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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
前の巻 第二章 家督相続
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家督相続(三)

 跡部長坂あたりに対しては大見得を切った勝頼であったが、ひとまず安心できたのは、昌秀が召喚に応じて府第に参上したところまでであった。その思い詰めたような表情を見るにつけ、勝頼は何事か強い思いを胸の裡に秘めてあるであろう昌秀の覚悟を看取して説得の自信を失いつつあった。

 なのでその第一声は

「起請文を提出して欲しい」

 という、およそ家臣に対して命令するという体裁とはほど遠いもの言いとなって勝頼の口を衝いて出た。

 対する昌秀のこたえは

「できかねる」

 というものであった。

 もし相手方にどこか落としどころを模索する意図があるのなら、こうも取り付く島もないようなこたえ方はしなかっただろう。だが昌秀はそういう取り付く島もないようなこたえ方をして、俄然勝頼を慌てさせた。勝頼は跡部長坂の諫言を斥けて昌秀を招致したことに後悔を感じ始めていたが、今さら後に引けるものではなかった。勝頼は、説得を継続しなければならなかった。

「何ゆえに出来かねるか」

 勝頼は自分を落ち着かせるために殊更ゆっくり尋ねた。

「御屋形様はそれがしが御家に仕え申すようになった経緯をご存知か」

「知っておる」

 先々代信虎治世の折、何があったかは知らぬ、昌秀の父工藤虎吉(とらよし)が当代信虎に誅殺されるという事件があった。父親が処断され甲斐における地歩をまったく失った工藤昌祐(まさすけ)(後の工藤玄随斎)、祐長すけなが(後の昌秀)兄弟は関東流浪を余儀なくされる。その苦労は筆舌に尽くしがたく、死と隣り合わせの生活であった。それだけに代替わりを機に甲斐へと兄弟を呼び返した信玄に対する昌秀の忠節はひととおりではない。場合によっては先代信玄より授けられた知行と、それに伴う軍役衆多数を恃んで御家と一戦交えるもやぶさかではないというところまで、昌秀は覚悟を固めているように、勝頼には見えた。

「先々代の折に放逐されたものを、父が呼び戻したのだ」

 勝頼は自分の言葉にはたと気付かされた。

 昌秀は不安なのだ。

 あるじに見捨てられ他国を流浪する苦労、明日の命すら知れぬ貧困。

 これらを救ったのが他ならぬ信玄だったのだ。何ゆえ昌秀が信玄に忠節を誓わないなどということがあるだろう。信玄個人への忠節の度が過ぎるために、武田という家に対する忠節まで、彼は考えが及ばぬのだ。

 だがそれも致し方あるまい。家中より放逐して工藤兄弟に艱難辛苦を味わわせたのは、他ならぬ武田家なのである。勝頼がいくら武田に復姓したからとて、昌秀は信玄以外のいったい誰に忠節を尽くせば良いというのだろうか。

 その昌秀に対して勝頼は、

「父の在世中と変わらず重用する。誓ってそのようにするので、起請文を提出してはくれまいか」

 とまるで懇願するように求めた。

 昌秀はこたえた。

「それがしを重用するか否かは、それがしの働きを見て決めて頂こう。そのようなことはどうでも良うござる。それよりも、佞人ねいじんを家中より放逐願いたい」

 昌秀のいう佞人が跡部大炊助や長坂釣閑斎を指すことは明白であった。昌秀によるこの求めは勝頼の家中における地歩を危うくするものであり、到底承服できないものであった。昌秀がこれを機に政敵を潰そうと目論んでいるものとさえ疑われた。

 勝頼はしぶとく食い下がる昌秀に対し

「今後佞人の言は用いぬ旨、余からそこもとに起請文を提出しよう。それと交換で、ということならどうだ」

 という妥協案を示し、ようやく昌秀から起請文を得ることが出来た。

 その後の勝頼の疲労といったらなかった。

 ひとしきり戦場を暴れ回ったあとのそれとは性質を異にする、重苦しい、なんともいえぬ疲労感が勝頼の全身を覆っていた。

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