アリカ版小柳さんはバタフライマスク着用
――アリカ・イ・パリナコータ支店に来て4ヶ月。
薄暗い部屋の中。目の前にチャイナドレス風の真紅のドレスを着た美女が立っている。
俺がアリカ版小柳さんと命名した、褐色肌のスレンダー眼鏡美女。もっとも眼鏡といってもバタフライマスクだが。
太ももまであるスリットから引き締まった細足を出すと、彼女は怪しげな笑みを浮かべてゆっくりと俺の頬を撫でる。
そのまま押し倒しても許されそうなシチュエーションだが、俺から彼女に触れることはない。
うん。だって、俺は緊縛されてるからね。
しかも上半身を縛り上げ、足は背中から頭に近づける逆海老縛りときたもんだ。
いやぁ、宙吊りじゃなくて良かった。
美女に触られるのはドキドキするのだが、もちろん俺に縛られて興奮するような趣味はない。そしてここはそういったお店でもない。
「ふふっ、アンタのおかげでアタイ達は大金持ちだね」
未来を想像してか、舌なめずりする美女。
そう。俺は――誘拐された。
遡ることおそらく数時間前。
アウラちゃんに水やりをしていた俺は、突然目の前が真っ暗になった。
何かを頭に被せられたのだが、今思えばあの顔が刺されるようなチクチク感は麻袋だったのだろう。
体は抑えられ手足が強く縛られる。
大声を出そうとしたのだが、腕に当たる柔らかな感触に気を取られてる隙に首に激痛を感じ、気がつけばこの部屋だ。
まぁ、シュナウザーさんの方が手際がよかったとは思うが、あの感触を使う巧妙さは侮れない。
俺を連れ去ったのは美女と大女の二人組。
大女の方は部屋の窓からチラチラと外を窺っている。
「俺をどうするつもりですか?」
なるべく下手に質問すると、美女は「ふふっ」っと笑うと指で俺の顎をクイと上げた。
「別にどうもしないさ。アンタの店にあるポーションさえ手に入ればアタイ達はそれでいいんだ。知ってるかい? ポーションは二つ隣の国じゃ、この国の倍の値段で取引されてるんだ」
「本当に!?」
まさかボッタクリの値段から、さらに倍とは。
「なんだ知らなかったのかい? だからこの国じゃそのほとんどを国が管理してるんじゃないか。アンタの店に直接買いに行けるのは一部の人間だけさ」
いやいやいや、店長だけどそんなルール知らないし。普通に子供が買いに来ても売っちゃうし。
知らない現実に狼狽えていると、大女が口を挟んできた。
「タリアナ。本当にこの人を人質にとると大金が手に入るの?」
見かけによらず可愛らしい言葉遣いの大女。
「心配ないよ、イリエナ。コイツはこれでも店長と呼ばれる重要人物って話だよ。特級ポーション200本ぐらい、すぐに持ってくるさ」
「そ、そっか」
特級ポーション200本。
俺の命の値段は……日本なら16万円。
やべっ、涙が溢れそうだ。
そのまま会話を聞いていると、二人の身の上話が始まる。
もともと狩猟で生計を立てていたがチームに恵まれず、うだつの上がらない生活を送っているようだ。
そこで浮上したのが俺の誘拐計画。
つまり彼女達は根っからの悪人ではなく、ちょっと足らない考えでこんな事をしでかした訳だ。
バタフライマスクで顔を隠すあたり、素人なのだろう。
「そろそろ置き手紙に書いた時間だよ。イリエナ、表で待機していてくれるかい?」
「うん。褐色の少年が持ってくるだよね?」
「あぁ、そうだよ。少年といっても油断するんじゃないよ」
イリエナは大きく頷くと部屋の外に出ていってしまった。
しかし置き手紙って。
まぁ、リスファなら俺の身の安全を守るために一人で来そうだ。
イリエナが出ていって5分ほどした頃だ。
激しい音を立てて乱暴に開かれる扉。
その向こうから現れたのはリスファだった。
リスファってこんなにハードボイルドだったっけ?
「店長、無事っすか!?」
「店長、無事か?」
リスファの後ろから現れたのは鎖帷子を纏った男。
この国で戦士の実力なら5本の指に入るとされているリーダーだ。
ですよねぇ。扉を蹴破るなんてリスファはしないもんねぇ。
だが未だかつてリーダーがこれほど頼もしく感じたことはない。
「——なっ!? 一人で来いと言ったはずだぞ! 表にいたイリエナはどうした」
「気絶しているさ」
なんかリーダーがカッコよく見えるぞ!
「店長、すいませんっす。自分は一人で行くって言ったんすけど、ハンスさんが無理矢理ついてきたっすよ」
予想外の男の出現に、タリアナは下唇を噛み忌々しい目つきで睨みつける。
「こっちには人質がいるんだ。分かってんのかい!」
俺の首元に冷たく無機質なものが押し当てられる。
そんな脅しをリーダーは鼻で笑うと大槍を身構えた。
俺の命がかかってるんだ、リーダー慎重に頼むぞ。
「店長心配するな。店長の首が掻っ切れる前に、俺の槍がコイツを貫く。なぁに、もし大怪我したってちゃんと特級ポーションは用意してあるから大丈夫だよ」
リーダーの言葉に俺は、震えるように小さく何度も首を横に振った。
ダメダメ! それダメなやつ!
死亡フラグが立ってるから!
俺が栄養ドリンクを飲んだところで、君達みたいな効果はないから!
全身に冷や汗がダラダラと流れてくる。
人間本当の危機に直面すると、ここまで汗が出るのか。
「リ、リ、リ、リーダー」
俺の掠れる声に、リーダーは穏やかな笑みを浮かべた。
「店長、今助けるからな。ちょっと痛いのは我慢してくれ」
ちっがーう!
いいじゃん、栄養ドリンク200本セットぐらいあげればいいじゃん!
日本で買えばそんなに高くないから!
「最終通告だ。死か解放か、どちらかを選べ」
無駄にかっこよさげなセリフに、タリアナは余裕のない顔で俺とリーダーを交互に見る。
俺にとってもリーダーの言葉通りの結果しかない。
一番安全な道はリーダーによって潰されてしまった。
「くっ」
タリアナはまだ迷っているが、暴走してちょっとナイフに力を入れるだけで俺の人生が終わる。
早鐘を打つ心臓。
俺は掠れた声を必死に絞り出した。
「タ、タリアナ。(俺の)命を無駄にしちゃいけない。もう……やめるんだ」
「アタイにこのまま騎士団のお縄につけっていうのかい」
タリアナは行き場のない怒りを俺に向けた。
「違う。本当の君は優しい人だ。たった数時間だけでもそれは分かる。このまま手を引いてくれるなら、こちらも大事にするつもりはない」
「アタイを見逃すっていうのかい。……なんでそこまで」
タリアナが顔を歪ませる。
もう一息だ。
「この世に死んでいい人間なんていない。君には笑って過ごして欲しいんだ」
タリアナが天を仰ぐと、彼女の手から抜け落ちたナイフが床に突き刺さる。
俺は安堵のため息を吐くと、身構えていたリーダーにもう終わったんだと小さく頷いた。
「店長、大丈夫っすか?」
「おっ、――リスファ」
ダイブするように飛びついたリスファは、身動きできないままの俺の体を強く抱きしめた。
こうも心配されると嬉しいもんだが、なるべく早くロープを切ってもらいたいものだ。
崩れるように床に座り込むタリアナ。
リーダーは彼女の前に立つとこちらに顔を見て向けた。
「なぁ、店長。この女はどうするんだ?」
「どうもこうもしないよ。さっきも言った通り事を荒立てるつもりはない。それよりもリーダー、俺の縄ーー」
「店長がそう言うんなら……分かった。おい。お前、俺のチームにくるか? どうだ?」
俺の言葉を遮って、リーダーはタリアナに手を差し伸べた。
いや、勧誘はいいけど俺の縄をだね。
「アタイが……アンタのチームに?」
「あぁ。それだけの行動力があるんだ、俺のチームでもうまくやっていけるだろ? それにうちのチームは稼ぎがいいしな。もちろん表で伸びてる大女も来ればいい」
柄にもなく照れているのか、リーダーは頭をボリボリと掻いている。
そしてタリアナは小さく口元を綻ばせた。
「揃いも揃ってアンタ達はお人好しなんだね。本当にいいの?」
「あぁ、店長のお墨付きだ」
俺は何もお墨付きはあげていないのだが、うまく纏まるならそれでいい。
だから早く縄を。
タリアナは芋虫状態でリスファに抱きつかれたままの俺に近寄ると、スッとバタフライマスクに手を伸ばした。
アリカ版小柳さんと名付けたタリアナの素顔登場にドキドキしてしまう。
そしてついにご開帳……って、思ってたのと違う。
いや、その美人に見えなくもないが、なんか微妙というか。マスクは理想の顔を想像させるので、3割り増しに美人に見える説は正しかった。
「こんな事して、ごめんね。そしてありがとう」
「えっ、あっ、うん」
「水に流すなんて都合がいい事だけど、アタイ頑張るよ」
「よしっ、それじゃ今から歓迎会だな!」
いや、盛り上がるのはいいけど……。
その後リスファが縄を切るまでの20分に渡り俺は逆海老状態を続けたのだった。