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何度も頭を下げながら礼を言うクライバー車掌からやっとで解放されたライプフェルト大学最終学年第十二班の四人は、ヴィーリの中心にある駅――シリヂーナ駅の改札を出た。春といえども滅多に雪の降り止まない街の気温は低く、セーターやコートに身を包み、毛皮の帽子を頭に載せた通行人の息は白い。夕方でありながらも分厚い雲が空を覆っているため、明るさは夜と変わらない。丸い街路灯が点々と灯り、辺りの賑わいを照らし出していた。
玉ねぎのような形の屋根を持つ古い建物と、近年になって建てられた無機質な四角い建物とが混在する街並みの中に四人は居た。シスカは口許を覆うようにして、白いローブの襟に付いた帯状の布を留める。ラルフとエイミーはそれぞれ手荷物から取り出したコートとジャケットを、エミリオも同じく黒いローブを取り出して纏っていた。
「で、どうするの?」
シスカがその場に居る他の三人に訊ね、
「今日はもう暗いから、取り敢えず宿を探すか」
桧皮色のトレンチコートを着たラルフが応えた。シスカはそれに賛成したが、
「じゃあ僕はヒノサトへの船のこととか、情報収集かな」
鞄の紐を肩に掛けて持ち上げたエミリオはそう言い、歩き出す。
「あ、私も行きます」
小走りで追いかけるエイミーの後ろでラルフが、
「一時間後にこの場所に集合でいいか?」
既に離れつつあるエミリオに聞こえるように声を張る。黒いローブの後ろ姿は左手を軽く上げ、了解の意を示した。
狭い路地、無理やりその場に押し込められたかのように立ち並ぶ民家の軒下を、シスカとラルフが歩く。鞄二つを肩から提げたラルフの手には手帳があり、そこには宿屋の名前と四人分の宿泊料がいくつかリストアップされていた。今後の旅費のことも考え、できるだけ安い宿を見つけたいというラルフの考えで、二人は宿屋を探しては値段を訊いて次へ。
「大体こんなとこかな……」
ラルフが呟き、リストの中から一番宿泊料の安い宿屋に印を付けた、そのときだった。
「だ、誰か!」
薄暗い路地の角から、おさげにしたブルネットの髪を揺らして一人の少女が叫びながら飛び出す。襟と裾にボアの付いたブルーグレーのケープコートに緑の長ズボン姿の少女は、シスカ達を見つけると走り寄り、二人に縋るようにして言う。
「助けて下さい! お願いします!」
「メーセ!」
シスカが反射的にその名を呼び、紺色の獣がシスカの前方に姿を現す。ラルフは手に持った鞄で少女を庇うようにして立ち、右手をバックホルスターの銃へ。それを見たシスカが、
「駄目よ!」
叫んだ。
「列車のときも思ったけど、こんな狭い場所で発砲するなんて危険だわ」
ラルフは周囲に立ち並ぶ家々に視線を走らせ、銃から離した手で少女の肩を抱く。
「……確かにそうだ。君に任せる。鞄を」
シスカは力一杯に手にしていた鞄を投げ、自らの荷物を地面に置いたラルフが難なくそれを受け取った。
身構える三人と一体の視線の先、コンクリートの壁の角からまず現れたのは、茶褐色をした、小枝のような腕。それは地面を這い、禿げた頭と痩せこけた胴体を連れてくる。それを視認したラルフが左腕の時計に目をやり、時間を確認する。時計の針は六時を指していた。
「クスダ・シラ、か」
「クスダ・シラ?」
呟いたラルフにシスカが訊ねる。それに応えるのは、ラルフの脇で震える十四、五歳程の少女。澄んだ、高い声をしていた。
「ここヴィーリに古くから居る、薄暗い場所に現れては人を襲う魔物です」
「決まって、午前と午後の〇時と六時にな。護符はどうした? 持っていれば襲われないはずだろ?」
ラルフが補足して、少女に訊く。ヴィーリにおいて、人々は普段から教会等で配られる護符を持ち歩く習慣があり、それを持っていれば殆どの魔物は退けられるとされていた。
「持っています。ほら」
少女はポケットの中から護符を出し、シスカとラルフ、そしてメーセに見せる。メーセはその札の匂いを嗅ぎ、
「確かに。偽物でもねえな」
「えっと……、取り敢えず、あいつらは倒していいの?」
ずっと黙っていたシスカが声を上げる。「あいつ」ではなく「あいつら」と複数形になっていたことに気付き、ラルフがすぐにシスカの目線を辿った。角から現れたクスダ・シラは全部で三体。
「ああ。――いや、札が効かない理由を訊きたいな。メーセでも、やっぱり会話は不可能か?」
ラルフが問い、
「無理だな。あいつらは下級魔族だ。言葉は持たない」
メーセの返答を受けて、
「そうか。じゃあ遠慮なくやってくれ。奴らは人を襲う」
「だって。メーセ!」
「おうよ」
返事と同時に、メーセは前方に直径三十センチ程の光球を発現させる。暗かった路地は金色に照らされ、光と影がはっきりとしたコントラストで描かれた。
「失せろ!」
そしてその光球を、先頭に居たクスダ・シラにぶつける。眩いその光が消えぬ間に、その後ろに居る二体に向けても同じものを放つ。うるさすぎない爆発音と強すぎない爆風を残し、光球もろとも魔物は消え去った。音と風が止み、辺りに元の静けさと薄暗さが戻る。爆風で舞い上がっていた空中の雪が、再び三人と一体の頭上から降り始める。
「終わったぞ」
「ありがと、メーセ」
メーセの言葉に、シスカが礼を返す。抱きかかえる形で少女の目と耳を塞いでいたラルフが、
「もう大丈夫だ」
言って、少女を解放した。少女は少し走って振り返り、二人と一体に向けて礼を言う。
「あ……ありがとうございました。私、オーリャ・ボリソブナ・ブルコフといいます。もし良かったら、私の家にいらっしゃいませんか? 助けて頂いたお礼に、暖かいお茶をご馳走させて下さい」
オーリャと名乗った少女が早口で発したそれらの言葉に、シスカがしゃがみ、彼女と同じ目線の高さで応える。
「ありがたい申し出だけど、あたし達は今夜泊まる宿を探さなきゃいけなくて……」
それでもオーリャは諦めず、それどころか目を輝かせて、
「それでしたら――」
「それにしても――」
積もった雪を踏み鳴らしながら歩くエイミーが、視線は前方の地面に向けたまま、隣に並ぶエミリオに対して口を開く。そこはヴィーリが誇る巨大工場地帯に程近く、建物や街周辺の山などに反響した機械音と、排煙などの臭いが辺りに満ちていた。
「ヴィーリ周辺では夏以外に雪が止むことは稀だと聞きましたが、それでもヒノサトへの船は正常に運航されるんですか?」
「……あんた、本当に箱入りなんだね」
呆れたような声を出したエミリオもまた振り向かず、歩みを止めずに答える。
「ヴィーリからヒノサトへ向かう船は海上を走るわけじゃない。海中に通った太いワイヤーロープの束を辿って、海の中を移動するんだ。それによって雪でも荒波でも関係なく運行が可能ってわけ」
海中単一軌道船――ポラウォドノ・モノレルブスと名付けられたその船は、一世紀前にはその技術が確立され、二十年程前に完成してヴィーリ‐ヒノサト間を繋いだ。史上初の試みとなったそれは世界中で話題となり、その仕組みも含めて知らない者は殆ど居ないはずだった。
エイミーは納得した様子で何度も頷き、二人の会話はそこで終わった。工場の、金属製の何かがぶつかり合うような音と大型ボイラーの音、そして街の喧騒が二人の沈黙を埋める。
エミリオの先導で大通りを暫く歩き、十数ブロック程歩いたところで路地へと入る。路地の両側には何かの店の面影を残す雑居ビルが並んでいたが、扉や窓は大体が破られ、木の板が打ち付けられていた。到底、営業しているようには見えなかった。物珍しそうに、そしてどこか不安そうな面持ちで周囲を見渡すエイミーを連れて、エミリオは奥へ奥へと入っていく。
そして二人は、その通りでただ一軒だけ、灯りの点いている店を見つけた。一歩近付くごとに、その輪郭ははっきりとしていく。コンクリートのビルと同化した木製の低いウッドデッキ。そこから建物内部へと繋がる扉は、すぐ斜め上に取り付けられた琥珀色のランプで照らされる。建物一階部分に窓は無く、看板らしきものも出ていない。
ウッドデッキへの階段を軋ませながら上がり、
「絶対に店の中を見回したりしないで、何も喋らず、ただ僕の後ろに立ってて」
真剣な表情をして小声でそう言うエミリオに、緊張した面持ちで頷くエイミー。エミリオはそれを確認すると、木製の扉のノブを引いて開ける。寒地であるヴィーリでは多くの玄関が二重扉になっており、やはり現れたのは二枚目の扉。エイミーが外扉を閉めたのを確かめ、エミリオが内扉を開ける。店内側上部に付いたベルが揺れて、やかましい音を立てた。
店内は暖かかった。壁際に置かれた大きめの業務用オイルヒーターがすぐに目に入り、それが唯一の熱源だと解る。周囲を覆うコンクリートは天井から吊るされたランプによって外と同じ琥珀色に色付いており、奥には腰程の高さのカウンターがあるだけだった。
「あらお兄さん、ここはデートで来るようなところじゃなくてよ?」
わざと作ったような、気取った声。カウンターの向こう側に立つ一人の女性が、エミリオに向けて言った台詞だった。外向きに跳ねる長い髪の色は明るく、口には色白の肌に映えつつも目立ちすぎない朱色の口紅。切れ長の目許には青いアイシャドウが入る。カウンターに遮られて上半身しか見えないが、肩から胸許までが大きく開いた赤いワンピースを着ていた。
エミリオは女性の言葉を無視して、顔と声のどちらにも表情を付けずに、
「情報を買いたい」
それを聞いた女性の表情が、若干引き締まったように見えた。