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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
前の巻 第三章 長篠の戦い
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野辺送り(四)

「御遺言は、事実上の反故にされた」

 内藤修理亮昌秀は、西上野箕輪城にて勝頼からの手紙を受け取ると、独りそのように呟いた。

 手紙には


 四月十二日に密事を執行するので、軍勢を引率してそれまでに府第に参集すること


 と短く記されていた。

 文中では、密事なる言い回しで濁されてはいるが、四月十二日は信玄の命日であり、執行される密事というのがその三回忌法要であることは明らかであった。軍議で決したとおり、法要を済ませたその足で、分国の軍役諸衆は三河に出陣する手筈となっていた。

 先に陳べたとおり、徳川家中からは武田に与力する者が出始めていたし――もっとも、この手紙が昌秀の許に届いたときには、大賀弥四郎は既に誅殺された後であったのだが――織田信長は前年に蜂起した一向宗門を、石山本願寺に攻め囲んでいる最中であって、そう簡単に家康を助けるというわけにはいかない情勢であった。

 飽くまで先代信玄の遺言を金科玉条として重んじ、その遵守を求めて勝頼やその側近との軋轢をも厭わなかった昌秀も、今のこの絶好ともいえる情勢に際会しては、兵を出すというのに反対する理由が、それこそ先代信玄の遺言以外にはない。

 昌秀は、勝頼側近である跡部長坂の両名、とりわけ長坂釣閑斎光堅(こうけん)が、あの皺だらけの顔で、勝ち誇ったようにふんぞり返って笑っているであろう姿を思い浮かべた。軍議では、敢えて見ようともしなかった憎らしい顔だ。

 家督相続直後の勝頼から

「侫人の讒言を用いない」

 とする起請文を得た昌秀であったが、自身は他国の城代、長坂釣閑斎は勝頼側近として近侍している身であり、本国の意思決定に釣閑斎が深く関わっていること、今回の出兵でも釣閑斎の意見が幾分か反映されているであろうことを考えると、昌秀は憤懣やるかたない思いを抱いた。

(謀叛人の眷族けんぞくめ。侫人め)

 昌秀はこれまで幾度か本人に向かって浴びせた雑言を、またぞろ心の中で繰り返したのであった。

 

陣布礼じんぶれが布礼出された。行ってくる」

 筑摩郡小池郷士草間官兵衛は、女房と子の三右衛門尉にそのように告げた。官兵衛からそのように告げられた彼の女房は、早速二人分の弾薬たまぐすりと、縄、指物などの準備を三右衛門尉とはじめた。官兵衛とその嫡男甚大夫(じんだゆう)は具足や得物である鉄炮の点検をはじめた。官兵衛は弘治年中から、甚大夫も永禄の終わりから、武田の軍役衆として鉄炮を得物に、幾多の戦陣を踏んできた歴戦の士ではあったが、陣布礼が出されるたびに全身を硬直させるような緊張感に見舞われるのは毎度のことであった。しかし、合戦のたびに何かしらの分捕品ぶんどりひんを持ち帰ってくる官兵衛に対する女房の期待は今回も大きく、旦那や長子が怪我をして帰ってくるとか、最悪の場合は戦死してしまうかもしれない、ということを全く考えていないかのように、

「お前様、今回は鉄炮玉、幾つほど準備なさいますべか」

 と呑気に訊ねてきた。官兵衛も、女房のそのような態度はいつものことであるから、

「少しは心配せんか」

 などと聞き咎めたりすることもなく、ただ問われたことに対して

「そうさな。わしと甚大夫とで、合わせて百ほども準備しておいてくれ」

 とこたえると、女房は蔵へと入っていった。玉を準備するためであった。

 官兵衛と甚大夫はいずれも、三匁筒(一匁は約三・七五グラム。即ち使用する弾丸の重量を指す。銃口径にして十一・八ミリから十二・四ミリ)を使用していた。これは、もともと鉄炮を得物にしていた官兵衛が、北信川中島における戦役で得た分捕品の中から、自分が使用していた鉄炮とほぼ同じ口径の鉄炮を抽出して甚大夫に与えたものであった。仲間内で口径に異同があれば、玉を揃えるにも煩わしいから、というのが口径を統一した理由であった。

 口径の統一とはいうものの、大量生産のための工場や統一された規格など存在すらしなかったこの時代、鉄炮は全て職人の手作り、ものによって口径が異なるのは当たり前のことであった。その中でも二、三匁筒は一般的に戦場で使用される実戦向きの鉄炮であり、最も入手しやすい鉄炮或いは弾丸ではあったが、官兵衛の鉄炮と甚大夫の鉄炮の口径が、同じ三匁筒とはいえぴたりと一致するということもなかった。実のところ官兵衛の鉄炮の方がやや口径が小さかった。弾丸の大きさは、官兵衛の鉄炮に合うように揃えられていたのである。

 もし、弾の大きさを甚大夫の鉄炮の口径に合わせたならば、官兵衛の鉄炮でその弾を使用した際に、弾詰まりを起こして、最悪の場合銃身が破裂する恐れがあった。そうなるくらいだったら、やや小さめの弾を揃えて、豆鉄炮のような弾を発射してしまった方が、鉄炮撃ちとしてはまだましだと考えられていた。このため甚大夫の放つ弾は、発射の際に、筒の内腔と弾の間から圧力が逃げてしまい、豆鉄炮になることがしばしばであった。甚大夫はそのことについて時折

「父上、鉄炮を取り替えてくれ」

 と不満を述べたが、だからといって武田の鉄炮衆が敵と組み討ちに及んだり、撃ち合いになったからといって圧倒されるほどの量の鉄炮隊に遭遇したこともなく、実のところそう不便も感じていない、というのが甚大夫の本音であった。

 三日後、出陣の準備を調えた草間父子は、中間ちゅうげんの次郎右衛門と次郎兵衛を伴って、小池郷を発った。女房や三右衛門尉に見送られての出発であった。

 三右衛門尉は、母とはまた違った感慨を以て二人の背中を見送っていた。

(これまでは上手くいきすぎていたのだ。父や兄は今からいくさ場に行こうというのだ。怪我をして帰ってくるかもしれないし、もしかしたらいくさ場で死んでしまうかもしれないのだ。そうなれば、俺が鉄炮を担いでいくさに出なければならなくなるだろう)

 三右衛門尉はその感慨を決して口に出すまいと考えた。父兄の出陣に際してそのような凶兆めいたことを口にするものではないと思われたためであった。

 三右衛門尉は、牧之島城代馬場美濃守信春の指揮下に入るため歩いていく二人の姿を黙って見送ったのであった。

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