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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
後の巻 最終章 最後の日々
185/205

中信の情勢

 深志城三の丸で無為に日を過ごしていた草間三右衛門尉たちに出撃命令が下ったのは、大島城が陥落したのと同日、二月十七日のことであった。無論城主馬場民部少輔(みんぶのしょう)も、草間三右衛門尉らも大島陥落の話など露ほども知りはしない。馬場民部が出撃を決した所以ゆえんは、木曾義昌に付和雷同して武田に叛逆した西牧又兵衛や古畑伊賀守、岩岡父子が諸方に火を放って乱妨狼藉を働いており、これらを討伐する必要に迫られたからであった。父官兵衛と、幾多の芝をともにしてきた伝来の三匁筒を担いで、三右衛門尉は叛逆者と戦った。

 略奪にかまけ諸方を荒らし回る叛逆者は、一群の頭と思しき人物を撃ち殺してしまえば蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ散った。馬場民部の率いる深志城兵も弱体であったが、統制の取れていないこれら叛逆者もまた弱体であった。存外にいけると踏んだ馬場民部は上野原で岩岡父子と合戦に及ぶが、双方拮抗して攻めきれない。草間三右衛門尉はこの戦いでも相当数の敵方を手練の鉄炮を駆使して射殺いころしたが、射撃したあとの筒衆を護衛すべき弓衆のわざが今ひとつであり、三右衛門尉は射撃に集中できない。形勢不利とみるや、弓衆は武具を捨ててその場から遁走する始末である。このような場面は戦場の至るところでみられ、敵を逐いきれなかった馬場民部は深志への撤退を余儀なくされた。

 普段は軍中にあって私語を禁じられている軍役衆も、今日この時ばかりは士気の低下甚だしく、愚痴や先々の不安を漏らす者も少なくなかった。三右衛門尉もそのうちの一人で、

「またぞろ籠城か」

 と嘆く三右衛門尉の耳に、

「岩村口から織田の大軍が侵入して、下伊那の城が戦うこともなく次々と自落している」

 という噂が入った。

 三右衛門尉はそのような噂を口にした味方の兵の胸ぐらを掴み、

「そのようなことがあるはずがない。貴様は浪合や根羽の嶮岨を見たことがないのか。あのような嶮岨を恃みもせずに、自落などするはずがないではないか。滅多なことを口にするな」

 と聞き咎めたが、このような遣り取りに恐慌を来した周囲の何名かが、勝手に軍列を離れ、その場に具足を脱ぎ散らかして逃げていく。

 三右衛門尉は下伊那の諸城が雪崩を打って自落しているという噂話については半信半疑であったが、そのような噂話がまことしやかに流れる以上、味方が苦戦していることは間違いないのであろう、そして御屋形様がそのような危機にある以上、我等再び深志に籠もったとしても徒に日数を過ごすだけで、御屋形様の扶けにはごうもならぬ。俺は今からこの列を離れて、御屋形様が在陣している上原に向かうつもりだと次郎兵衛と次郎右衛門に告げた。

 次郎右衛門はこれを聞くと

「馬鹿なことを言うな。軍規違犯になるぞ」

 と咎めた。

 軍規違犯だなどと咎めはしたが、もとよりそのようなつもりで咎めた次郎右衛門ではない。次郎右衛門も、木曾義昌が叛逆して安曇筑摩の諸衆がこれに付和雷同した以上、各所で味方が織田方に転じていることは間違いがないと考えていた。そのようななかを、三右衛門尉が無事に諏方上原に入ることが出来るとは到底思われなかったのだ。

「軍規違犯でも何でも構わん。山への入会いりあいを認めてくれた御屋形様だ。蒙った大恩に報いるには、今をおいて他にない」

 三右衛門尉は四年前、近郷の内田村と内田山の入会権について争った公事くじについて、勝頼に直訴し裁許してもらったことを今も恩義に感じていた。あの時、村は薪や炭の原料となる木々を伐採することが出来ず、寒さのために人々は苦しんだ。典厩信豊の姪婿たる桃井将監を相手取った公事の決裁を武田の奉行衆が軒並み忌避するなか、勝頼は直訴に訴え出た草間三右衛門尉等の願いを聞き届けて入会を認めたのである。勝頼が人治主義に基づいて訴えを認めなければ、小池の人々は未だに内田山に入ることが出来なかったに違いないのだ。

 勝頼の決裁を恩義に感じていたのは次郎右衛門も次郎兵衛も同じであった。小池郷の人々はみな、勝頼の下した裁許に感謝していたのであった。だがこのような時節、三右衛門尉が単身上原に乗り込んだとて、それこそ如何ほど勝頼の扶けになるものか知れたものではないし、第一無事に諏方に辿り着ける保障もない。次郎右衛門は軍列を離れて諏方方面に足を向けた三右衛門尉の肩に手を掛けた。

 三右衛門尉が

「止めても無駄だ。俺は・・・・・・」

 と言いかけたところに、次郎右衛門は思い切って不意の右拳を三右衛門尉に見舞った。

 次郎右衛門の拳は過たず三右衛門尉の顎先をとらえた。三右衛門尉はその場に崩れ落ちた。

「次郎兵衛、来い!」

 次郎右衛門は次郎兵衛を呼びつけると、自分が着ていた具足は勿論、昏倒した三右衛門尉からも具足を引き剥がし、次郎兵衛にも同様に具足を脱ぎ捨てるように言った。

 三名はほとんど赤裸に近い姿になった。

 次郎右衛門は三右衛門尉を背負った。

「村へ帰る」

 次郎右衛門は次郎兵衛に言った。

 次郎兵衛は黙して頷いた。

「待て」

 三右衛門尉を担いで村へ帰ろうという次郎右衛門を、次郎兵衛が止めた。

「あれは、どうするべか」

 次郎兵衛は三右衛門尉の三匁筒を指差して言った。三右衛門尉が、父官兵衛から受け継いだ伝来の三匁筒であった。

 諸方で敵が蜂起している今、武具や具足などを身に着けているだけで落武者狩りに追われかねない不穏な空気が漲っていた時節である。次郎右衛門はそのような不測の事態を回避するために具足を脱ぎ捨てたものであったが、鉄炮のような長物を担いでうろつけば、そのような心懸けも無駄になりかねない。だが三右衛門尉が父から受け継いだ鉄炮をその場に打ち捨てることもまた憚られた。なので次郎右衛門は沿道の木々の枝を鉄炮と同じくらいの長さに手折って、これらの中に鉄炮を紛れ込ませて次郎兵衛に担ぐように言った。傍目には、木樵きこりが重労働のため赤裸となって木の枝の束を担いでいるように見えたことだろう。

 次郎右衛門と次郎兵衛は、それぞれ三右衛門尉と彼の鉄炮を担いで小池村へと帰還することに成功した。その小池ではこのたびの事変について噂が噂を呼んで大変な騒ぎになっていた。

「織田の大軍が木曾に合流しようとしている。高遠からも敵が迫っており、筑摩は二方向から挟み撃ちにされつつある」

「織田方は自焼きして降伏すれば赦免してくれるらしい」

「織田は禁制を無償で発給してくれるらしい」

 こういった噂は出所不明のものであったが、小池郷の人々は村の自焼没落、内田山への逼塞を決した。

 村に帰った三右衛門尉以下三名も、村人達と共に内田山へと隠れ入った。三右衛門尉はこの期に及んで諏方へ行くであるとか、御屋形様に合力するなどと口にしなくなっていた。今更自分ひとりが勝頼の陣に加わったとて、如何ほどの力にもならないことなど明らかだったし、勝頼の敗勢が濃厚である以上、村から勝頼に合力した者を輩出したとなると、戦後どのような詮議を受けるか知れたものではなかったからだ。

 小池の人々がとったような自焼没落行為は、織田勢が進軍する沿道の村々においてもおこなわれた。織田勢はこういった郷村に対しては乱妨狼藉をおこなわなかった。大百姓以下村の人々を味方に付ける目的で、信長がそういった行為を禁じたからであった。信長の存念を知らぬ小池の人々は、戦火がやむまでの間、内田山に逼塞することを余儀なくされたのであった。

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