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七号車を歩くラルフとエミリオ。座席の乗客達はざわつき、後ろの車両についての推測を口にしていた。ラルフが口を開く。
「何か、予知したんだろ」
「うん。あの二人は行くと殺される。あんたは――」
眉間に皺を寄せるエミリオを、
「俺は、予知は要らない。死んだら死んだで、そのとき考えるさ」
ラルフはそう言って制した。
「だろうね」
エミリオが息を吐いて言った直後に八号車との連結部分への扉が開き、華奢な青年が姿を現した。所々穴が開いた衣服を纏い、ぼろぼろになったシャツの右袖を左手で引きちぎる。息を荒げる最終学年二班、オム・ギヨンは乗客達の視線を集めながら二人に走り寄り、背中を向けて言った。
「乗客も君らも、逃げた方がいい。あいつはヤバい。俺でも倒せるかどうか……」
魔闘士と呼ばれるタイプの魔術師であるギヨンは手に何も持っておらず、握った右の拳は青色の仄かな光を放っていた。
エミリオはバッグから取り出した札を扇状に広げて左手に持ち、
「悪いけど、逃げるわけにはいかないから」
「俺らはあいつと縁があってな」
ラルフも拳銃を両手構えで前に向ける。銃口は真っ直ぐにギヨンの頭部脇、七号車へとゆっくり歩いてくるボディースーツの男――トリアスへ。乗客達のざわめきは悲鳴に変わり、それを掻き消すようにラルフは立て続けに三発、発砲した。銃身横から排出された薬莢が、周囲の光を反射させながら勢い良く飛ぶ。銃弾は七号車内を翔け、銃声は一瞬にして車両、そして列車全体に響き渡った。
それとほぼ同時にエミリオは構えた五枚の札を投げ、それらは吸い寄せられるようにトリアスを目掛けて飛んでいく。風を切るごとに細くなる札の先端はまるで矢のように、トリアスを射線に捉える。
呆然としたままのギヨンの両脇をすり抜けた札と銃弾は、見事トリアスに命中した。一瞬遅れて振り返るギヨンが目にしたのは、右肩から腕にかけて突き刺さる細く尖った札と、左肩には三発分の弾痕。
トリアスは立ち止まり、口を開く。しかし発せられた言葉は世界で標準的に使われる言葉ではなく、その場に居合わせた者の中では発したトリアス本人と、そのトリアスと同じ場所で造られたというエミリオのみが理解することのできるものだった。
『何をしている、出来損ない』
トリアスの言葉はおおよそそんな意味だった。それに対し、エミリオが返す。
『僕は出来損ないなんかじゃない』
『与えられた任務はどうした? 予定通り俺が放ったグレムリン退治には協力したのか?』
一瞬の沈黙。エミリオは下を向いて息を吐き、
『あぁ、したよ。任務は遂行中だ』
『なら、俺の任務は完了だな。いくら出来損ないでも、我らが親達には逆らうな。二度目は無いぞ』
「おい、一体何を――」
交わされる会話の内容が全く解らず戸惑うラルフがどうにか挟んだ言葉半ばで、
『その魔弾士に、近いうちに決着をつけてやると伝えておけ』
トリアスが言って、空間が揺れる。
そして多数の乗客達の目の前からトリアスは忽然と姿を消した。車内の空気は一瞬にして真空になった場所へとなだれ込み、何事も無かったかのようにその場が静まる。
「終わったよ。奴はもう来ない」
エミリオが言った。
「お前、あいつと何を話した?」
六号車へ戻る途中、ラルフはエミリオに訊ねる。
「……別に、大したことじゃないよ」
エミリオは言葉を濁し、ラルフは何かに気付いたような様子で、
「もしかしてお前……、二人を置いてきたのはネーヴェを通じて会話の内容を知られないためじゃ……」
その問いにエミリオは答えず、立ち止まったラルフだけがその場に残された。
「片付いたよ」
六号車、シスカ達の待つ席に戻ったエミリオが言って席に着き、ラルフがその隣に黙って座る。
シスカとエイミーは昼食を既に摂り終えており、エイミーの膝の上には茶色い紙袋が二つ。
「あ、これ……」
両手に乗る程の大きさのそれらを、エイミーが向かいに座る二人に差し出す。受け取ったラルフが袋を開けると、中にはサンドイッチが三つとカップに入ったお茶が一つ。
「グレムリン退治のお礼だって言って食堂車の人がくれた。足りなければまた取りに来いってさ」
シスカが説明して、
「そうか。そういえばムニエルの代金払ってなかったな」
「それについても、別に気にしなくていいそうですよ?」
エイミーが微笑んで言うが、
「いや、そういうわけにもいかないだろ」
ラルフは後で食堂車に行くことを決め、紙袋に入っていたサンドイッチを口に運んだ。
「美味いな」
暫くぶりの食事の感想と共に、ラルフがお茶を一口。その隣ではエミリオが、受け取った紙袋の中身に手をつけず、しきりに何かを考えている様子だった。
「食べないの?」
シスカが問う。
「今はちょっと。後で食べるよ」
答えたエミリオに、シスカが頷く。エイミーが手帳を開き、
「二班の方々についてですが、ベイツさんは軽傷だそうで、同乗していたお医者様によって手当てを受けています。コナーさんは近くの道で馬車に保護され、別ルートでヴィーリへ。オムさんは特に大事には至らず、かすり傷と打撲程度のようです」
担当講師であるデュクドレーからの連絡を読み上げる。
「そうか」
三つのサンドイッチ全てを平らげたラルフが、指を舐めながら短く応えた。
薄暗い雪雲の下、絶えず降り続く雪で白く染められた大地を、ヘッドライトを点けた列車が一本真っ直ぐに走る。列車の前方にはヴィーリの工場群が発する灯りが見え始めていた。シスカ達を乗せた列車はあと数十分で、ヴィーリの中心に位置するシリヂーナ駅に着く。
「――これは、困ったことになりましたね」
ライプフェルト大学の講師室棟で、最終学年第十二班の担当であるデュクドレーが呟いていた。会議室の扉を後ろ手に閉め、近くの壁にもたれ掛かるようにして立つ。
数時間前、最終学年の殆どの班から同時にトラブルの発生を知らせる連絡があり、事態を重くみたライプフェルトは急遽緊急会議を開いたのだった。会議の中では最終学年の課題自体を一時中止する案も出ていたが、最終的にはもう暫く様子を見るという校長の姿勢に講師の殆どが同意した。
「フェルクタールですか……」
デュクドレーは会議中に出た唯一の手がかりである街の名前を口にする。そして、
「諦めてくれたと思ったんですけどねえ」
そんな言葉を残し、ローブの裾を翻してその場を歩き去っていく。眼鏡の下の蒼い目は細く鋭く、普段冴えない一講師の、それは誰も見たことの無い表情だった。




