関士室などがあり、四号車は売店とレストランのある食堂車、その後ろの五号車から最後尾の十号車までが客車となり、トイレは四号車と七号車、そして十号車に設置される。全ての車両の外装は黒で統一されており、先頭車両から客車最後尾まで、赤いラインが一本。
「実家へはいつも馬車で帰ってるし、列車に乗るのは初めて」
大きく頑丈そうな鉄の塊を見て、立ち止まったエイミーは感慨深げにそう漏らした。
「多分、こんなの序の口よ」
隣に並んだシスカが、期待と不安が入り混じるような表情で笑う。
「そうね。遅れた分は取り戻さないと」
口許を綻ばせてエイミーが応え、
「そしてこれはきっと、あなた――シスカにとっても重要な旅。ご両親のような、立派な魔獣士になるための」
「うん」
声に出して頷いたシスカとその隣のエイミーを、列車の搭乗口に居るラルフがジェスチャーで呼んだ。それを見た二人は、慌てて搭乗口に向けて走り出す。
列車はミゼルの街に暫しの別れを告げるかのように、汽笛を高々と鳴り響かせた。