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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
前の巻 第一章 勝頼誕生
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駿河侵攻(一)

 義信の死の翌月、勝が子を出産した。男児であった。

「この子は武田の跡取りとなる我が嫡孫ぞ」

 という信玄の喜びようはひととおりではなかった。

 亡き義信とその正室於松との間には女児が一人あっただけで、義信との離縁によってこの女児は寺に入れられていた。義信夫妻に男児がなかったことは不幸中の幸いであった。勝が産んだ男児は信玄によって武王丸たけおうまると名付けられた。

 勝頼は産まれてきた武王丸の顔を覗き込みながら不思議な安堵感の中にいた。それは、子が無事に産まれてきてくれたことに対する安堵とは性質を異にするものであり、

(諏方の血脈の濃いわしではなく、この子が武田の跡取りとなってくれるだろう)

 という心根に基づく安堵感であった。

 兄義信の失脚から、その死という急転直下の展開は、密かに勝頼に重圧を与えていた。工藤源左衛門尉の如き例を見るまでもなく、家中において自分の家督相続を快く思わぬ勢力が根強くあることを知らぬ勝頼ではない。そしてその原因が、諏方の血を色濃く受け継いでいる自分の血脈によるものだということも、勝頼には分かっていた。

 勝頼は心中秘かに黙算していた。

 武王丸が元服を迎えるまでにかかる年月があと十五年とすると、勝頼は三十七歳になっているころである。

 因みに父信玄は六十二歳にも達することになり、おおっぴらには言えぬが近年の父の健康状態からすると、到底その年齢まで永らえることが出来るとは思えない。

 自分は中継ぎとしてなんとか信玄と武王丸との空白期間を凌ぎきれば、あとは父が薙髪した三十九歳より二歳ほど若くして自分も薙髪し、大人になった武王丸に何もかも譲って、鎌鑓を得物に家老のようになって戦場を駆け巡る己が姿を夢想したのである。そして、織田信長との甲尾同盟が厳然としてある以上、信玄と武王丸との中継ぎという自分に割り当てられた役割を果たすことは、さほど難しいことのようには勝頼は思わなかったのであった。

 家中おける親今川派の首魁たる義信を廃した後、信玄は対今川戦争を有利に進めるべく織田信長やその同盟相手である徳川家康と秘密裡に協議を重ねていた。信玄はそのような水面下の動きを隠しながら、義信の未亡人於松を駿河に送還するにあたり、氏真に同盟を継続する旨の起請文提出を求めている。


 たびたび出て来る起請文であるが、これなど如何に八咫烏やたがらすの墨印が押捺された牛頭法印を使用しているからとて所詮紙切れであり、したためた内容に如何ほどの効力やあらんと現代の人は思うかもしれない。無論当代の人々とて純粋に神罰仏罰などという呪術的な力を信じ起請文を提出し、或いは提出を求めたわけではなかった。

 これはいわば、多衆が信仰する神仏に何らかの誓いを立てることにより、神仏を経由してこれを信仰する人々に誓約の遵守を宣言する行為であったといえよう。身分の上下を問わぬ多衆の代表的存在として、こういった人々の崇敬を集める神仏はうってつけであった。したがって、神前に奉納された誓約を破る行為は、人々に誓った誓約を破棄するのと同義と見做され、諸衆の支持を失うという不利益を伴うものであった。絶対的とまではいえないが、一応強制力めいた力はあったのである。

 信玄が氏真から起請文を求めた所以もまさにそこにあった。信玄は今川との同盟を起請文により継続する意図などさらさらなかった。そうではなく、氏真による盟約違犯の証拠を何らかの形で入手し、起請文にしたためた誓約を氏真自らが破ったという事実を大々的に宣伝しようと画策していたのである。

 いうまでもなく

「氏真は起請文に認めた誓約も守れぬ人物だ」

 という宣伝戦に使い、氏真に対する人々の支持を失墜させるためであった。

 結局氏真は信玄の求めに応じて同盟継続の起請文を書き送っている。

 氏真は氏真で、水面下での外交戦を展開しており、それまでは半敵ともいえる存在だった上杉輝虎に対して対武田の共同作戦を打診している。

 だがこの動きは拙速であった。信玄に察知されたのだ。

 事前に決していたとおり、信玄は氏真による盟約違犯をあげつらって各勢力に書き送っている。いまや甲駿間の緊張の度は頂点に達しつつあった。

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