高天神城包囲(ニ)
このころ家康による高天神城攻略戦は大詰めを迎えていた。勝頼による後詰と物資の搬入は昨年の十一月以来途絶え、その間約一年間、高天神城は城内にあるだけの糧秣、武器弾薬で凌いでいた。城内に籠城兵がある以上、兵糧は放っておいても目減りしていくが、武器弾薬はそういうわけにはいかなかった。なので家康は定期的に高天神城付近まで接近するよう麾下の将兵に命令し、城方の反撃を誘った。寄せ手の徳川方は竹束を前面に押し立てて、よじよじとまるで芋虫のように三の丸直近まで接近し、武田方に撃たせるだけ撃たせた。籠城初期には弾薬に余裕があったためか、城方は盛んに矢弾を撃ちかけたが、そのうち寄せ手が本気で構を破るつもりがなく、この攻勢が備蓄の弾薬を消耗させるための欺瞞であることに気付いてからは、城方は矢弾の使用を控えるようになった。家康は城方の反撃が弱まった頃合を見計らって、件の竹束を押し立てて攻勢を仕掛けた。普段と異なる点は、竹束の背後に隠れる徳川兵が鈎縄を持っていたことであった。城方は徳川方による定時連絡をいつものように数発の鉄炮玉で追い払おうとしたが、徳川兵は城方によるまばらな射撃の間隙を縫って竹束の背後からやにわに姿を暴露し、鈎縄を三の丸の木柵に引っ掛けてその数カ所を引き倒してしまったのであった。構の一部を破られ、城兵は破られた木柵を手当てする者と、矢弾を放って竹束を追い払おうという者が入り乱れて混乱した。徳川兵はその混乱を尻目に、包囲陣の奥へと退いていった。そのようなことがあってから、城方は竹束が押し寄せてきたらこれが欺瞞であろうとなかろうと、盛大に矢弾を放って追い払わなければならなくなった。そのために弾薬は目に見えて消耗していった。家康はいくさの主導権を完全に掌握した。家康にとって、高天神城兵の心理は、澄んだ川の底のように丸見えであった。
「主ゃ、確か、佐久のもんだったかの」
或る年老いた城兵が、白壁にもたれながら隣の若い兵に声を掛けた。
「だからそうだっての。なんべんも同じこと聞くでねえずら」
若い侍は苛立った様子でそのようにこたえた。
「そうかりかりすんなや、ほれ」
年老いた城兵は懐から糒の入った布袋を若い侍に手渡した。突然のことに若い侍が戸惑う様子を見せた。年老いた城兵は言った。
「わしゃどうせ老い先も短いじじいだ。こうなってしまっては国に残してきた家族が心配だが、あんまり籠城が長引くようだったら生きて帰れるかどうかも分かりゃしねえ身だ。見たところお前さんはまだ若い。生きて国に帰る算段も打てよう。後生大事にしまっておいた糒だが、お前さんにくれてやる」
「いいのけ?」
「ああ、くれてやる」
「すまねえ。ところでじさま、国ってのはどこだい?」
「安曇のほうさ。あんまり詮索すなや。ほら、糒でも食ってろ」
老いた城兵はそういって、白壁の銃眼から城外を覗いた。城外には、徳川方の兵が木柵の向こう側にずらりと並んでいた。鳥も通わぬ厳重な包囲陣であった。
年老いた侍はそれからしばらくして亡くなった。一日一食まで減らされた食事を若い侍達に分け与えた挙げ句の餓死であった。城兵は、兵糧の面でも限界に達しつつあったのである。
家康には、武田が分国からかき集めて高天神城に籠めた城兵が、上のようなやりとりを交わしている様子が目に見えるようであった。
いよいよ城内に餓死者が出るに及び、信濃先方衆にして高天神城籠城の将の一人であった栗田刑部丞鶴寿は、城将岡部丹波にある提案をおこなった。
「こうなってしまっては御屋形様の後詰を得るより事態打開の方策はござらん。何とかして重囲を突破し、御屋形様に宛てて後詰要請の手紙を届けねばならん」
岡部丹波とて追い詰められた高天神城がこれ以上の籠城戦に耐え得ないことは重々承知していたが、栗田鶴寿が言うように、そう簡単に城をぐるりと取り囲む徳川の構を突破することが出来るとは到底考えられなかった。なので
「文を認めるなど造作もござらんが、それよりあの重囲を如何にして突破するとおっしゃるか」
と懐疑的であった。栗田鶴寿は一間に一人の割合で配されている徳川兵の間隙を衝いてこれを抜けるということを提案した。
「不可能でござろう」
岡部丹波は鞘に収められた打物の先端部分を自分の心臓の位置に当てて、柄の部分を同じように栗田鶴寿の胸の中心部分に当てた。
「一間に一人の隙間を抜けるということは、この距離間隔を相手に気取られず通り抜けなければならないということでござるぞ。到底成りがたく、城兵を一人無駄死にさせるだけであろう」
岡部丹波はなおも懐疑的な姿勢を崩さなかったが栗田鶴寿は引き下がらなかった。「なるほどこの間では相手に気付かれず柵や虎落を突破するというわけには参りませんな。しかし手を拱いていては城兵悉く餓え死にに至でありましょう。何か策を講じねばなりません。たとえばこういった方法で囲みを突破するというのは如何でござろう」
これまでも城兵は、何度か包囲陣の強度を確かめるべく柵に向かって押し寄せてみたことがあった。すると柵を守る徳川番兵は城方が押し寄せた柵にどっと群がってこれを追い払おうと奮闘したので、攻勢が続かなかったということが事実あった。おそらく徳川方は、城方が柵に押し寄せた場合には一間に一人という割合で配している番兵をそこに集中させ、敵方を追い払うよう言い含められているものと思われた。そこで栗田鶴寿は徳川番兵のかかる動きを利用して、人数を以て柵の一箇所に押し寄せ、番兵をそこに集中させることを提案した。そして柵が手薄になっている箇所から使者を突破させるという策を唱えたのであった。
「そういった城方の動きに無策の家康とも思われぬが・・・・・・」
岡部丹波はなおも慎重であったが、もはや攻勢を仕掛けて囲みを突破するとなると今が最後の機会であるとも思われたので
「分かり申した。明日、軍監にその旨相談してみよう」
と、ようやく栗田鶴寿の申出を了承したのであった。
翌朝、岡部丹波は軍監横田甚五郎に甲府への使者派遣を告げた。しかし横田甚五郎は
「見え透いた策のように思われる。それで包囲を突破できるとは到底思われぬ」
とこれに反対した。岡部丹波と栗田刑部丞鶴寿はこれが包囲を突破する最後の機会であることを横田甚五郎に力説した。そしてその説明の最後に、岡部丹波は
「もし御屋形様の後詰を望めなければ、分国中から集めた城兵は玉砕の憂き目を見ることでござろう。そうなれば御屋形様の権威も失墜するというもの。御家滅亡の予兆ともなりましょう」
と言うと、もはや横田甚五郎も反対するというわけにはいかなくなった。そして、横田甚五郎は思い詰めまなじりを決した表情を示しながら言った。
「よろしい。分かりました。甲府へ後詰要請の使者を派遣しましょう。使者についても心当たりがあります」
「使者の心当たり? それは誰ですか」
岡部丹波が問うと、横田甚五郎は自らの胸を指さしながら
「それがし自ら参ろう」
と言った。これには豪胆で鳴る岡部丹波も驚きを隠すことが出来なかった。
「横田殿は甲府より遣わされた軍監。そのような譜代の将を危険な目に遭わせるというわけには参りません。他を探しますよってに、辞退なされよ」
と言ったが、横田甚五郎は引っ込む気配がない。横田甚五郎は自ら甲府に出向くことに拘り、その態度は頑なで、飽くまで引き留めようという岡部丹波に対し
「それがしでなくんば手紙を届けることに反対申す」
とまで言い出したことから、遂には岡部丹波も折れて
「そこまでおっしゃるならばお願い致し申す」
とこたえるより他になかった。
岡部丹波は早速甲府の勝頼に宛てて後詰要請の文を認めた。そして、本丸に集った諸将に回覧させ、手紙の末尾に長めにとった余白に署名させていった。末尾にはこういった物頭級の将にとどまらず、城の柵或いは濠際を守る小身の侍、小者に至るまでが署名したと伝えられている。