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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
後の巻 最終章 最後の日々
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新府遺棄(四)

「信豊別働隊を金槌とし本隊を鉄床とすれば、敵を撃砕するのも容易たやすい」

 そのような勝頼の思惑とは裏腹に、武田家の本国たる甲斐の国衆、地下人ぢげにんで、勝頼の一行に合力しようという者は一人としていなかった。それどころか、武田分国たる駿河の侍が敗残の勝頼一行を指さしながら

「昔、武田の人々は信玄旗印を見た今川氏真が徳山に逃げ込む様子を見て臆病なりと嘲笑したものだが、いま、武田の人々が、信長の旗印も見えぬうちから郡内に逃げ込もうなど、氏真の十倍も見苦しい」

 と嘲う始末である。勝頼は供廻りの者に対し

「むかし、父が駿河に討ち入ったとき、父の所業を難じて余に口さがない雑言を吐く今川の端武者がいたが、あれもそのたぐいだ。心ならずも勝ち味の薄いいくさとなった。あれを討てば数少ない手柄となろう。やってしまえ」

 と号令すると、まだ見ぬ敵に追われ殺気立っていた勝頼の旗本近習がよってたかってこの駿河の侍をなますのように切り刻んでしまったのだった。女子供を引き連れながら逃げる一行の、これが戦果らしい唯一の戦果であった。

 侍衆のうちで武田の行く末を見限った者は落伍したふりをしながら列を離れて遁走したし、飽くまで勝頼に忠節を尽くそうという者もこういった逃走者を追って討ち取る余力など残されてはいなかった。女子供はもっと悲惨であった。もとより遅れがちで自然と列の後尾に追いやられては、風が木々の枝を揺らす音、狼の遠吼にも肝を冷やし、そのたびに 

「敵が追ってくる」

 という流言が飛び交った。侍衆は勝頼の親族一門を護衛するのに精一杯でそういった流言飛語を確かめることもしなかったし、足弱の人々を放置してひたすら歩速を速めるだけであった。一行が逃げた道々には、新府城から持ち出した累代の家宝や家財、親とはぐれその名を呼んで泣く童子、もはや一歩たりとも歩けぬとへたり込み、脇差を口に含んで突っ伏した女共の遺体がそこかしこに遺留され凄惨そのものであったと伝わる。

 一方で

「因果応報ではないか」

 とする声も聞こえてきそうである。武田の侵略によって同様の憂き目を見た人々の、声なき声である。

 当代の大名にとって他国を切り取ることは宿命であり、そこに正義など一片も存在しなかった。みな口々に侵略の正統性を唱えはしたが、それなど戦争をするための口実に過ぎぬ。なのでそこには

「力こそ正義」

 という武家の理論が一貫して存在しているだけであった。武田家もその理論に従って他国を併呑してきたのであり、そして今、より強い織田信長に討ち滅ぼされようとしている。

 ただそれだけの話ある。


 なにが悲惨なものか、因果応報ではないか。


 そのような声が聞こえてきたとして、勝頼に反論の余地はあっただろうか。否、勝頼であればそのことについて一篇たりとも反論しなかったであろう。何故ならば「力こそ正義」を旨として戦勝を重ねる重要性を誰よりも知悉していたのが勝頼だったからだ。もし勝頼が、この惨状を因果応報だと難じる声なき声に反論するならば、彼はむしろ

「勝敗は未だ定まっていない」

 と決然言い放ったであろう。勝頼はこれまで幾度も自分を救ってきた戦勝に、依然望みを託していた。

(この逃走劇も、そのための一過性のものに過ぎぬ)

 勝頼は強いてそのように考えていたのであった。

 さてこのような血なまぐさい逃避行を、国中の人々の全てが知っていたわけではない。

 勝沼大善寺の門中は静まりかえり、理慶尼が勤行を終えようとしたときである。門を敲く音がする。他の尼僧が

「このような夜更けに如何なるご用件で越されましたか」

 と訊ねると

「こちらにおわすは甲斐国守武田大膳大夫勝頼公御一行である。故あって難渋しておる。宿を借りたい」

 とする声が聞こえた。このところ武田分国を襲っていた凶事について知らぬ理慶尼ではなかったが、まさか国守一行が城を捨てて逃げ回っていることなど知る由もない。勝頼一行がこんな夜更けにどのような用件で来訪したのだろうか。理慶尼でなくとも当然抱く疑問であった。尼僧と理慶尼が顔を見合わせて対応を相談していたところ、門外から再び声が聞こえてきた。

「聞こえるか。門を開けてはくれぬか」

 これには理慶尼は驚いた。聞き覚えのある声だったからだ。理慶尼は思わず寺門に取りつき

「織部正様でございますか」

 と問うと、声は温かみを含めながら

「左様、そのとおりだ。難渋しておる。門を開けてはくれぬか」

 と重ねて懇願した。理慶尼は門の脇の木口を開いた。そこには侍の数十名、そして同じくらいの数の女性や子供が佇んでいる。暗い夜であったが人々は押し並べてくたびれ果て、召し物はほつれて素足に血を滲ませている者すらある。一行の身形が気になる理慶尼であったが、それ以上に声の主が気になった。理慶尼はその姿を一刻も早く目にしたいと思った。声の主とは即ち、雨宮織部正良晴であった。織部正は理慶尼が開いた木口に向かって集団を押し分け進み出た。

「久しいの」

 そう言った織部正もまた、くたびれた表情に無理矢理微笑を湛えて言った。理慶尼にとっては、鬢に白いものが増えたとはいえあの頃のままの織部正に違いなかった。

「さほどに広い寺でもありませんが、どうぞ中へとお入りなされませ」

 理慶尼は一行を寺に招き入れた。それでも入り切らぬ人数は、寺の門前に疲れた体を横たえなければならなかった。

「これは一体どうしたことでしょう」

 武田家を襲った事変について詳細を知らぬ理慶尼にとっては、国守一行が本拠移転の煌びやかな行列を古府中から韮崎へと歩んだのはつい先日のことであった。それが今、目の前にあるのはそのときの豪奢を極めた列と似ても似つかぬ落人おちうどの行列そのものである。理慶尼でなくとも疑問に思うものであった。雨宮織部正は木曾謀叛以来の怒濤のような日々をかいつまんで理慶尼に説明した。

 追討の軍は鳥居峠で木曾方に追い落とされたこと。

 下伊那の防衛拠点がことごとく自落したこと。

 穴山梅雪が城ごと敵方に転じたこと。

 巨郭高遠が僅か一日で陥落したこと。

 そのため勝頼は新府城を捨てざるを得なくなったこと。

「すべては無駄だったのですね」

 理慶尼はことの顛末を聞いて、そのように言った。

 理慶尼が、先代信玄のころに謀叛を疑われて誅殺された勝沼武田信元の妹、松葉であることは前に陳べた。雨宮織部正はその松葉を正室とした者であった。

 謀叛人の妹を正室として置いておくわけにはいかぬ。

 雨宮の家が織部正と松葉の離縁を望んだし、松葉も嫁ぎ先での冷遇に耐えかねて出家の道を選んだ過去があった。個人的な愉悦よりも家名が上位に位置していた時代の価値観。その価値観にのっとって決定された婚姻、そして離縁だった。

 しかし雨宮家の存続を願えばこそ離縁した二人であったが、今や雨宮家の存続を担保する武田家そのものが滅亡の危機に瀕していた。雨宮家存続を願っての離縁も、武田の滅亡によって無駄になろうとしていた。

 理慶尼でなくとも、虚無感を禁じ得なかっただろう。その言ったとおり、すべては無駄になろうとしていた。雨宮織部正は、その理慶尼の言葉に対してなにもこたえなかった。こたえることが出来なかったといった方が正しいだろう。

 ともあれ理慶尼は、そのような雨宮織部正を尻目に勝頼夫妻、そして太郎信勝を寝所に迎えるべく三人分の布団を調えさせた。

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