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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
後の巻 最終章 最後の日々
182/205

鳥居峠の戦い(六)

 木曾義昌重臣千村重政や山村良候の陳弁に耳を傾けた勝頼は、一方で兵を退くことなく上原に在陣したまま木曾に圧力をかけ続けていた。軍を動かそうとしない勝頼に対し、十八間の星兜、赤糸威二枚胴の具足といういでたちに身を固めて初陣の昂奮に逸る太郎信勝は

「裏切り者を一挙に揉み潰してしまいましょう」

 と口にしたが、勝頼は首を横に振って

「逸るな信勝。かかる難所にあって計略のない余ではない。木曾が信長と通じた今、逆意を含む諸敵が蜂起する時節である。思うに木曾は、残雪と鳥居峠の嶮に拠って我等を釘付けにする肚だ。木曾の正面に考えもなく押し寄せたうえに逆徒蜂起せんか、腹背に敵を受け、我等たちまち難渋することとなろう」

 とこたえた。

 勝頼はそのような事態に立ち至ることを恐れ、別動隊による木曾谷乱入を企図して深志城代馬場民部少輔(みんぶのしょう)昌房に伝令を遣っていた。深志城から木曾谷への横入よこいれを機に、鳥居峠を一気に駆け上がる作戦であった。その軍備が整うまでの間に、義昌が思い直して帰服を誓うというのであれば勝頼は赦免するつもりでいたのである。


 勝頼からの出陣命令が下り、深志城代の管轄下にある小池郷に住まう軍役衆に、寄親の許へと参じるよう陣布礼が回送されてきた。先年亡くなった草間官兵衛の跡目を襲っていた三右衛門尉さんえもんのじょうは、陣布礼に従って次郎右衛門と次郎兵衛を伴い、深志城へと参集した。これから織田に転じた木曾を叩くため、中信の拠点たる深志城へと入ろうというのである。相当数の人々が集まるものと三右衛門尉は何となく考えていた。しかし案に相違して、参集の場所として指定された深志城三の丸に人影はまばらであった。寄親の姿も見えぬ。心細く感じても、自分達が今どのような状況に置かれているのか、本丸に赴いて事情を尋ねるということも草間三右衛門尉には出来なかった。彼等のような地衆じしゅうは、二の丸より上に入ることを許されてはいなかったからである。

ひるにもなれば、何らか御沙汰が下るであろう」

 三右衛門尉は何の根拠もなかったが、とりあえずそのような結論を下して、寒風の中、次郎右衛門や次郎兵衛とともに、深志城三の丸の一角で沙汰を待つこととした。

 草間三右衛門尉等深志城に参集した軍役衆は知らなかったのだが、このとき深志城代馬場民部少輔昌房は焦慮していた。

 勝頼の命で稲核口いねこきぐちへと派遣した安曇衆古畑伊賀守や西牧又兵衛が木曾の敵方に通じて沿道の砦に籠もったという報せを得たのだ。慌てた馬場昌房は岩岡の岩岡佐渡、織部父子にこれら新たな叛逆者の討伐を命じたが、これらの地侍も優勢な叛乱側に転じ、堅城中塔に籠城した。彼等はもともと信濃守護小笠原長時に従っていた人々であった。

 信長は勝頼が木曾討伐に動いたと聞いて、かねてから準備していたとおり武田攻めを正式に下知した。飛騨口から金森長近、伊那口から信長と信忠、駿河口は徳川家康、関東口からは北条氏政氏直父子と、それぞれ攻め口を定めて甲州征伐を下知したのもであるが、なんといっても木曾義昌の謀叛が露顕し、勝頼が木曾討伐の軍を起こしてからの招集である。勝頼に先手を取られた形になったので、後手を踏んだ信長がまとまった人数をこれらの攻め口に投入するには今少しの時間が必要であった。信長は大軍を投入できるようになるまでの間、小笠原貞慶を木曾へ派遣して調略をおこなわせている。

 これは信長一流の人選の妙で、貞慶は今を遡ること三十年以上前の天文十九年(一五五〇)、武田晴信によって林城を逐われた旧信濃守護小笠原長時の三男であった。木曾に横入するよう申し含められていた深志城周辺の西牧や古畑、岩岡などの軍役衆の多くにとって、貞慶は旧主の子息ということになる。

 加えて信濃に雪崩れ込んでくる織田方は数十万にも及ぶ未曾有の大軍だとまことしやかな噂を流布させて、それらがあいまって深志に人が集まらなかったのである。

 信長は貞慶に旧領回復を約束して武田方への調略をおこなわせた。小笠原の旧領といえば筑摩である。だが筑摩は当の信長本人が、木曾義昌に加増を約束した地でもあった。つまり貞慶への加増の約束は信長の二枚舌であり、信長には貞慶を筑摩に復帰させる気など最初からなかった。

 貞慶はそうとも知らず、

「武田を見限って信長公に合力すれば、筑摩に所領を与える。その他も望み次第だ」

 とほうぼうに布礼回って裏切り者を募った。

 信長は貞慶が独断でかかる大盤振舞いを吹いて回っていることを知ってはいたが、これを撤回することはなかった。吹いて回った本人に責任を取ってもらえば良いだけのことだと考えていたからであった。まさか、後に放逐される身であるとも知らぬ貞慶は、身体一つと舌先三寸でかなりな人数を織田方に転じさせることに成功した。

 但し地侍達は、既に支配権を喪失して三十年に達しようという小笠原長時治世を今更懐かしんで織田方に転じたものではない。織田と武田、いずれが優勢かを瞬時に見極めて変節したといった方が正しい。

 馬場民部少輔はこのため、木曾攻略どころか深志城を確保することがやっとの状況に陥ってしまったのであった。しかも深志城に集まっている連中はいずれとってみても徒士侍かちざむらいや中間、小者ばかりで、そういった身分の低い侍が三の丸をうろうろしているばかりであった。馬場民部少輔はこういった小身の侍ばかりを恃みに籠城しなければならなくなったことで、士気を阻喪しつつあった。

 木曾の謀叛に対し、勝頼が決して無策ではなかったことは先に陳べた。西からの圧力に常にさらされる木曾の動向に、勝頼はかねてから注視し対策を採っていたのである。もし木曾義昌が永年の交誼を忘れ敵方に転じた場合は、鳥居峠方面から圧力加えつつその方面に木曾の兵力を誘引しておきながら、深志方面から別働隊を派遣して木曾谷に横入することが既定路線であった。馬場民部少輔は勝頼からそのように密命を受けており、木曾が信長に通じる凶事に至った今、あらかじめ定められていた戦策に則って行動するよう勝頼からの早馬をも得たのであったが、右のような状況に立ち至ったために行動を起こそうにも兵が足らず、このままではいくさにならないことなど誰の目にも明らかであった。

 馬場民部少輔は深志城内に駆け入った勝頼からの早馬に、逆に深志城を見舞った変事を含ませた。積極攻勢を諦めて、参集した兵を以て深志に籠城する旨を注進したのである。三右衛門尉たちは、勝頼本営からの伝令が三の丸を大手に向け馬で突っ切る様を、ただ指を咥えて見送るしかなかった。馬は、雪解けの水でぬかるんだ三の丸を、泥飛沫どろしぶきをあげながら一目散に駆け出していったのであった。

 深志から

「兵員が参集せず行動不能」

 との注進を得た勝頼は上原城にあって諸将を召し出し、今後の対応について軍議を開始した。

 土屋右衛門尉昌恒は、深志からの注進を披露した。

「深志城への参集を定められている軍役衆が木曾同様敵方に靡き申した。深志から木曾谷への横入は諦めざるを得ません」

 木曾のみならず諸敵がいよいよ敵方に靡き始めたと聞いて、軍議の場に集った諸将は皆一様に驚きの表情を示した。

 ある者は天を仰ぎ、ある者は目を剥いて怒りの表情と共に昌恒の言葉を聞いたのであった。

「下伊那の情勢や如何」

 相模守信豊が問うと、土屋右衛門尉は

「岩村口より、河尻与兵衛秀隆を先陣として織田信忠が侵攻しつつあり」

 と返答した。

 ここはかねてより織田方の主力ともいえる濃尾の兵が侵入してくる攻め口と想定されていた道である。浪合や根羽などは極めて嶮岨で大軍の行動に不向きな地形であった。勝頼は下伊那郡吉岡城主下條伊豆守信氏にこの方面の防衛戦策をあらかじめ与えていた。それは、滝澤要害に拠って敵を迎え撃ち、これを防いでいる間に、同じく下伊那郡松尾城主小笠原信嶺の後詰を得て敵方を追い落とすというものであった。

 信玄は死に際し、その長い遺言のなかで

「信長を討とうと思えば討って出る必要はない。信濃の峻険に引き込んで諸衆一致団結し、一撃を加えれば信長は二度と立ち上がることが出来なくなるであろう」

 と言った。

 具体的にはこの浪合、根羽といった嶮岨に敵を引き込み、滝澤要害において釘付けにした敵主力を別働隊で撃破するという策であった。なので下條伊豆守に与えた勝頼の戦策とは、すなわち信玄の戦策であった。敵主力たる信忠の軍勢は、死に際して信玄が敷いた罠に、今まさにかかりつつある。

 そう考えた勝頼は

「下伊那は下條伊豆守、小笠原信嶺両名に任せておけば三月みつきは持ち堪えることが出来るだろう。それだけ待てば敵方も兵糧が尽きて兵を退かざるを得まい。挟撃策が成れば追い落とすことも出来る。なので下伊那はしばらく捨て置いてよい。今は木曾の仕置が最優先だ」

 と、下伊那方面への手当を特に考えなかったが、それが大きな間違いだったことは間もなく判明することとなる。

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