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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
前の巻 第二章 家督相続
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信虎帰還(一)

 その男の発する妖気は尋常一様のものではなかった。世に数多あまた、悪党の跋扈ばっこするすえの世にあっても、これほどの妖気をたたえる者はそうそうあるまい。僧形ではあるが、身体から滲み出るごうの深さは今生こんじょうにおいて発心ほっしんし、出家したからとて俄に救われるものとも到底思われぬ。脂ぎってつるりとした顔貌がんぼうに皺は殆ど見当たらず、これが傘寿(八十歳)を越える老翁だなどと言われても誰も信じはしないだろう。しかもこれから妻籠口つまごぐちの嶮岨を歩いて越えようというのだからなおさらだ。

「しばし御逗留を」

 付き添う若い女が僧形の老翁を留め立てする。

「逗留をと申したか、おあい」

 老翁は、自らがおあいと呼んだ、あでやかな若い女を睨み付けて言った。

 だが女に怯む様子はない。

「何故とおっしゃりたいの? ここはいま、いくさ場なのですよ」

 女はこともなげに言ってみせた。

 目の前に広がるのは木曾山脈に連なる山々を利用した天嶮である。かかる難所に築かれた城のいずれを攻めようというのかは知らぬ、兎も角も戦塵がむのを待っておれば峠を越えるのがいつになるものか皆目見当も付かぬと、老翁がその禍々しい顔貌を崩してぼやくと、これに対しておあいが放った

「ゆっくりとお孫様のお手並みでも拝見なすったら? もっとも、わたしにとっちゃ年上の甥っ子だけれども」

 という言葉は、老翁をことほか不機嫌にさせた。

「知らんな、諏方の小倅こせがれのことなど」


 天正二年(一五七四)正月、武田勝頼は東濃に軍を動かしていた。自身が出馬していなかったいくさとはいえ前年に遠州において家康相手に敗北を喫した勝頼にとって、その敗北を取り返すためには戦勝を重ねるより他になかった。京畿においては武田に味方する諸勢力が信長によって掃討されつつあり、その信長を牽制する意味合いからも勝頼は東濃への出馬を決意したのであった。

 焦る勝頼を諫止すべき宿老の筆頭、山県昌景は遠州森における敗戦の責任者と見做され、発言力が低下したことも、勝頼の東濃出陣を後押しした。


 遠くから鬨の声が聞こえてきた。土煙が巻き上げられ、幾多の旌旗が移動していくのが見える。軍勢は、「大」と書かれた小旗を中心に据え、一糸として乱れる様子がない。

「なかなか立派じゃありませんか」

 おあいの言葉に、老翁はにこりともしなかった。

 一月二十七日、勝頼は兵六千を以て明知城を攻め囲んだ。明知城主明知遠山一行(かずゆき)は叔父遠山友治と共にこれへと籠もって徹底抗戦の構えである。

 無論、東濃において武田方がこれ以上勢力を拡大すれば、いずれ遠からず岐阜が衝かれることは火を見るより明らかであり、事実先年におこなわれた信玄による西上作戦に際しては、岩村城に進駐した穐山伯耆守虎繁一隊が岐阜城下にて放火狼藉を働いた事件は信長にとって記憶に新しいところであった。信長は危急を察し、濃尾の兵三万を糾合して明知城後詰(ごづめ)に押し寄せるべく準備に入った。

 だが後詰の織田勢が戦域に入るより前に明知城内を凶事が見舞った。一族の遠山友信が武田に転じたのである。これにより明知城は武田方の手に渡った。信長は神篦こうの城に河尻秀隆、小里城に池田恒興をそれぞれ籠めて、二月二十四日には岐阜へと撤退している。これなど織田家は攻め囲まれた明知城への後詰を怠らなかったと言い訳するための措置に過ぎず、自らが去ったあとの濃尾の兵が嶮岨に陣取る武田勝頼を攻め滅ぼすことをもとより期待してのことではない。案の定、主力を欠いた織田勢は武田勢に対して決定打を欠き、それどころか櫛原、神篦こうの、明照、大井、妻木、馬籠まごめ、飯狭間、今見砦など十八の城が、二月上旬までに武田方の手に落ちた。勝頼にとっては、ほとんど一方的といって良いほどの大勝利であった。

 同月、この戦役がおこなわれる直前には、

「経略名之下ニ候」

 と書き記し、「勝頼」の名にも及ばぬ愚か者と勝頼をこき下ろした上杉謙信でさえ、東濃における甲軍の勝利を耳にするや、

「五畿内の守りを疎かにしてでも防備に当たらなければ危うい」

 と信長に提言するほどその評価をひっくり返している。

 京畿においては


  代替わり 飛ぶ鳥落とす 御威勢は 

  勝つよりほかに なしと見えたり 


 などという落首が詠まれ、京童きょうわらべは大いにこの落首を詠ったという。

 意外にも早く戦塵が已んだので、老翁は満足であった。

 老翁はおあいに言った。

「諏方の小倅も存外に祖父孝行のようだ。さて、参ろうかの」

 おあいは父なる老翁の後に続いて妻籠の嶮岨を歩いたのであった。

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