親睦を深めるはずだったんです
――アリカ・イ・パリナコータ支店に来て1ヶ月。
まぁ、ようやくというか、ここでの生活にも多少は慣れ、俺の常識を塗り替える毎日にも耐性が出来つつある。……いや、「諦めた」という言葉が妥当だろうか。
1日に訪れる客は10人にも満たないが、ここにやって来る半数は「病院と間違えてませんか?」と、ツッコミたくなる怪我人達。
いや、あの栄養ドリンクの効果を知ったから、分からなくもないが。
ほら、また右手をだらりとぶら下げた怪我人が、店の床に点々と赤い模様をつけながら入って来た。
「チーィっす、店長! 右手をぽっきりやっちゃってさぁ。上級ポーション頼むよ!」
「はいはい、上級ね。リーダーさぁ、毎日毎日よくお金が続くね?」
「そりゃあその分稼いでるから」
得意げに口角を上げるこの常連客。俺がこの店にやって来た時に生死の淵を彷徨って、アリメントRで復活したあの男だ。
ガタイがよく、鎖帷子姿で槍を担ぐ物騒な格好だが、短く刈られた金髪は爽やかな印象を与えてくる。
見たところ20代後半といったところだろうか。
何やら危険な獣を仕留めることを生業とした狩猟グループのリーダーで、名前は確か……そう、ハンスだ。俺もついリーダーと呼んでいるので馴染みがないのだ。
命をかけてる仕事だけあって収入はいいらしく、あの初日は別として、いつもニコニコ現金払いだ。
「毎日来るくらいなら、まとめて買っていけばいいのに」
「そりゃそうだけど、獣を換金しないとお金が無いだろ?」
「――んっ!?」
リスファからアリメントSを受け取ったリーダーは、そのままグビリと飲み干すと、感触を確かめるように右肩をグルグルと回す。
あっけらかんな発言に思わずスルーしそうになったが、ちょっと待て!
「なぁ、リーダーは稼いでるんだろ?」
「稼いでるさ。だからこうやってここのポーションも買えてるだろ?」
「ちなみに今いくらある?」
「なんだ、人の財布の中身が気になるのか? えーっと、さっき換金したばかりだからな。おっ、金貨10枚に銀貨16枚だな!」
皮袋の中身をカウンターに並べたリーダーは、自慢げな顔で鼻の下をスッと指で擦った。
「じゃあ、さっきのポーション代を引いても金はあるわけだ。悪いことは言わない。あと2本買ってけ」
「――っ!? ちょっと待て店長。そんなに買ったら今日の宴会が出来ないじゃないか!」
あっ、こいつ持ち金は全部使い切るタイプのやつだな。
「リーダー、ちょっと後ろを見てみろ」
俺に催促されて振り向くリーダー。
「何が見える?」
「……壁?」
「違う!」
「んー、じゃあ入り口?」
こいつの目にリスファは写ってないのか?
「違う! リスファは何をしている?」
「んー、モップ掛けかな?」
「なんでしてると思う?」
「綺麗好きだか――」
「違う! 君が血で床を汚したからだろ? じゃあもしリーダーがここに来る前にポーションを飲んでいたらどうなる?」
質問に両腕を組んで眉間にシワを寄せるリーダー。
いや、そんな難しい質問じゃないぞ!
リーダーはしばらくの沈黙したあと、閃いたようにパッと顔を輝かせた。
「ここの売り上げが減る!」
「ちっがーっう! その前に買っていたら売り上げは同じだ! あのな、リーダー。もしここに来る前に飲んでいたら怪我が治ってるだろ? 元気な体でここに入れば床も汚れない。違うか?」
「……いや、怪我をするからここに来るんだけど」
ダメだ。
根本的に考え方が違うんだ。
説得を諦めた俺は無理やりポーションを買わせると「いいか、使い切ったら元気な状態で買いに来い!」と念を押す。
渋い顔をしたリーダーも、最後には「分かったよ」と項垂らして店を出て行った。
モップ掛けを終えたリスファは「店長、これが自分の仕事っすから大丈夫っすよ」なんて言っていたが、俺に言わせれば無駄な労力だ。
奴らの意識改革から始めようと、俺は次々くる客にストックの重要性を説いて回った。
その日の営業を終えて腹を膨らませると、自室に戻った俺はリスファのことを考える。
リスファはとても優秀だ。
ビックリするほどよく働く。
栄養ドリンクの売り上げ管理に店舗の掃除。
在庫管理も徹底しており、使用期限が3年あるとはいえ、先入先出しをキチンと守っている。
他にも庭の手入れにダチョウの世話。家事全般もリスファがしてくれている。
俺の担当はお金の管理と発注業務になる。そろそろ小柳さんに送る発注書も、リスファがまとめた今月の売り上げ分をそのまま石版に書き込み送るだけ。
はっきりいってめちゃくちゃ楽な仕事だ。
俺のここでの生活費は全額会社が負担してくれる。
基本給の25万円は毎月日本の銀行に振り込まれる予定で、それとは別にここでの売り上げの1%が歩合として支給される。
ここの売り上げを甘くみていた時は海外勤務としては薄給かと思っていたが、単純に去年の数字を考えれば、毎月35万円以上が加算される。
日本に帰る頃にはそれなりのお金が通帳に記載されているだろう。
そんな俺に比べ、手取り給料金貨1枚、銀貨8枚(6万4000円)のリスファ。
いくら俺と同じく衣食住が完全支給とはいえ、俺の10倍以上の働きだ。給料UPも進言しないといけないだろう。
石版にそれとなくリスファの給料のことを書き込んだ俺は、自身の体が汗ばんでいることに気づく。
そう言えばまだ風呂に入っていない。
日本人の習性か、やはり風呂に入らなければ1日が終わった気はしないものだ。
寝巻きの短パンにTシャツ、ボクサーパンツを手に1階の風呂場に向かうと、脱衣所には黄ばんだ民族衣装が綺麗に畳まれた形で置かれている。
先客がいたようだ。
出直そうかと思ったが、ご苦労様と背中を流してやるのも親交を深めるきっかけになるかもしれない。
そう思った俺は中のリスファに呼びかけた。
「おーい、リスファ。俺も入るぞ」
「はぇっ! えっ!? な、な、何言ってるっすか!」
返ってきたのはすっとんきょうな声だ。
そういえば一緒にお風呂に入るという習慣は日本独特だったっけ?
俺はその素晴らしさを教えようと「日本には温泉ってのがあって、見知らぬ者同士が……」とウンチクを語りながら服を脱ぐ。
風呂場からは何かをひっくり返したような騒がしい音が鳴り、扉を開けた俺を迎えたのは盛大な飛沫だった。
別にリスファが意図してかけたのではない。
俺が入ると同時に湯船に飛び込んだのだ。
「そんなに慌てなくても……たまにはこういうのもいいだろ?」
「……ブクブクブクブク」
お湯に口まで浸かっているせいで言葉は泡となると、湯船で体操座りをしているリスファはプイと顔を背けた。
それを見た俺は苦笑いすると風呂椅子に腰掛け、桶で湯船からお湯をすくって頭からかぶる。
さすがにシャワーといった便利なものはないが、室内はそこそこ広く、湯船も2畳ほどの大きさがある。
さすがは日本企業の所有する支店の風呂だ。
頭を洗い終え、ポリエステルのボディタオルを泡立てながら無言を貫くリスファをチラと見る。
普段片目を隠している黒髪は後ろに流され額を露出させていた。
今まで気にしていなかったが、幼さが残るせいか整った顔立ちは中性的で、濡れた黒髪が妙に色っぽい。
って、俺は何を考えてるんだ!
「リ、リスファ。背中流してやろうか?」
「――もう、洗ったっす!」
「そ、そうか」
なんだか妙に気まずい。
嫌なら先に上がればいいのにと思うのだが、リスファが湯船から動く気配は無い。
もうすぐ体も洗い終わるのだがどうしよう。
そのまま出ていくなら何しに来たんだという話だ。
掛け湯で泡を洗い流した俺は、リスファとあい向かいに湯船に入った。
「――っ!?」
声にならない声を発したリスファはさらに体を縮こませる。
相変わらず顔は背けられたままだ。
おかしい……。親睦を深めるはずが逆に溝が出来てしまった。
このままでは明日からの仕事にも支障をきたしてしまう事態だぞ。
その時、俺の頭にある考えが浮かんでしまう。
漫画で見たようなお約束な展開。
――もしかしてリスファって女の子?
いやいやいや、まさか……。
だが妙に体を隠す姿勢や、その顔立ち。
そういえば一度もリスファが男と確認したことはない。
今更性別を聞く?
それで「女っすよ」なんて言われた日には、俺は犯罪者の仲間入りだ。
いや、聞く聞かないの問題じゃないか。
そのまま出ていけばいいものの、俺はつい視線を湯船に落としてしまった。
そう、いうならば反射的に。
わずか数瞬――視線を戻した時には、顔を赤らめプルプルと震えるリスファの顔があった。
「――店長!」
「あっ、いやっ、うわっ……」
いうが早いか俺は湯船から飛び出ると、床に頭を擦り付ける。
土下座だ。
「すいませんでしたー!」
謝り通すしかない。そう本能が訴えている。
ひたすら謝り続けていると、大きなため息が聞こえた。
「はぁーっ。店長の国ではお風呂は1人で入らないんすか?」
「その、俺の国では大衆浴場とかがあってな、ごく普通のことなんだ」
俺が頭を下げたまま弁明すると、しばらく沈黙が訪れる。
気分は判決待ちの囚人だ。
するとクスクスと笑い声が聞こえた。
「分かったっす。もういいっすよ。恥ずかしがった自分が馬鹿みたいっす。ちなみにここではそんな風習はないっすからね!」
「以後気をつけます」
顔を上げると口を緩ませるリスファがこちらを見ていた。
「じゃあ、先に上がるっすよ」
「あ、あぁ」
そしてなんの抵抗もなく湯船で立ち上がるリスファを見て、俺はおののいた。
無駄な脂肪のないスラリとした肢体。
そして俺より遥かに立派なものがぶら下がっている。
いや、あの、リスファ君。
君が男で嬉しいのか残念なのかは分からないが、1つ言わせて欲しい。
恥ずかしいのは粗末なものをぶら下げているこっちの方だと!
俺は「男は大きさじゃない」と自分に言い聞かせながら湯船に浸かるのだった。
なんとかショックから立ち直った翌日の夕方。
あの常連客が嬉しそうに店にやって来た。
「チーィっす、店長! ちゃんと元気な姿でやって来たぞ!」
元気にズカズカと入る姿を見れば、怪我がないことは分かる。俺の言いつけを守り、ポーションを飲んでからここに来たのだろう。
「なぁ、リーダー。ポーションはいつ飲んだんだ?」
「ちゃんとここに入る前に飲んだぞ!」
だろうね。
怪我は治っているけど、血塗れの姿だもんね。
床には血の足跡だらけだよ。
確かに約束は守った。
守ってるけど――
「着替えてから来ーい!」
俺の叫びは虚しく響き、理解してないリーダーは満面の笑みを浮かべるのだった。