新府遺棄(五)
小田原に落ち延びるよう、林を説得する理慶尼。
「それがしは反対です」
勝頼が理慶尼と寝所を共にすることについて、土屋惣蔵昌恒は憤然としながら言った。それもそのはずである。理慶尼の兄は、少なくとも武田宗家から見れば謀叛人に他ならなかったからだ。理慶尼から見れば勝頼は、兄勝沼武田信元のかたき、あの憎き武田信玄の子なのである。
「寝首を掻かれかねませんぞ」
土屋惣蔵は重ねて進言したが、勝頼は
「武道の心得もない、老いたる尼僧に討たれる余ではない」
と、惣蔵の言を一顧だにしなかった。
勝頼は殊更剛毅を装ったものではなかった。本拠地たる新府城を捨て国内を逃げ回っていることで、今や勝頼の名声は地に堕ちたといってよかった。この汚名を返上するためには国内のいずれかの地において信忠勢を撃砕する以外に道はなく、それが成し遂げられないのであれば、どのような形であれ自分は滅びるより他に道はないのである。もし逃避行の道中で尼僧に頸を掻かれて死んだとなれば後世の恥ともなることではあるが、自分の死後の名声など勝頼の知った話ではなかったし、もしそうなれば自分の運命はそれまでだっただけの話なのである。なので勝頼は理慶尼の勧めを断らなかった。
床に就くと、疲労のために勝頼はすぐ眠気に襲われた。勝頼は林と理慶尼がなにごとか言葉を交わすのを聞きながら、次第にその遣り取りが飛び飛びになって、話の前後が理解できなくなっていった。勝頼は眠りに落ちた。燭台の灯火は消えてはいなかった。
「御家を見舞った事件は、良人だった者より聞き及びました。お労しく思っております」
理慶尼の言葉がありきたりな社交辞令でないことは、その真に迫った眼差しや、座する林の膝頭に置いた手のぬくもりからも伝わってきた。理慶尼は続けて言った。
「御前様は他国よりお越しの姫君、御屋形様との間に子を成したわけでもありません。こうなってしまったうえは御身こそ大事。相模へお帰りなされませ」
と帰国を勧めた。すると林は驚いたような顔を示して
「そのようなことは思いもよらぬことです。子を宿すことが出来なかったのは私の無念とするところ。この上は来世の縁を信じて、最期まで御屋形様と運命を共にするつもりです」
と語った。
理慶尼もまた、林と同じく兄を一族間の内訌で失った立場である。良人と運命を共にしようという林を自分の姿に重ね合わせ、なんとしてもこの姫に生き残って欲しいと思った。
「かく言う私も、兄を御先代法性院殿(信玄)に誅殺された立場です。家名の存続を理由に嫁ぎ先から離縁を突き付けられ、いまは斯くの如く尼僧に身をやつしておる者でございます。私はその折、腹に子を宿しておりました。なので後縁にも恵まれませなんだが、御前様はそのようなこともなく、相模の兄上様(北条氏政)をお恃みあそばせば後縁も望めましょう。後縁など強いて求めぬと仰せなのであれば、御屋形様の菩提を弔うため、私のように髪を落とし出家なさる道もあるのです。死をお急ぎあそばされますな。どのような形であれ、生き残ることをこそ心掛けるべきでございましょう」
理慶尼には、自分より遥かに若い林が、勝頼と運命を共にすることを決意し、死を厭わぬ姿勢をみせていることが、大きな間違いであるように思われた。若い者は、死が迫る運命にあっても最後の最後まで生き抜く算段を打つべきである。そのように思われたので、理慶尼はこうも必死になって説得したのである。
「ああ、そのように勧められては御屋形様と浮沈を共にしようという私の決意も揺らごうというもの」
林は袖で涙を拭いながら言い、
「でも私には御屋形様を見限ることは出来ないのです」
と続けた。
「そのゆえは、私は小田原のお城を一歩も出たことがない立場にあって、見も知らぬ甲斐の国へと嫁いできました。この国のことを何も知らず嫁いできた私に御屋形様は、他国から越されたのはあなただけではない。余は先代信玄を父とする者であるが、母は諏方の人間であり自分も信州高遠から越してきたも同じだ。他国者同士、仲睦まじくしようと仰せになって、私を優しくお迎えして下さいました。それだけでも私には得難いことでした。御屋形様はお忙しいお立場でした。いくさに次ぐいくさ、平時でも深夜まで政務を執られ、身も心も休まる暇がなかったほどです。御屋形様はそのような御身分であらせられましたが、どんなに忙しくても私に対してだけは他の誰にも見せたことがない、優しい表情をなさることに、私はずっと前から気付いておりました。出来るだけ御屋形様に体を休めて頂きたいと思うあまり、湯治場にまで押し掛けてきた直訴の人々を、追い返そうとしたことがあるほど・・・・・・」
林はその時のことを思い出したのか、涙交じりの苦笑いを浮かべた。その苦笑いにつられてか、理慶尼も思わず
「まあ!」
と目を剥いたように驚きの表情を浮かべ、次いで笑った。しばし笑顔を共にした林と理慶尼。林は更に続けた。
「でも御屋形様は、我が分国の人々が困り果てて直訴に及んでいるのだと仰せになり、その場で決裁なされたのです。結局は湯治場でも政務から逃れることは出来なかった御屋形様。このように御屋形様と過ごす時間が少なかった私にとって、この度の新府移転は、夢のような出来事でした」
林がそこまで言うと、理慶尼は
「見ましたとも。世にも美しき、他国に聞こえた御移転のあの行列」
と口にした。
「今にして思えば、あれも今日の凶事を予感していたものでしょうか。なんとか行列を止めようと呼び掛け、遮る国衆が数多ありましたが、私達は一顧だにせず新府城へと入ったのです。御屋形様は本丸から諏方を望む眺望を、私に見せて下さいました。そのとき、御屋形様はこの美しい光景を私に見せるためにこのお城をお築きになったのではないかと思ったほど、私は幸せに満ち溢れておりました。なので、あのように人々に呼び止められ遮られたりしながら行った移転の美しい行列も、たったひと月あまりしか住むことがなかった新しいお城も、私にとっては得難いもので、まるで春の夜の夢の如く思われるのです」
とまで言うと、林は涙を流しながら、わっ、と床に突っ伏してしまったのであった。
林に掛けるべき言葉を失う理慶尼。
理慶尼は先ほどまで、林になんとしても生き残って欲しいと考えていたが、今はその考えが少し変わってきていた。良人勝頼を想い、添い遂げようという林の強い決意。これを強いて挫き、或いはその意に反して勝頼との絆を引き離したとして、事後そのことについて林が自分を詰問してきた場合、その林の言葉を受け止めきれるほどの覚悟が自分にあるだろうか。林の想いを断ち切ることが出来るだけの理屈を果たして自分は持ち併せているだろうか。想いもなく、ただ生き残ることだけが絶対に正しいのだと言い切ることが出来る確信が自分にあるだろうか。そう考えると、理慶尼の言葉は滞らざるを得なかった。
寝所に林の嗚咽だけが響いてどれほどの時間が経っただろうか。
うつゝには おもほへがたき 此所
あだにさめぬる はるのよのゆめ
はるかすみ たちいづれとも いくたびか
あとをかへして みかづきのそら
林は唐突に二首、詠じてみせた。
「燃え落ちる新府の城を振り返りつつ詠んだ歌です。本当に慌ただしく城を出たのですよ? その慌ただしさといえば、歌に詠んだとおりで、月が未だに落ち切らぬほど」
林は涙の跡もそのままに呟いた。落人の哀れな様が目に浮かんで言葉を失う理慶尼。林は独り言のように続けた。
「法華経五巻に変成男子というものがあるそうですね。私は女の形で生まれては来ましたが、人々が変心して御屋形様を見捨てる時勢にあっては、私の覚悟は男子にも劣りません。御屋形様がいざ腹召されるというときには、その御覚悟を妨げないためにも、御屋形様に先立って、守り刀でこの身を突くつもりでいるのです」
理慶尼はもはや林を説得することを諦めていた。この勝頼を想う強い心のまま、思いどおりの最期を迎えさせてやることが、この一途な姫のためになるのだという考え方に変わっていた。そしてこの夫婦が如何に身をやつそうとも、理慶尼はその行く末を見届けて、自らの想いを後世に遺す術を、短歌以外に持たない姫に代わって、今夜の顛末を、そしてこれから姫を見舞うであろう過酷な運命を、後世に書き遺すことが自分に課された務めなのだと、理慶尼は思い至ったのである。
寝所の灯火は消えていた。泣き疲れたのか林はいつの間にか布団も被らずその場に突っ伏して眠っていた。青白い月明かりに照らされるその横顔は、女の身たる理慶尼から見ても、射すくめられるような美しさを湛えて見えた。
この姫は、透き通るような美しい自分の肌の一体何処に刃を突き立てようというのだろうか。もしそういったことが可能ならば、透き通るような肌もそのままに、朝ともなれば月明かりとともに露と消えて、美しい姿のまま命を終えて欲しいとすら理慶尼は思った。
理慶尼は眠ってしまった林の身体に、自分の寝具をそっと被せたのであった。
寝所の外で、腕を口に押し当ててぶるぶると体を震わせるひとりの侍がいる。土屋惣蔵昌恒である。理慶尼が勝頼の寝首を掻くのではないかと案じて寝所の外で不寝番を買って出たものであったが、案に相違して聞こえてきたのは正室林の勝頼を想う並々ならぬ覚悟であった。それは忠臣として聞こえた昌恒が嫉妬を感じるほど強い勝頼への想いであった。味方だと思っていた人々が続々と敵方に転じ、周辺からめっきり人が減った今、女とはいえ得がたい味方を見つけたような気分になって、昌恒は、歓喜のあまり涙を流し、声を上げそうになったのである。
月の輝きは飽くまで冷徹で、地上の出来事について全く無関心のように見えた。そう見えたが、昌恒は
(御方様の想いにこたえて、御屋形様に御武運を)
と、月に祈りたい心持ちを得たのであった。




