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ストレイン(仮)  作者: 犬塚ゆき
第〇章・プロローグ――ミゼル
1/20

01

 冬が終わり、山の雪は溶けて流れる。いくつもの小さな流れが重なり合い、徐々に川へと成長し、そしていくつかの湖に到達する。そのうちの一つであるリトルクエーレは面積にして二十平方キロメートル程の湖で、緑の生い茂る高原――通称「月の丘」の上にあった。

 月の丘の上、リトルクエーレの南側の畔からは、古めかしい建造物の数々で構成される、ミゼルと名付けられた都市を一望することができた。ほぼ正確な円形をしたその街は、この地方でも有数の魔術都市として有名で、世界中の歴史書に載る程の著しい功績を残していた。

 ミゼルの中心にそびえる石造りの鐘塔は、ミゼルに七つある大学のうち最も古い歴史を持つエルスール大学のもの。大学及び鐘塔が建てられたとされる約六百年前から週末と祝日、有事の際を除く全ての日の早朝には鐘が鳴り、ミゼルの平日はその鐘の音と共に始まるのだった。

 因みに今日では街の景観を保つため、ミゼルではこの鐘塔より高い建造物を建てることは法律で禁止されている。つまりエルスールの鐘塔こそが街で一番高い建造物であり、ミゼルのシンボルということになる。


 空の色が薄い青色に落ち着く頃、その日も荘厳にエルスールの鐘は鳴り響き、人々に一日の始まりを告げた。

 月の丘に近いミゼルの北端にもその鐘の音は届く。黒い縦格子のフェンスに囲われた、古めかしい意匠の二階建て。周囲に立ち並ぶ家々よりも一際大きい屋敷だった。蒼い屋根には小窓が三つあり、その一つ一つの上部にはそれぞれ獣を模した石像が据えられる。色褪せたレンガ造りの壁の下方では一部を蔦が這い、鮮やかな緑の模様を作り出していた。

 その日の仕事を終えたエルスールの鐘の音がその余韻を残す頃、屋敷の二階の自室で、シスカ――フランシスカ・シュッツは目を覚ました。七メートル四方程の広い部屋で、床にはベージュのカーペットが敷かれ、鏡台などは廊下への扉がある東側の壁際に。北側にはクローゼットや、魔術書で埋め尽くされた本棚と綺麗に整理された机。二重のカーテンがかかる窓は西と南に。

 西の窓際に置かれたベッドで横になったまま遮光カーテンを開き、乱れた長いブロンドを朝陽に光らせて、小麦色の寝間着を纏った上体を起こす。寝惚けた様子でもぞもぞと右腕を布団から出して人差し指を立てると、ベッド脇の床に向けて振り下ろした。

 ぽん、ぽん、ぽん。とうもろこしの爆ぜるような小さな破裂音がして、彼らは床へと着地する。


 魔術を使う者には大きく分けて魔術師と召喚師の二種類が存在する。基本的には、自らの魔力を直接、あるいは道具を介して発現し効果を得る者が魔術師と呼ばれ、自らの魔力を用いて魔獣を召喚し、その力を借りて効果を得る者が召喚師と呼ばれていた。

 魔術師には、剣を媒介にする魔剣士や銃を媒介にする魔弾士、中には道具を使わず己の拳に魔力を込めて戦う魔闘士など、様々なタイプが居る。召喚師においては中級魔獣一体を常時従える魔獣士と、世界に十八体が現存すると言われる上級魔獣――通称エレメントを暫時召喚する召喚獣士の二つのタイプがあった。中でも召喚獣士は極めて高い能力を要求されるため、魔術師と召喚師に含まれる全てのタイプの内、最も貴重な存在とされている。

 そして、魔術を使う者がその中のどのタイプであるかは殆ど家系で決まる。家系本来のタイプとは別のタイプになろうとする場合や、魔術を使えない家系の者が魔術師や召喚師になろうとする場合などは、希望するタイプの魔術師や召喚師より何年間かの教えを受けることで可能となる場合はあるが、やはり素質は必要だった。

 シュッツ家は先祖代々、魔獣と契約を交わす魔獣士の家系。シュッツ家の子どもは七歳になった年に魔獣を召喚し、その一生を共にするしきたりがあった。

「ネーヴェ、メーセ、フィオーレ、おはよう」

 シスカは目を殆ど閉じたままで、ベッドの脇に現れたはずの彼らに言った。

「お早う御座います、お嬢様」

 三体並んだ魔獣のうち、最初に口を開いたのは向かって左端、ネーヴェ。三体の中で、より高度で扱いが難しいとされる古い魔術を得意とする魔獣だった。鷹によく似た鳥の姿で、くちばしから尾の先までが真っ白く、すみれ色をした鋭い瞳と堅い喋り方は知性を感じさせる。

「おはよう、シスカ」

 次に馴れ馴れしく挨拶をしたのが、真ん中に座るメーセ。主に攻撃系の近代魔術を得意とし、深い紺色の体毛に覆われた狼の姿で、金色の瞳を持つ。ネーヴェより若い、二十代前半の青年のような声色だった。

 そしてその横、一番右端にはフィオーレと呼ばれた体長二、三十センチ程の桃色の兎が床に伏した形で眠っていた。

「フィオーレ、お嬢様の御前ですよ?」

 ネーヴェが嗜めるように声を掛けるが、それでもフィオーレは目を覚まさない。だらしなく開かれた口から滴る唾液は、早くもカーペットに染みを作り始めていた。その顔はとても幸せそうで、時折口をつぐんでは動かして、また開けてを繰り返す。

「メーセ、パス」

 シスカが両手を差し出し、

「まったく、こいつは……」

 濃紺の狼がぼやいて、歯を立てないようにフィオーレの背中を銜えて振りかぶると、シスカめがけて放り投げた。綺麗な放物線を描き、それでも眠ったままのフィオーレが飛ぶ。

 フィオーレは広げられたシスカの両手の上に落ちて、りんどう色の目をようやく開けた。

「あ……、おはようごらいまふ。えへへ」

 そして目を閉じた。再び寝息が聞こえ始める。幼い少女のような声を発したその兎にシスカは頬擦りをして、

「……可愛い」

 恍惚感に満ちた表情でフィオーレを抱きしめた。

「どうしようもねえな」

 溜め息を吐いてそう言ったメーセが綺麗な金色をした目を瞑り、意識を集中する。

 ぱん。

「わっ!」

「あぅっ!」

 シスカとフィオーレのほぼ真上から大きな破裂音がして、それぞれほぼ同時に声を上げた。魔力を一気に空気中の一点に凝縮させて破裂させると同時に、その周りに作り出した防御壁で衝撃をなくして音だけを発生させるという、もっぱら目覚ましのみに使われるメーセオリジナルの魔術。

 ぱん。ぱん。

「わ、ちょっ……、メーセ!」

「あぅ、あぅっ!」

 フィオーレは驚いた拍子にシスカの手からこぼれ落ち、更にベッドからも転げ落ちる。完全に目の覚めたフィオーレが兎独特の走り方で部屋中をぐるぐると逃げ回り、破裂音はその後ろを追いかけていく。

「メーセ!」

 シスカが名前を呼ぶが、音は鳴り止まず。

 ぱん。ぱん。ぱん。

「その辺で止めておやりなさい、メーセ」

 呆れたように頭をもたげたネーヴェが諭すように言い、メーセが黙って破裂音を止める。息も絶え絶えなフィオーレはベッドまで自力で戻り、再びシスカの腕に抱かれた。

「毎朝のことですが、少々やりすぎですよ、メーセ。それとフィオーレももう少し、お嬢様にお仕えしているという自覚を持って下さい」

「自覚を持たせるにはこれぐらいしねえと駄目なんだよ」

 メーセが忌々しそうに吐き捨てて、シスカがフィオーレの頭を撫でながら応える。

「いいじゃない。フィオーレは可愛いし、充分役に立ってるわよ」

「お嬢様もお嬢様です。もう少ししっかりして頂かないと、私どもは亡くなられた旦那様と奥様に顔向けできません。今日からもう最終学年なんですよ? お忘れですか?」

 最終学年。ネーヴェのその言葉にシスカが表情を引き締め、部屋の隅に目をやる。目線の先には前もって用意してあった大きな鞄が置いてあった。

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