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ストレイン(仮)  作者: 犬塚ゆき
第二章・ヴィーリ
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「――つまりここに住む子ども達も、レーシィにさらわれる危険性がある、ということですね?」

 ヴィーリの地下に位置する独立都市タヴァーリシシ。そのリーダー執務室で、エミリオの説明を聴いたメーチが確認するように言う。

「そうです。恐らく近く、彼らもここに気付くかと」

 出されたお茶を口にしながらエミリオが返し、隣の椅子に座るシートが、

「確かにここは、レーシィにとって格好の狩り場だからな」

 メーチは暫く目を伏せて何かを考え、そして深く息を吐いて口を開いた。

「エミリオさん、貴重な情報、心から感謝します。タヴァーリシシのリーダーとして、貴方を信用します」

 エミリオの瞳を強く見つめながら言ったメーチは、

「シート」

「はい」

 執務机の引き出しから丸められた紙を取り出し、それを机の上に広げる。所々変色した古い模造紙には、ヴィーリの下水道に築かれた街――タヴァーリシシの見取り図が精巧に描き込まれていた。ほぼ円形をしたタヴァーリシシは、外側から全部で十の地区に区分されており、それぞれАからИまでの記号が割り振られていた。

「住民の数を確認後、外とのゲートの全てを封鎖。門番及びА地区からД地区までの住民を撤退。Д地区の第二ゲートを封鎖し、門番を配置します。万が一に備えて攻撃部隊も」

 椅子から立ち上がったメーチが、地図のそこここを指して指示を出す。

「みんなに伝えてきてもらえますか? シート」

「わかりました。リーダー」

 額に門番の証である刺青を持つ少年は大きく頷き、確かな足取りで部屋から出ていった。メーチは再び椅子に腰掛けて息をつくと、

「やっぱり、シートはいざというときに頼りになります」

 どこか安心したような表情でエミリオに言い、続ける。

「エミリオさん、ここの住人はみな十八歳になると地上――ヴィーリに出て生活をする決まりになっています。リーダーと呼ばれる立場である私も、実のところ数ヵ月後には十八になります。無論、決まりに例外はありません」

 エミリオはその言葉の意味に気付き、

「ええ。彼なら最良の後継者になりますよ」

 大きく頷いて応えた。



 止んでいた雪は、再び静かに降り始めていた。前方をメーセが走り、ネーヴェがシスカの後ろを飛ぶ。トリアスと対峙するラルフを残し、シスカ達は森の中心――オーリャ達が居るであろう場所を目指し走っていた。

「まだなの? メーセ!」

 魔力を嗅いで辿るメーセに、シスカは息を切らせながら問う。

「もう少しだ!」

 四つ足で走る魔獣はそう答えた。間違いなくミチエーリの最深部へ向かっていることを示すように、シスカ達を囲む木々は増え、薄暗さと気味の悪さを増していく。小さな氷の粒を蹴りながら、何度も転びそうになりながら、シスカはやがてその場所に辿り着く。

 開かれた広場の、その中心にあったのは一本の大木だった。幹には人一人が余裕で通れる大きさの穴が開く。

「ここだな。で、どうすんだ?」

 立ち止まり、シスカを見上げて訊ねるメーセに、

「勿論、乗り込む」

 簡潔な答えが返る。同時に森がざわざわと音を立て、シスカのローブも風にはためいた。

「――そういうわけにも、いかないのよね」

 冷たい風の中、冷たい声が上方から聞こえた。反射的に見上げる視線の先、声の主は枝の上に腰掛けてシスカ達を見下ろす。

「初めまして、シュッツ・フランシスカ嬢」

 銀髪の少女はくすりと笑ってそう言い、畳んだ黒い傘を片手に枝から飛び降りると、大木の脇にしなやかに着地した。

「あたしはペルム。シルルの妹でトリアスの姉……ということになるかしらね」

 朝もやの中、政府非公認の街で造られた人造兵であることを示す赤い瞳をシスカに向けて言う。

 シルルというのがフェルクタールでのエミリオのコードネームであること、そしてトリアスとは先程の大男のコードネームであることをシスカは知っていた。シスカの足許でメーセが舌打ち。苛立った様子でシスカは頭を掻き、

「いまはそれどころじゃ――」

「レーシィにさらわれた、いたいけな少女達を救いに行きたいのよね」

 言葉半ばで被せられた台詞に、嫌悪感を隠さず顔に出す。革のジャケットとズボンを身に纏う少女は、右の掌をそっと、大きな虚を持つ大木の幹に着け、

「でも、それは困るわ」

 その手から、黒い光。樹齢にして千年は超えているであろうその大木はみるみるうちに時を逆行し、背の丈は縮み、虚はその径を狭めていく。その最中、銀髪の少女はネーヴェとメーセ、二体の魔獣を見て口を開いた。

「それにしても、久しぶりね。お元気そうで何よりだわ」

 そして笑う。

「何を言って……」

「…………」

 二体に、過去にペルムと会ったという記憶は無かった。肩の上、少なからず困惑の表情を浮かべるネーヴェに対し、

「どういうこと?」

 シスカが訊ねる。

「いいえ、そのような記憶はありません」

「記憶が無いだけよ。会ったことはあるわ」

 答えたネーヴェに、ペルムが言う。続けて、

「三年前――あの事故の記憶はあるかしら?」

 訊ねた。シスカの両親が死んだその事故は、魔物の討伐へ出かけたその帰り道、乗っていた馬車が崖から転落するという不幸な事故だった。そのはずだった。

「ネーヴェ?」

 黙るネーヴェにシスカが返答を促し、

「……乗っていた馬車が傾いた後からの記憶はありません。次に私が気付いたときには崖下に横たわり……」

「ああ。俺も同じだ」

 元はシスカの両親の魔獣だったネーヴェとメーセが事故当時を思い出して答える。

「そうよね。あたしがそうなるように記憶を操作したんだもの」

 ペルムは二体の答えに満足したかのように、そう言った。

「厳密に言えば、巻き戻したのよ。この木と一緒。あのとき、全てが終わった後に、あなた達に付随する時間を事故直前まで逆行させたの」

「……父さんと母さんを殺したのも?」

 それまで黙って聴いていたシスカが訊ねる。それは、自身でも驚く程落ち着いた声だった。ペルムは一度鼻で笑い、

「それは違うわ」

「じゃあ、誰だって言うのよ!」

 シスカが声を荒げ、意識下ではネーヴェとメーセに攻撃の指示を出す。肩から飛び立った純白の鷹は地面すれすれを滑空し、目標である銀髪の少女のすぐ横を通り過ぎてホップ。舞い上がった空で急旋回すると、ペルムの背中をすみれ色の瞳で鋭く睨む。

 そして急降下。風に舞う雪を追い越し、生い茂る木々を掠め、ネーヴェは高度を急速に落としていった。魔力の込められたその両翼は青白く光る帯を引き、空中に直線を描く。微動だにしないペルムのすぐ左脇を通過し、薄く広がる帯はペルムの左腕に触れた瞬間、白く霞む氷塊がペルムの左腕を包み、蝕み始めた。帯に触れた肘から、氷の拘束は手と肩へ向けて急速に広がっていく。

「へぇ」

 感心した様子で氷漬けになった自らの左手を眺めていたペルムに、タイミングを合わせて走り寄っていたメーセが牙を剥いて飛び掛かる。狙うのは氷塊に包まれたペルムの左腕。

「なかなかの速度と連携ね。でも……」

 ペルムは言い、右腕に持っていた傘を振るう。メーセの牙が左腕を捉えるより早く、傘の先端はメーセの首を突き刺していた。

「メーセ!」

 シスカが悲鳴にも似た声を上げ、

「――ッ!」

 声も出ずただ驚きの表情を見せるメーセを、ペルムは腕一本、傘一本でそのまま投げ飛ばす。積もった雪の上に描かれた赤い血の線の先、紺色の狼は音を立てて地面に落ちる。

 そしてペルムがすぐさま片手で目の高さに構え直した傘の先には、ネーヴェが凄まじい速力で飛んで来ていた。

「ネーヴェ、駄目!」

 シスカが叫ぶが、高速で飛行していたネーヴェには、寸分違わず向けられた切っ先から逃れる術は無い。ネーヴェの視界では猛スピードでペルムの傘が迫り、その向こうでは赤い瞳が満足そうに笑っていた。

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