君にありがとうを伝える愛の遺書
「別れてほしい。私、ハヤト君とは気が合わないと思うの」
「な、なんで••••••」
陽気の良い秋晴れの日に呼び出された俺、矢野勇翔は唐突に彼女である光永未久に振られた。
••••••俺が初めて恋をし、初めて愛し、3ヶ月といった短い時間を共に過ごした最愛の彼女に拒絶されてしまった。
「ミクちゃん、ど、どうして••••••。俺、何か悪いことした?」
俺には理由が分からない。嫌われるような事もしていないし、共に過ごした時間は楽しかったと思う。
「単にハヤト君と合わないと思っただけよ。それに好みじゃなかったし。暇だったから付き合っていただけだし。それじゃあ、金輪際私の前に現れないでね」
そう、言い残すとミクちゃんは呆然としている俺を残して立ち去ってしまった。
振られてから数分経ち、ようやく理性を取り戻した俺はとぼとぼ歩き、家へ向かう。帰る途中、今までミクちゃんと過ごした日々を走馬灯のように思い出してしまった。
駅前の喫茶店で一緒にパンケーキを食べた。
お互い意地を張って一緒に遊園地のジェットコースターに乗り、共に泣いた。
山の高台に行って共に無数の星々を眺めた。
••••••どれもミクちゃんとのかけがえのない思い出だ。どれもとても楽しく、とても愛おしかった。
気づくと俺は家の前に着いていた。玄関の扉を開くと夕飯の支度をしていた姉の矢野瞳和、トワ姉が出迎えてくれた。
「ハヤ君おかえり〜ってどうしたの? そんなに顔を真っ青にして!」
驚いたトワ姉が俺の顔に手を添える。トワ姉が本気で心配している様子を見ると俺の顔は本当に真っ青なのだろう••••••。
「••••••俺、ちょっと寝る。夕飯は、いらない」
「え? ちょっと!」
一人にしてほしい俺はトワ姉の手を振り払い、自室へ向かう。自分の空間に入った瞬間今まで溜めていた感情が洪水のように押し寄せて来た。
「うぁぁぁあああ」
悲しい。寂しい。心苦しい。虚しい。
俺は彼女に振られ、拒絶され、孤独と言う名の絶望感を感じ、嗚咽が止まらなかった。
◇◇◇◇◇
「ハヤ君朝だよ〜」
翌日、俺はトワ姉の声で目を覚ました。
••••••どうやら、泣き疲れて寝てしまったようだ。昨日あれだけ感情を吐き出し、泣いたおかげで大分スッキリした感じがするが少し虚無感みたいな感じがしやる気がでない。
「••••••おはよう」
「あ、やっと起きた。ハヤ君おはよう」
リビングに向かうと親父と母さんが見当たらないので、既に仕事に行ってしまったようだ。そんな共働きの両親に代わりトワ姉はいつも家事をしてくれている。
「それじゃあ、いただきま〜す」
「いただきます••••••」
俺は少しずつトワ姉が用意してくれたトーストを口に運ぶ。
トワ姉の愛情が籠もった食事が体に染み渡る。いや、昨日夕飯を食べなかったから特別美味しく感じるのかもしれない。でも、トワ姉が作った料理は今までよりもとても美味しく感じた。
いつも通り制服に着替え高校に行く支度をし、玄関へと向かった。
そして、扉のドアノブに手をかけた••••••が、開ける事ができなかった。何故か腕に力が入らない。
高校に行くという事は、即ち必然的に同じクラスのミクちゃんと会わなければならないのだ。それを考えてしまった俺は••••••。
学校に行きたくない。
ミクと会いたくない。
嫌われたくない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
俺は泣きながら自室へ逃げた。そして、歯を食いしばりながら泣いた。
ただ彼女に振られたぐらいで心を壊す自分が嫌いだ。
ただ逃げる事しかできない自分が嫌いだ。
こんな惨めな自分が嫌いだ。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
「ハヤ君、大丈夫? 急に籠もってどうしたの? 部屋入っていい?」
扉越しにトワ姉の声が聞こえる。一人で居たい俺は無視をする。
「••••••返事なしっと、つまり入っていいって事だね! 失礼しま〜す」
俺の意思を無視して、トワ姉が入って来た。
布団に包まっていた俺は隙間からトワ姉の姿をみようとする。すると、トワ姉の手が布団を掴み剥がした。
「はいは〜い。布団干すから退いてね〜」
いきなり、トワ姉が意味の分からない事を言い出す。
「一人にしてほしいって顔してるね。でも、そんな涙でべとべとな布団で寝られてもね。ほら退いた退いた」
俺は自室にある椅子に移動させられた。そして、トワ姉が手際よく布団を干す様子を呆然と眺めていた。
「そういえば、トワ姉大学••••••は?」
トワ姉は近くの大学に通っており、今日も講座があるはずだ。
「う〜ん。弟がこんな状況で大学に行けるほど神経図太くないからね。それにハヤ君も高校サボってじゃん」
つまり、俺のせいでトワ姉が大学に行けないって事だ。とても申し訳なく感じる。
「俺を気にしないで大学に行けばいいのに••••••」
「そういう訳にもいかないよ。ハヤ君が辛そうにしてるんだもん」
そう言うとトワ姉は俺を包み込むように抱きついた。その温もりは優しく暖かかった。そして、優しく俺の頭を撫でてくれた。
「私はハヤ君がどうしてそんなに辛そうなのか分からない。でも、それを共に考えてる事はできる。さぁ、私に悩みを言ってみてよ。こう見えて、お姉ちゃんはよく相談役をやってるんだよ」
トワ姉の優しい言葉が俺の心に染みる。そして、俺は事の顛末を偽りなく全て話した。
「ふ〜ん。大好きだった彼女に振られたのか〜。それでハヤ君はどうしたいの?」
「••••••え?」
「だから、ハヤ君はどうしたいの? ここで止まっていても何も起きないよ。自分から動かないと何も変わらないよ」
トワ姉の厳しい言葉に俺はうろたえる。
確かにそうだ。何もしないのなら楽でいいかもしれないが、自分から行動しないと何も変わらない。
「どうして振られたか知りたい。なんでミクちゃんに嫌われたのか、ミクちゃんにとって俺と過ごした時間はどうだったのか、俺は知りたい••••••」
「流石、私の自慢の弟! そうでなくちゃ。いつまでもいじけてばっかりいても何も変わんないもんね」
トワ姉のおかげで勇気が出た俺は早速、鞄を持ち高校へ行こうとする。
「あ、ちょっと待って」
「ん? トワ姉どうかした?」
高校へ行こうとする俺をトワ姉が服を引っ張って止める。
「あのね••••••、ハヤ君、風邪で休むって高校に言っちゃってね••••••、その••••••、風邪をひいている子が高校に行くのはちょっと変かな〜って••••••」
つまり、俺が部屋に籠もった時に高校休みそうだから先に連絡してしまったという事らしい。まぁ、トワ姉が俺のためにやってくれたみたいだし大丈夫なんだけど、やる気がね••••••削がれちゃった。
「そうだ、気分転換でちょっと遊びに行こうよ!」
「え?」
いきなり、突拍子もない事を言い出す。
「え? 俺家に居たいんだけど••••••」
「お姉ちゃんとデートは嫌なの?」
「いや、そんな事ないけど、さ••••••」
「なら行こうよ! ささ、準備して。制服で行くわけにはいかないしさ」
そう言うとトワ姉は俺の部屋から出て行った。トワ姉への恩返しと思って今日はわがままを聞いてあげようと思う。
俺はタンスから服を取り出し、着替える。最近はミクちゃんと釣り合うようにファッションの勉強もしたため、多少マシにはなってると思う。
着替え終わった後、俺はリビングへ行く。リビングには既にトワ姉が待っていた。
「お〜。ハヤ君かっこいいじゃん。それじゃあ行こうか」
「トワ姉、何処に行く予定?」
「う〜ん。買い物して、映画でも見ようか!」
「了解」
◇◇◇◇◇
トワ姉と服を買ったり、人気の映画を見たり、一緒にご飯を食べたりした。けれども、どれも何かたりないような感じがした。
「今日のデートはどうだった? 楽しかった?」
「うん。楽しかった••••••でも、何か足り無いような気がしたよ」
「だろうね。多分元彼、ミクちゃんだっけ?その子とのデートと無意識に比べてたんじゃない」
そうなのかな••••••。そうかもしれない。時々、ミクちゃんとならもっと楽しめたのではないか、と思ってしまうことが多々あったからだ。
「まぁ、最愛の人とのデートに勝るものはないって事だね。でもね、それだけハヤ君がミクちゃんを愛しているって事なんだよ」
トワ姉がそう言うと俺の頭を優しく撫でる。
「明日は頑張ってね。お姉ちゃんはいつまでもハヤ君の味方だから」
次の日、俺は高校へ行く準備をし玄関へと向かう。
「頑張ってね」
「トワ姉、昨日はありがとう」
「どういたしまして。最後にお姉ちゃんから一言! 当たって砕けろ! だよ!」
「いや、砕けたら駄目だろ」
俺とトワ姉は苦笑し合う。トワ姉の言葉はとても俺に勇気をくれた。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
俺は何事もなく高校に着いた。道中、ミクちゃんの姿を見る事ができなかった。
「お、ハヤトじゃん。風邪大丈夫か?」
俺のクラスの室長が話しかけてきた。
「あぁ、もう大丈夫りちゃんと元気になったよ。それよりミクちゃん何処に居るか知ってる?」
「ミクちゃんなら病院じゃない? 先生もそう言ってたし」
「え?」
ミクちゃんが病院?
「ミクちゃん病気なのか!? 何処の病院だ!?」
俺は教えてくれた友達の肩を持ち揺さぶる。
「ちょ! 酔う酔う! 離してくれ」
「す、すまない」
「お前、ミクちゃんの恋人なんだろ? なんで知らないんだ?」
「聞かされていない。振られたから」
「あ、なんとなく察したわ。そう言うのネット漫画で見たことあるから。多分、総合病院にいると思う」
何を察したのか分からないけど、ミクちゃんが居る場所が分かって良かった。
「情報、ありがとうな」
「どういたしまして。それと、昨日配られたプリントも持って行ってやれ。これで面会できる口実を作れるからな」
「何から何までありがとうな」
「おう。でも業後に行けよ。ここまで来たんだから授業は受けていけ」
今すぐにミクちゃんのところに行こうとする俺に言う。
確かに高校まで来たのだから授業は受けた方がいいな。それに授業についていけなくのが怖い。
「分かったよ。授業終わったら行く事にする」
「おう。プリントよろしくな」
授業を受けたがミクちゃんの事で頭がいっぱいになり、一切内容が入ってこなかった。どうして病気なのを黙っていたか。どうして別れたのか。そればかり考えていた。考えている内に授業も終わり、帰りのSTになっていた。そして、STも終わり室長が俺に近づいて来る。
「ほれ。プリントよろしくな」
「色々とありがとうな」
「おう。それより、さっさと復縁して来い。昼飯の時のお前の顔酷かったからな、マジで」
「復縁できるかどうかは知らないけど、どうして俺を振ったのかちゃんとした理由は聞いてくるよ」
俺はそう言い残すと総合病院へ向かった。後ろで手を振っている室長には感謝しきれないな。
俺はスマホでマップを開きながら総合病院へ向かう。
「あの、光永未久さんの同級生の矢野勇翔と申します。光永未久さんと面会したいのですけど大丈夫ですか?」
「はい。分かりました。こちらの面会簿に記入してください」
「分かりました」
俺は面会簿と呼ばれるリストに名前などを書く。
へぇ〜。病院の面会ってこうやって管理してるんだ。
「書き終わりました」
「はい。それではこちらの面会証を首にかけてください。光永未久さんは303号室です」
「はい。分かりました」
俺は案内図を見ながら入院病棟の3階へ向かう。
はぁ、ここまで来たけどめっちゃ緊張する。なんて話しかけよう。嫌ってる相手に来られたら困るかな••••••。
「あ••••••」
「え••••••」
3階への階段を登り、廊下に出ると歩いていたニット帽を被った少し痩せているミクちゃんと鉢合わせてしまった。
ミクちゃんは顔を真っ青にし、走って逃げていってしまう。咄嗟に俺はミクちゃんの手を掴み逃さない。
「••••••どうして来たの」
「ミクちゃんとちゃんと話がしたかったから」
「あれだけ拒絶したのに、なんで••••••」
苦しそうな、泣きそうな顔をしながらミクちゃんは言う。
何故、そのような顔をするか俺には分からない。でも、ここではちゃんと伝えないといけないような気がした。
「そんなの決まっている。ミクちゃんの事が振られても、拒絶されても、どんなことを言われても大好きだから」
その言葉をミクちゃんに言うと泣きながら俺に抱きついてきた。俺はいきなりの事でどうすればいいか分からなくなったが、トワ姉が俺を慰めてくれたようにミクちゃんの頭を撫でてあげた。
「そろそろ、病室に戻った方がいいんじゃないかな。ここ廊下だし」
「••••••そうだね。ここで話するのもなんだし」
俺達はミクちゃんの病室へ入った。ミクちゃんの病室は一人部屋で思っていたよりも大きく清潔感がある部屋だった。
「そこの椅子に座って」
俺は来客用の椅子に、ミクちゃんはベットに座る。
ど、どうしよう。気まずい••••••。何喋ればいいか分からない。
「••••••それで、ここに来た理由は何?」
ありがたい事にミクちゃんから話を振ってくれた。
「どうして俺を振ったのかちゃんとした理由を聞きたかったから来た」
「それは別れた時に言ったでしょ。単に気が合わないと思ったから」
「それは嘘だろ?」
痛いところを突かれたような顔をミクちゃんがする。そもそも、それが本当なら俺とこんなふうに話し合わない。
「なぁ、本当の事教えてくれないか?」
ミクちゃんは俯きながら口を開く。
「••••••ハヤト君に大切な人が死ぬところを見てほしくなかった。私の弱ったところを見てほしくなかった。嫌われたくなかった。だから、わざとハヤト君に嫌われるような事を言いました。••••••嘘をついてごめんなさい」
ミクちゃんは涙を零しながら言う。俺を振ったのはミクちゃんなりの優しさなのだと感じた。
「馬鹿だな••••••。俺がそんな事で嫌いになるわけないじゃん。ミクちゃんの弱いところも優しいところも全部大好きなんだから」
「うぁぁぁぁあ、ありかとぉ」
そう言うとミクちゃんはまた俺に泣きながら抱きついてくる。俺の服は既にミクちゃんの涙でぐしゃぐしゃである。
それよりも、さっきの会話で気になる事がある。ミクちゃんは『死ぬ』と言った。その言葉が俺の心に引っかかる。
「ミクちゃん、ミクちゃんはなんの病気なの?」
「••••••私は肺癌なんだ。しかもステージ4••••••」
••••••癌のステージ4つまり末期である事を意味する。この場合、移植するか何かしないと死んでしまう事になる。
「しかも、癌が見つかったのがつい最近だからドナーが見つからないんだよ••••••。まだ私は17歳。まだまだこれから色んな人生を歩むところだったのになんでこんな事になるのかな••••••」
ミクちゃんは悔しそうに泣きながら言う。そんなミクちゃんを見ていると俺も貰い泣きしそうになった。
ミクちゃんのために何もできない。最愛の人を助ける事ができない悔しさで胸が苦しい。
「ハヤト君。私、生きたい。生きたいよぉ」
苦しいそうな顔で泣くミクちゃんが俺に訴えかける。
今、俺にできること。ミクちゃんを助けられる、救える方法はあるのか、俺は脳をフル回転させ考える。そうして、浮かび上がった1つの考えを心に決め、ミクちゃんの手を取る。
「ミクちゃん。君はもうすぐ死んでしまう。その事実を変えることはできないし、どうにもできない。でも、残りの余生。残された時間を自身持って生きていこうよ。死ぬ時、『私は生きたな』って実感できるように。俺も手伝うからさ」
俺の言葉にミクちゃんは涙を流すのを止め、不意をつかれたような表情をする。そして、涙を拭う。
「••••••そうだね。いつまでもへこたれていたって何も起きないもんね。私、頑張って生きてみるよ」
「良かった。それで、ミクちゃんにはやりたい事とかある?」
「••••••う〜ん」
少し考えるとミクちゃんは口を開く。
「紙とかある? 書き出した方が後々振り返れるからね」
「あ、そうだ。これ室長から。学校で配られたプリント」
プリントを手にしたミクちゃんは少し内容を見ると裏の白紙のところにやりたい事だと思われることを書き始めた。
「ちょっ! それって大丈夫なプリントなんじゃ」
「大丈夫だよ。もう学校は辞める予定だったし」
辞めるから別に大丈夫なのか? いや、親に見せないといけなくないか? まぁ、ミクちゃんが大丈夫って言うなら多分大丈夫なのかな••••••。
「う〜ん。今、思いつくのはこれだけかな。ハヤト君はちゃんとこれを叶えてね」
書き終わったやりたい事をミクちゃんがウインクをしながら俺に渡してくる。
•袴を着てみたい。
•イルカに触ってみたい。
•ハヤト君と見た星空をもう一度見たい。
•ウエディングドレスを着てみたい。
この4つが書かれていた。
「え? これだけしかないの?」
「うん。体の調子的に激しい動きとか沢山食べたりできないもんね。そんな事よりもハヤト君との思い出を作りたいから」
そう言う彼女に俺は更に心を惹かれた。
◇◇◇◇◇
ミクちゃんと関係を修復した週の日曜日。俺は車椅子に乗ったミクちゃんと共に水族館へ来ていた。
ミクちゃんの容態はどんどん悪くなり、今ではゆっくり歩けるかどうかの状態である。何故、体の悪いミクちゃんをここに連れて来れたかと言うと、癌の患者などの余命が短い患者は残りの時間を自分の意思で決め、行動できる場合があるからだ。
「わぁ〜。ハヤト君凄い光景だね! ものすご〜く綺麗だよ!」
沢山の魚達が踊り舞う巨大な水槽を見てはしゃいでいるミクちゃんを見て、ホッとする。まだまだミクちゃんが元気そうで良かった。
「そういえば、本当に親御さんも来なくて良かったのか?」
「大丈夫大丈夫。今日はハヤト君とデートするために来たんだから」
ミクちゃんが意外と恥ずかしいことを言う。
正直、病院でミクちゃんのお父さんから『娘のことを頼む』って言われた時はめっちゃあたふたしてしまった。ちなみに、今回のデートへ行く場所の予約をミクちゃんの親御さんが行ってくれたので、物凄く感謝している。あ、勿論分割だよ。流石に全額出してもらうのは気が引ける。
「もうすぐドルフィンタッチの時間じゃない? 早く行こうよ」
「あぁ、もうそんな時間か。よし、行こうか」
俺はミクちゃんの車椅子を押しながらドルフィンタッチの会場へ向かう。
「予約していた光永です」
「お待ちしていました。ささ、こちらへ。車椅子はこのまま入れますので」
「ありがとうございます」
「早く行こうよ! イルカちゃんが私を待ってる!」
「そんなに急いでもイルカは逃げでいかないよ」
興奮してるミクちゃんを宥めながら、スタッフさんの案内でイルカがいるプール?へ向かう。
「ここで少しお待ちください」
スタッフさんがそう言い、ホイッスルを吹く。すると、一匹のイルカが水中からツルツルの床を滑り、俺達のところへ来た。
「触る時はそっと、脅かさないようにしてください。それと口は危険なので」
「「分かりました」」
俺とミクちゃんはそっと、優しくイルカの腕を触る。イルカの腕は意外と弾力があり、ツルツルしている。
「おぉ〜。凄いよハヤト君」
「結構、弾力があるな」
「それにツルツルしてる」
「それでは記念撮影しますね」
数分イルカを触った後、スタッフさんはカメラをポケットから取り出し構える。そして、数枚写真を撮った。
「本コースはこれでお終いです」
「あぁ〜。可愛かった」
「そうだね」
「こちら、現像した写真です」
「ありがとうございます」
多分、撮影したらすぐに現像される仕組みになっているのだろう。現像するまでの時間がとても短かった。
ミクちゃんの死ぬまでにやりたい事の1つを終えた俺達は水族館を出て、撮影と貸衣装できるスタジオへ向かう。
「予約していた永光です」
「永光様ですね。お待ちしていました。こちらへ」
最初にミクちゃんは別室へ袴に着替えに行った。レンタル代は今まで親御さんが貯めていた結婚資金を使うらしい。
ミクちゃんが着替えに行ってから30分ぐらい経ったころ、スタジオの扉が開いた。
「お待たせ〜。結構着付けに時間ってかかるんだね」
そこには、化粧をばっちり決めたとても美しいミクちゃんの姿があった。あまりの美しさに俺は思わずドキッとしてしまう。
「それでは撮影いたします」
スタッフさんは手際のよい動きで撮影を行う。俺はフラッシュの多さに多少驚く。撮影は数十分続き終わった。
「ふぃ〜、疲れた」
「お疲れ様。長い時間フラッシュにあたってたけど大丈夫?」
「あれぐらい大丈夫だよ。それより次はハヤト君もおめかしするんだよ」
ミクちゃんがいきなり、そんな事を言う。え? 俺もおめかしするの?
数十分後、俺は結構高そうなタキシードを着せられていた。しかも、俺も化粧を施された。
スタジオに戻ると、純白の美しいドレスを身に纏った天使と見間違えそうな美しさを放つミクちゃんがそこに居た。
「お。ハヤト君、かっこいいよ」
「あ、ありがとう。ミクちゃんも可愛いよ」
「えへへ」
あまりの美しさに直視できない。これ程、可愛い女性を見たことがない。
「それでは撮影いたします」
スタッフさんが撮影を開始する。思っていたよりもフラッシュが眩しくて驚いた。学校の学生写真を撮るときとは比較できないほど眩しい。
数十分、撮り続けようやく終わった。
「お疲れ様〜」
「お疲れ。それより、俺も撮ってもらって大丈夫だったの?」
「私のお金だから別に大丈夫なの! それにウエディングドレス撮るなら旦那さんもいないとね」
そう言いながらウインクするミクちゃんに物凄く惹かれる。このままでは俺がまともに会話できなくなると感じた。
「それじゃあ、着替えて星空見に行こうか」
「そうだね」
俺達はすぐに着替え、前に共に星空を見た山の高台へ向かう。外に出ると既に日が暮れ、暗い世界が広がっていた。すぐにバスに乗り移動する。
「そういえば、門限とか大丈夫なのか?」
「大丈夫、外泊届け出してきたから今日はこのまま家に帰るよ」
その言葉に安心する。もし、門限とかあったらどうしようかと思っていたから。
「う〜ん。ここは車椅子じゃ無理そうだね」
高台に着いたものの、こんな山奥の高台にエレベーターとかがある訳がなく、石製の階段があるだけだった。
「下から見る?って言っても木しか見えないね」
「俺がミクちゃんを背負うよ」
「ありがとう」
俺はミクちゃんを背負って階段を登る。ミクちゃんの体は思っていたよりも軽かった。病気で体重が落ちたのだろうか。
高台のてっぺんに着くと、夏来たときとは違う美しい星空がそこにあった。俺とミクちゃんは高台にあるベンチに腰をかける。
「やっぱりここは綺麗だね。でも、少し寒いね」
今は秋だけれども、夜はとても冷える。ミクちゃんには少しきついだろう。
俺はコートをミクちゃんにかけてあげる。
「ありがとう。でも、ハヤト君寒くない? あ、そうだ。こうすれば寒くないよ!」
ミクちゃんは俺に密着し、二人でコートに入れるようにする。
確かに寒くない。けど、ちょっと待って、色々当たってるよ!
「ふぃ〜。ハヤト君の体温かいね」
ミクちゃんが俺の耳元で言う。めっちゃゾクゾクするからやめてほしい。
「ふふ、ハヤト君今日はありがとうね。こんな後先短い私をさ、愛してくれて。こんなに大切にしてくれて」
俺の隣で星空を見上げながらミクちゃんが言う。そして、彼女の顔が俺に近づき唇に柔らかい感触がした。俺はいきなりのことで呆然とする。
「ふふふ。これは私を愛してくれたお礼ね」
この後、星空を見ながら愛の数だけ唇を重ねた。
◇◇◇◇◇
俺は急いで病院へ向かった。肺が苦しくても、足が疲れても、走ることをやめない。
授業が終わり、スマホを見るとミクちゃんのお父さんからミクちゃんの容態が急変したと連絡があったからだ。
「ハァ、ハァ、ミクちゃんは••••••」
病院に着き、お父さん達の様子を見る。ミクちゃんのお母さんは泣いており、お父さんは下を向いたまま固まっている。俺はミクちゃんの容態を見て膝から崩れ落ちる。ミクちゃんは青白くなっており、命の気配を感じない。予想よりも早く亡くなってしまったようだ
「••••••ミクちゃんの最後はどんな感じでしたか?」
「••••••安らかに眠った。心臓発作らしい」
「••••••そうですか」
その言葉に安心した。ミクちゃんが苦しまず逝くことができたからだ。
「ミクからだ」
お父さんは俺に手紙らしき、いやミクちゃんからの手紙を俺に渡す。
俺はミクちゃんの手紙を開く。
[拝啓、最愛なる矢野勇翔様へ。
これを読んでいるという事は私はもうこの世にいないという事だね。勇翔君が励ましてくれた言葉、『私は生きたな』と誇りを持って死ぬことができたと思います。勇翔君には感謝してもしきれません。病気になった私を変わらず愛してくれた、大切にしてくれた。そのことがとても嬉しかったです。でも、これからは勇翔が『私は生きたな』と誇れるように私の分まで精一杯生きてください。最後に、『愛してくれてありがとう』]
読んでいるうちに自然と涙が溢れてきた。
最後は泣かないようにしようと思ったんだけどな••••••。俺はいつか天国でミクちゃんに『私は生きたな』と誇れるよう精一杯生きていこうと心に決めた。