せめてエキゾチック美女の国に
……体を揺さぶる振動で目が覚める。
ズキリと頭に痛みが走るとおぼろげながらも記憶が……。確か甲板に出たら小柳さんが船を降りていて――あっ!?
俺は咄嗟に身を起こした。
見渡せば、あの船の一室だ。
床に敷かれた布団で寝……気絶していたらしい。
夢でなければ、俺はどこかの大海に浮かぶ漁船の中にいるのだろう。
小刻みな振動と、波を思わせる大きなうねりのような揺れ。
部屋全体から響く機械音が少々うるさい。
分かっている。
いくつもの漫画や映画で観てきたじゃないか。
拉致同然で船に捕らえられた俺は、このまま売られていくのだ。
地獄の強制労働か、どこぞの金持ちの奴隷か、はたまた臓器を取り出されて売られてしまうのか。
あの会社は俺のような純粋な人間を騙して売ることで、右肩上がりの業績をなし得ているに違いない。
あぁ、「せめてエキゾチック美女の多い国に、男娼として売られる未来にして下さい」と、僅かな希望を神に祈る。
その時、上部にある甲板へと続く扉が開かれ、ゆっくりと大男が室内に降り立った。
『さぁ、今から講習を始めようか。まずは服を脱げ』
大男の顔がそう言っている。
俺は身を守るように腕を組み小さく震えた。
「気が付いたか、葉山」
「――す、すいません。無理です! 講習無しでもちゃんと働きますから!」
「……そうか。まぁ私が教えられることなどしれてるからな。だが、そのマニュアルには目を通しておいた方がいいぞ」
大男は少し驚いた顔をすると、部屋の隅にある簡易キッチンらしき所へと足を運んだ。
実技講習を回避した俺はホッと胸を撫で下ろすと、床に置かれた冊子に目をやる。
最近の風俗はマニュアルや動画での講習も増えたというが、中身を見るのが怖い。
だが下手に見ずに大男が「やはり実技指導だな」と言い出せば、菊門をこじ開けられる可能性もある。
俺は震える手で冊子をめくり、目を見開いた。
〜アリカ・イ・パリナコータの生活〜
まるで小学生向け販促物のように漫画仕立てで書かれたそれには、現地の生活水準や業務内容について触れられている。
そう、男娼は想像の産物だったようだ。
安堵とともに乾いた笑いが出てしまう。
しかし、全てがすっきりした訳ではない。
小柳さんはこの船にはおらず、俺は確かに薬品のようなもので眠らされた。
油断は禁物だ。
俺は意を決して大男に話しかけた。
「あの……これは拉致ですか?」
遠回しに聞くはずが、俺の口から発せられたのは直球ど真ん中。大男はフライパンを振りながらこちらを振り返ると、眉をひそめる。
「葉山。何を言ってるかは分からんが、お前は清水製薬アリカ支店に行くためにこの船に乗ったんじゃないのか?」
「えぇ、そうなんですけど……その、船が出る時に」
大男は何かを思い出したように鼻で笑った。
「なるほどな。私の仕事はお前と荷物を無事に現地まで運ぶこと。なのにお前が甲板から飛びそうとしていたんで、少々手荒だが実力行使させてもらった」
いやいやいや。無理矢理眠らせて出航とかないから。それはヤクザの手口だから。
「納得してない顔だな。とりあえず飯を食え。話はそのあとだ」
調理を終えた男がテーブルを取り出し始めたので、俺は言葉を飲み込み一旦冊子を片付ける。
テーブルに並べられた料理は肉野菜炒めに白いご飯、スープ。香ばしい匂いに俺の腹が音を立てる。
せっかくなのでと箸に手をかけたのだが、大男は目を閉じて何やら祈りの言葉を口にし始めた。
気まずさを感じた俺は箸を置き、合掌して「頂きます」と頭を少し下げた。
大男が食べ始めるのを待って料理に箸をつけたのだが……。
「――っ! 美味っ!」
思わず言葉と笑いが溢れてしまった。
色合い的には豚肉なのだが、牛肉を遥かに超える旨みと肉汁。
そのままペロリと平らげた俺をみて、男は満足そうな顔をしていた。
話を聞けば大男は清水製薬から依頼された運び屋らしい。
名前はシュナウザー。
本来は商品である栄養ドリンクの配送をしているのだが、アリカ支店に出向する者がいると、こうして一緒に連れていくそうだ。
俺一人の飛行機代くらいケチらないで欲しい。というか漁船で運搬はヤバい荷物を連想させるのだが。
「葉山、私は操舵室に戻る。何かあればそこのチャイムを鳴らせ。あとは好きにしていい」
いくつかの質問に答えたあと、シュナウザーさんはチンと鳴りそうなベル型の置物を指差して、部屋を出て行ってしまった。
一人部屋に残された俺は、再び冊子を開いて目を通したのだが、読み終えた感想としては……なんだこりゃ? だ。
仕事内容は栄養ドリンクの販売とその管理。
新規顧客の開拓や他店への卸売りなどはしない、ただの販売業務。
現地社員が一人いてサポートしてくれるそうだが、規模としてはとても小さな仕事のようだ。
そして記されていた現地の生活。
支店の中に居住スペースがあるらしいので、生活は支店で行うことになる。
その他の買い物や食事など、生活に携わるほとんどのことも現地社員がサポートしてくれるのはありがたい。
だが、アリカ・イ・パリナコータは俺の想像を超える田舎のようだ。
交通機関に乏しく、電気が普及してないのでスマホはもちろん、テレビや冷蔵庫、洗濯機といった家電製品は使えない。
そこまで詳しくは書かれていないが、ざっくりといえば200年ほど文明が遅れていると想像出来そうなところだ。日本でいう江戸時代の終盤といったところだろうか。
日本が恵まれてるだけで、海外はそんなものかとも思うが、なおのこと栄養ドリンクなんて需要があるのかと思ってしまう。
そして仕事のことも、若社長が言った「小柳さんと頑張れ」も全くの嘘ではなかった。
俺との連絡をやり取りするのが小柳さんだからだ。
――詐欺だと言いたいが!
小柳さんが通信手段と言っていた黒い物体を手に取ると、それなりの重さのそれを回しながら調べてみる。
とてもじゃないがハイテク機械とは思えない、ただの石板だ。
使い方も見たが、指の先端に水をつけて文字を書くと、小柳さんが持つ石板に文字が浮かび上がる仕組みらしい。
冊子にはごく真面目に書いてあるが、どんな技術が使われているのだろうか?
半信半疑で「小柳さんと一緒じゃなくて寂しいです」と指を滑らせる。確かに石板には子供が書いたような白い文字が浮かび上がった。
不思議なのはそのあと布で拭こうが息を吹き掛けようが文字が消えないことだ。
さっそく壊したのかもしれない。
背中に嫌な汗をかいた俺は、石板が視界から消えるようにスッと隅に押しやった。
……暇だ。
読み終えた俺はそのまま大の字に寝転んでいたのだが、することがない。
せめて小説か何か時間を潰せるものを持ってくればよかった。
スマホは当然圏外。
部屋を物色しようかとも思ったが、それでシュナウザーさんの怒りを買ったら目も当てられない。
今が朝なのか夜なのかも分からないとストレスも溜まるものだ。
外に出るくらい怒られないよな?
そう思い立った俺は急な階段に足をかけ、甲板に出る扉を持ち上げた。
――外は見たこともない世界だった。
鼻につく潮の香りと強い風。
満天の星に、見渡す限りの黒い海。
この世のものとは思えない美しさに、思わず感嘆のため息が出てしまう。
灯りの少ない山奥の夜空を画像で見たことはあるが、肉眼で見るこの光景はやばい。
断言しよう。
このシチュエーションでプロポーズをしようものなら99%成功すると。
小柳さんがここにいないことが悔やまれる。
そんな雑念を脳裏に浮かべていると、すぐ横にシュナウザーさんが立っていた。
「どうだ、日本ではなかなか見れない景色だろ?」
「えぇ、本当に」
夜空を眺めていると、一際光を放つ三日月が見える。
「月が綺麗ですね」
俺がボソリと呟くと、ギョッとした表情で一歩距離を取るシュナウザーさん。
「……私にそんな趣味はないぞ」
会話の流れをぶった斬る言葉だ。もちろん俺にもそんな趣味はない。
「ただの感想です」
「そ、そうか」
「そういえばアリカ・イ・パリナコータはどのくらいで着くんですか?」
「このまま順調にいけば5日というところだな」
思ったよりも早く着くようだ。
普通の船なら20日はかかると思ったのだが、この船はなかなかに高性能のようだ。
「外の景色を眺めるのもいいが、甲板の上は危ない。
あまり出歩かないでくれよ」
操舵室へと戻っていくシュナウザーさんを見送った俺は、そのまま夜空を見上げるのだった。
「おい、葉山。そろそろ着くぞ」
「はい、下船の準備をしておきます」
この5日間でそれなりに仲良くなったシュナウザーさんの言葉に、少ない荷物をまとめ始める。
退屈だと思われた船旅も、終わってみれば貴重な体験の連続だった。
神秘的な景色や、突然訪れた暴風雨。
巨大生物との遭遇や、謎の巡洋艦に追いかけられもした。何故か記憶は途切れ途切れだが、あの冒険活劇は日本では味わえないものだろう。
それでもようやく辿り着く陸地に、俺は胸を弾ませていた。
やはり人間、地に足をつけた生活が1番だ。
ゆっくりとスピードが弱まるのを体で感じると、俺は荷物を背負い甲板に出た。
青空が広がる中、船は石造りの船着場に寄せられていく。
港というには船の数は少ないが、視界の奥には住居がポツリポツリと立ち並んでいる。
ふと、看板を掲げた少年が目につく。
『歓迎! 葉山支店長!』と書かれていれば、反応しないわけにいかない。
案内役を見つけた俺は振り返り、シュナウザーさんに頭を下げた。
「シュナウザーさん、ありがとうございました」
「私の仕事はここまでだ。荷物の方はこっちの業者に渡しておく。武運を祈っているぞ葉山」
握手を交わして6ヶ月後の再開を固く約束すると、シュナウザーさんは「餞別だ」と、見覚えのある箱を二つ手渡してきた。清水製薬の高級栄養ドリンク『アリメントF』だ。
これを飲んで頑張れって意味だろうが、嬉しいながらも複雑な心境だ。
俺はもう一度シュナウザーさんと漁船に頭を下げると、看板を持つ民族衣装のような黄ばんだローブ姿の少年に近づいた。
片目を隠す黒髪に、褐色の肌。
俺より頭一つほど小さな体躯は、まだ10代半ばだろうと想像させる。
「葉山店長っすか? 待ってたっす。自分、アリカ店の従業員で店長の補佐するリスファっす! よろしくっす!」
「俺が葉山だ。これからよろしく頼むよ、リスファ」
まさか補佐役が少年だとは思わなかったが、不安だった言葉も通じたようだ。
まぁ、少々なまって聞こえるスペイン語だが、聞き取る方も問題なさそうだ。
「さっそく馬で店まで向かうっすよ」
「あー、うん。馬?」
そりゃチリまで船の会社だし、交通機関に乏しいのは書類を読んで知っている。
車での移動とならないのは分かっていた。
だがこれが――馬?
俺には馬の姿を確認することは出来ない。
リスファ少年が指差す動物は、体長3mはありそうな、鱗を持ったダチョウだ。
そう、あの二本足の巨大な鳥を彷彿させる姿だ。
確かに鞍らしきものが背中にあるが、これを俺に乗れというのだろうか?
「あぁ、すまないリスファ。これに乗れってことなのか? 俺はこういった動物に乗ったことはないんだが」
俺は苦笑いを浮かべたのだが、リスファはニコリと笑うと「問題ないっす」と言い切った。
不安になりながらもお尻を背中後方の鞍に乗せ、両足はダチョウの太ももの上、両手は手羽元にある手綱を掴む。
意外にもこの三点がシックリと収まる。
ダチョウの方も人を乗せ慣れているのか驚くそぶりも見せない。
少し視線は少し上がったが、ダチョウが落ち着いているからかあまり恐怖は感じなかった。
リスファがもう一体の背に乗ると「馬のお腹を軽く蹴ると走るっすからね」と、お手本を見せるように駆け出した。
少しビビりながらも教えられたように腹をポンと蹴るとダチョウが進みだす。
あっ、これ楽しいかもしんない。
揺れこそあるが風を全身に感じるスピード。
よく調教されているらしく、俺は手綱を握っているだけでリスファの後を忠実についていってくれる。
こうして俺は新たな職場、清水製薬アリカ・イ・パリナコータ支店へとはしゃぎながら向かうのだった。