違うんだ、誤解だ! 出来心だったんだ!
「ねぇテンチョー。アタシまたアレが欲しいなぁ」
柔らかな身を擦り付けながら、耳元で吐息を吹きかけるように囁かれる。
「あ、アレってなにかなぁ?」
「もう! 分かってるクセに! アレよ! 少し小さいけど黒くてとっても硬いアレ。さっきはいっぱいかけてくれたでしょ?」
背筋に嫌な汗が流れる。
たった一度の過ちがここまで尾を引くとは。
その場から逃げ出そうとしたのだが、彼女の体に絡み付かれ、それも叶わない。
「だ、ダメだ。もう二度としないと、固く誓ったんだ」
「テンチョー。ねっ、もう一回。もう一回だけでいいからぁ」
先ほどのことを思い出したのか、恍惚の表情を浮かべた彼女は俺を押し倒し体を弄りだした。
「店長、なにしてるっすか?」
店の庭先。ドン引きの顔でこちらを見るリスファ。
誤解を受けた俺は腹の底から大声で叫んだ!
「ち、違うんだ! 誤解だ! ちょっとした出来心だったんだ!」
そう、これは出来心だったんだ。
『葉山くん。資材を送るついでに欲しい物があったら送るから書いてね』
石版にメッセージが来たのは10日前の事だ。小柳さんは定期的な栄養ドリンクの補充と一緒に荷物を送ってくれる。
さすがにここに来て2ヶ月近くも経つと、日本の物も恋しくなる。
続きの気になっていた漫画や小説。カップラーメンやインスタントコーヒーなどは、妙に口に入れたくなってしまう。
その時窓からアルラちゃんが見えると、ふと思いついた。
いつも水をせがむ彼女に肥料を与えたら、喜ぶんじゃないかと。
彼女には最初は驚いたものの、水をやれば体をくねらす姿は可愛く思うものだ。リスファはペットと言っていたが、なるほど庇護欲が出てくるものだ。
そこで小柳さんへの欲しいものリストに肥料を追加したわけだ。
資材と一緒に届いたのが今朝。
リスファと栄養ドリンクを倉庫に片付け、俺の個人的なものを部屋に置くと、肥料を片手に庭に来たわけだ。
小柳さんが送ってくれたのは化成液体肥料。
俺はアルラちゃんの前に立つと、笑顔で話しかけた。
「なぁ、アルラちゃん。これ、俺が住んでるところの美味しい食事なんだ。食べてみるかい?」
「タベモノ? ミズ、チガウ? オイシイ、タベル」
体をくねくねと揺らすアルラちゃん。
実に微笑ましい。
俺はボトルに書かれた注意事項を読んで、ちょっとずつアルラちゃんの根本に液体肥料を撒いた。
だが、アルラちゃんの様子がおかしい。
茎を左右に大きく振る姿は、まるでイヤイヤポーズだ。
「テンチョー、マズイ。コレ、マズイ」
「――えっ!? 本当に?」
俺は液体肥料を投げ捨て、慌てて水を撒いた。
少しは薄まったのか、アルラちゃんの動きが小さくなっていく。
「ごめんな、アルラちゃん」
「イイ、テンチョー。デモ、アレ、イラナイ」
許してくれたアルラちゃんにホッと胸を撫で下ろし、液体肥料はゴミ箱へ。
その時、俺のポケットから瓶の触れ合う乾いた音がした。栄養ドリンクを片付けていた時に、サンプル品を入れといたんだった。
……そういえば。
ここの住人は栄養ドリンクを飲めば常軌を逸した効果がある。じゃあアルラちゃんにも効果があるのかな? と、邪な考えが過ぎったのだ。
ついさっきマズイと言われたが、その分喜ばせたい思いは膨らんでいる。アルラちゃんに「オイシイ」と言わせたいのだ。
俺は黒い瓶をポケットから取り出すと、再びアルラちゃんの前に立った。
「ねぇ、アルラちゃん。これ、ちょっとだけ飲んでみる?」
もちろん無理に飲ませるつもりは無い。嫌がったらそこで止めるつもりだ。
アルラちゃんは見えているのかいないのか、ツタの隙間から不思議そうな顔をすると「タベル」とハスキーボイスで応えた。
栄養ドリンクは100mℓと少量だが、またマズイと言われる可能性もある。
キャップに半分程度注ぐと、アルラちゃんの根本で傾けた。
「――オイシイ!」
「本当に! じゃあもっとあげるね」
オイシイの一言に気を良くした俺は、残りを全部振り撒いた。
ご機嫌で体をくねらせるアルラちゃん。
俺も満足だ。
こんなことなら早くあげれば良かっ――!?
それは目に見えてハッキリと分かった。
アルラちゃんの幹がみるみる太くなり、光を反射するような光沢を持ち始める。
俺の胸ほどだった体長もグングンと伸び、二階の窓にも届きそうな勢いだ。
そしてお辞儀をする様に茎を曲げると、俺の顔の前には妙齢の女性の顔が迫っていた。
ツタに隠れていた少女の顔は大人になり、そのツタは艶やかな長い髪のように見える。
可愛らしい植物だった姿は、胴体の茎はそのままに、上部は人を形どっていた。
植物には性別などないはずだが、美しい顔の下には確かな膨らみがあり、下半身は植物、身体は緑色なものの、上半身は美女であると言っても過言ではないだろう。
もちろん俺の心のうちは――やっちまった! である。
「ねぇテンチョー。アタシまたアレが欲しいなぁ」
そして喋りも流暢になったアルラちゃんは、俺に抱きつくように纏わりついたのだ。
「ってことは、これがアルラちゃんっすか?」
「そう……なるな」
リスファの助けを得て、なんとかアルラちゃんの手から逃げ出せた俺は正座をしていた。
日本人たる者、悪いと思った時は正座だ。
このままじゃマズイと門には「本日休み」の札をかけ、リスファと作戦会議だ。
「店長、これに味をしめたアルラちゃんが栄養ドリンク欲しさに客に手を出し始めたら、店は終わりっすよ」
「だ、だよな」
腕を組んで鈍い顔をするリスファの言う通りだ。
成長したアルラちゃんのツタは店の入り口にも楽に届くほど伸びている。
アルラちゃんがこれ以上成長するのも困るし、もしお客さんの栄養ドリンクを狙い出したら目も当てられない。
「いっそアルラちゃんを別のところに植え替えるっすか?」
「いや、それは……ダメだダメだ! こうした責任は俺にある。それに万が一移植してアルラちゃんの体に影響が出たらどうするんだ!」
「でも、このままじゃヤバいっすよ?」
アルラちゃんがアレほどの表情をするんだ、よほど極上の味がするのだろう。
知ってしまった味を無理やりお預けにするなど残酷な話だ。
打開策が思いつかないまま時間は過ぎ、俺はちゃんと話をしようとアルラちゃんに近づいた。
途端に俺に抱きつくアルラちゃん。
しかし何故か呼吸が荒く、いつもは冷んやりとした体が熱を帯びている。
「はぁ、はぁ……テンチョー、どうしよう。体が熱いの」
「お、おい、アルラちゃん!?」
その巻きつくツタに力を感じられない。
栄養ドリンクを与えてから2時間ほど。
今になって副作用が出たのかもしれない。
「アルラちゃん! アルラちゃん!」
俺に寄りかかる彼女を抱き抱え、何度も呼びかける。
アルラちゃんは腕で俺の顔を撫でると、儚げな笑みを浮かべた。
「はぁ、はぁ……テンチョー、そんな悲しい顔しないで。アタシ、幸せだったよ」
「アルラちゃん! ダメだ! 死んじゃダメだ!」
アルラちゃんが最後の力を振り絞って言葉を発していると直感する。俺の目からはボロボロと涙が留めなく流れていた。
俺の軽率な行動で、今、大事な命が一つ消えようとしているのだ。
ギュッと抱きしめると、耳元で弱々しいハスキーボイスが囁いた。
「テンチョー……ありがとう」
腕の中で冷えていくアルラちゃんは……体をくねらせる。
――いや。なんか、めっちゃ冷たい。
俺の全身に水が降り注いでいるのだ。
顔を振り向かせると、リスファが器用にポンプを漕ぎながらホースでこちらに散水している。
「ハァァ! ミズ、キモチイイ!」
凝縮するように体を縮ませたアルラちゃんは、いつも通りの姿に戻り、体を揺らして気持ちの良さを現していた。
「やっぱり、キツい液体は薄めるのが1番っすよ」
「……あぁ、それね」
呆れ顔のリスファにずぶ濡れの俺。
まぁ、泣いていたのがごまかせるからいいんだけどね。
その後何度かの実験を経て、キャップ1杯分の栄養ドリンクを水で薄める方法が確立された。
アルラちゃんは多少の成長を見せるが時間と共に元の姿に戻るし、あの時のような副作用を起こすこともない。
1日1杯だけの楽しみが出来たとアルラちゃんはご機嫌で、俺はさらに懐かれたようだ。
俺が近づけば「テンチョー、テンチョー」と体をすりつけてくる。
嬉しい反面、アルラちゃんの食費は爆上がりだ。
さすがにここでの値段は高いので、社員割引かつ日本価格で売って欲しいと小柳さんに頼むとしよう。