チリ(外国)を日本の常識で測るのは難しい
――アリカ・イ・パリナコータ支店に来て3日。
通信用の石板を目の前に、俺の指は止まっていた。
黒い石板には白い文字で「葉山くん、もうそっちの暮らしには慣れたかな?」と浮かび上がっている。
壊れたかと思われていた石板だが、どうやらこれは相手が返事を出すまで、映された文字が更新されない不便なものだった。
つまり連続で書き込ことは出来ず、相手からの返信がなければ連絡を取ることも出来ない。
そのために決められた、1日に最低2回のやり取り。
俺の唯一の癒しの時間なのだが、小柳さんの単純な質問に応えることができない。
理由は簡単。
カルチャーショックの連続で、「慣れました」とは指が折れても書けない。
どう書こうかと思い悩んだ俺は、この3日間を振り返った。
ダチョウに乗って港から1時間。
鬱蒼とした森を抜け平原に出ると、畑で包まれた丘の上、こちらを見下ろすように広がる白を基調とした街が目に飛び込んでくる。
街は城壁に囲まれており、遠くには西洋のお城のような巨大な建物がそびえ立っていた。
「あれがアリカの街っすよ」
こちらに顔を向けたリスファは誇らしげな顔で街を指で指し示す。
石造りの立派な門までくると、リスファはダチョウを減速させ、石畳の上にトンと飛び降りる。
俺もリスファに倣って降りると、門前の全身鎧を纏った衛兵に、リスファが何やら説明し始めた。
衛兵達は頭を下げ「ご苦労様です」と俺に言うあたり、清水製薬のこの街での評価は高いようだ。
海外では栄養ドリンクが貴重なものなのだろうか?
街の中に入ると10mはありそうな石畳の道が真っ直ぐに伸び、脇に立ち並ぶ石造りの建物。そして多種多様な人達が行き交っている。
……多種多様すぎだろ?
白人に黒人。
2メートルを超える大きなオッさんや、子供のような体躯のオバさん。
髪色もバラバラで茶髪や金髪はもとより、青やピンクなどカラフルな人もいる。
さらにはテーマパークで見かけるような、頭にウサギや猫、犬のような耳のついた帽子を被る者。仮装パーティーでもあるのか、着ぐるみを着ているヤツもいる。
服装に統一性は見られないのだが、重装備の騎士っぽい人や、着流しで剣を携えてる人、杖を持つローブ姿の者など、なにやらゲームの世界にでも迷い込んだ気になってしまう。
「な、なぁ、リスファ。今日は祭りなのか?」
「祭りっすか? あぁ、再来月には祭りはあるっすけど、それまではないっすよ?」
「そ、そうか」
どうやらこれが日常らしい。
外国だから日本の常識と違うとは思うのだが、中々にショッキングな光景だ。
ダチョウを引きながらリスファの案内に従い、メイン通りを右に折れて路地に入っていくと、大きな「清水製薬」と書かれた看板。別世界を感じていた俺にとって、見慣れぬ街にある漢字は異様な光景だ。
「あそこが支社っすよ」
高い塀に囲まれた二階建ての建物。
建物自体はさほど大きくは感じないが、鉄でできた門を開けると、ちょっとした広さの庭や、ダチョウの厩舎のような建物があったりと、敷地はかなりの広さのようだ。
「ちょっと待っててくださいっす。馬を繋いでくるっす」
ダチョウの手綱を渡すと、リスファは2匹を連れて小屋へと消えていく。
俺は庭に置かれた切り株のような椅子に腰掛けて周りを見渡した。
庭に敷き詰められた芝は綺麗に刈りそろえられており、隅の畑のような場所にある見たことのない植物も手入れされてるのが分かる。
ふと、手が汚れてることに気付いて立水栓を探したのだが見当たらず、変わりに手動式のポンプを発見した。
珍しいものがあるものだと思い、取ってを何度か上下に動かすと、勢いよく飛び出した冷たい水が俺の足元を濡らす。
――それはいい。
問題なのは、かすれたハスキーボイスで「みずーっ、みずーっ。腹減った、みずーっ」と気味の悪い声が聞こえることだ。
いやいやいや、何この幻聴?
額を手の平で押さえ、小さく息を吐き出すと、建物の際に生えた植物と目が合う。
んっ?
目が合う?
緑色で俺の肩ほどもある、螺旋を描く太い茎を持つ植物。
その頂上部からいくつも垂れ下がるツタの隙間に、少女のような顔があるのだ。
「あぁぁーーぁ! なぁぁぁーーぁ!」
腰が抜けてその場に尻餅をつくと、俺の叫びを聞いたリスファが「どうしたっすか!」と慌てて厩舎から駆け寄ってきた。
「あ、あ、あ、あれ! しゃ、しゃ、喋った」
震える手で植物を指差すと、リスファはホッと胸を撫で下ろす仕草をして、植物に水を与え始める。
植物は満足げに体をくねらすと「しあわせぇ」と、甘美さを持つ声を上げた。
「リ、リ、リスファ。な、な、なんだこれ?」
「アルラちゃんっすか? 会社のペットみたいなもんっす」
「そ、そ、それ、しょ、植物だろ?」
そりゃあ、世の中にオジギソウとかハエトリソウとか動く植物がいるのは知ってる。
が、断じて喋る植物など聞いたことが無い!
リスファといえばキョトンとした顔でアルラちゃんと呼んだ植物を撫でている。
「店長の国では喋らないっすか? まぁ、国が違えば色々違うっすよ」
そうなのか?
そりゃあ俺は日本以外の国が詳しいわけではない日本ですら知らないことが山ほどあるだろう。
俺の一般常識がここまで通用しないとは。
だが、目の前で起こった事は事実。
もう少し南米の秘密を勉強してくるべきだったと、深く反省するのだった。
リスファの手を借り立ち上がると、職場へと案内される。
重厚な鉄の扉を開け中に入ると予想以上に涼しく、ほのかに甘い香りがする。
間取り的には玄関はなく、18畳ほどの部屋には物販用のカウンターと、それとは別にカフェスペースのような丸テーブルと椅子が2組置かれている。
「ここが店になるのか?」
「そうっすよ。二階は店長と自分の居住場所っす。地下は倉庫っすね。順番に案内するっすよ」
「地下があるのか!?」
「あるっすよ」
あっけらかんと言い放つリスファは俺の手を引き建物内を案内し始めた。
一階は店の部分と応接室に台所とトイレ。他には風呂場があった。
仕組みは分からないが水回りの衛生状態は良く、不快な匂いも無い。
外のポンプからして下水があるようには見えないが、現代日本の快適生活に慣れている俺には嬉しい話だ。
二階には部屋が4つ。
俺とリスファの個室があり、残りの2つは今は空き部屋だそうだ。
俺にあてがわれた部屋にはベッドに机、タンスや椅子といった家具が置かれていた。
8畳ほどの部屋だが物が少ないからか広く感じる。
床には絨毯が敷かれており、壁は石張りだが圧迫感はなく、居心地は良さそうだ。
リスファの部屋は立ち入り禁止とのことで覗かせては貰えなかった。
問題の地下だが、石積みの階段を降りると頑丈そうな扉があり、大きな錠前がかかっている。
リスファが鍵を開け扉を開くと、冷んやりとした空気が俺の肌を撫でる。
はっきりいって肌寒い。
棚が立ち並び、見慣れた清水製薬と書かれた木箱がいくつも並んでいる。
もちろん中身は栄養ドリンクだが、見る限り相当な数を保管しているようだ。
「なぁ、リスファ。ここって地下だよな? なんでこんなに明るいんだ?」
ここには電気はない。
何かをするには十分な明るさがあるが、発光源は見当たらなかった。
「うーん、そうっすね。ここじゃなんっすから、上でお茶でも飲みながら説明するっすよ」
一階の店に戻るとリスファは手招きして俺を台所によんだ。
そして案内された時には気づかなかった、真四角の金属製の箱を開ける。
「これって……冷蔵庫か?」
「そうっすね。ちゃんと冷えてるっすよ」
確かに手を差し込むと箱の中は冷えている。
氷が入っているわけでもない。
変わったものといえば、ただの丸い石が置いてあるくらいか。
「店長の国では電化製品ってのが主流らしいっすけど、この国は石文化なんすよ」
「石文化?」
「そうっす。ほら磁石ってくっつく石は知ってるっすよね? ここだと、そこにあるような冷たい石、他にも熱くなったり光ったりする石があるっすよ」
石は聞いたことがないが、液体で言えば燃えたり凍ったり光ったりはあるか。
「使い方とかはあるのか?」
「基本的には同じ石同士をぶつけたりするっす。地下の光る石は特別性っすけど、部屋の天井とかの石は日中に蓄光して夜に光るっすよ。
だから曇りや雨の日が続くと消灯は早いっす。逆に天気の続く日はカーテンをしておかないと朝まで明るいっすよ」
苦笑いを浮かべたリスファだが、消したい時に消せない不便さはあるものの、電気が無いなりにこの土地ならではの生活の知恵があるようだ。
その時、店の方から鈴のような金属音が聞こえた。
「あっ、お客っすね。店長の初仕事っす!」
背中を押されて店側に戻ると、髭を蓄え金属鎧を纏った中年の男がカウンター前に立っていた。
「マーチンさん、久しぶりっすね」
「そりゃそうだろ。しばらく店を閉めやがって。おっ、そいつが新しい店長か?」
俺は男に軽く頭を下げ、カウンターの中に入る。
そして俺は、我が社の栄養ドリンクがこの国でどれほどの価値を持つのかを知るのだった。