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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
前の巻 第一章 勝頼誕生
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婚儀(三)

 入輿じゅよの行列を飾るのは大量にして豪奢を極める結納の品々。綺羅をあしらった煌びやかな輿車よしゃに揺られる美しい姫。これに扈従する侍衆や侍女の行列は途切れることを知らず国を傾けるほどで、沿道の人々は口々にこの行列の壮麗なさまを讃えたという。

 永禄八年(一五六五)十一月十三日、信長養女(かつ)と四郎勝頼の婚儀が盛大に執り行われた。しかし勝頼は、白無垢に身を包む姫を傍らに置き祝言の謡の席を見渡しながら内心

(何故このようなことになってしまったのか)

 と嘆じざるを得なかった。

 謡の席のどこを見渡しても、義信の姿を見なかったからである。

 姿が見当たらないのは義信だけではなかった。曾根周防守や長坂源五郎等、一部重臣の子弟も当然いるべき席に座してはいなかった。

 とりわけこういった席では一門に続き席次高位に坐しているはずの飯冨兵部少輔虎昌の姿が見当たらないことは、ほんのひと月前に発覚した事件が勝頼の思い違いや悪夢などではなく、現実に発生した事件であるということを、否応なく勝頼に知らしめたのであった。

 飯冨兵部少輔虎昌の謀叛が発覚したのは、横目付坂本豊兵衛及び荻原豊前守の活動が契機であった。義信が連日、飯冨兵部邸宅に深夜まで滞在して、何ごとか談合に及んでいるという事実を摑んだのだ。

 実はこれより少し以前、信玄近習飯冨源四郎(後の山県昌景)が、兄飯冨兵部邸宅において義信直筆の書状を発見していた。これには義信が謀叛に合力した虎昌に謝意を表明している内容が記されてあった。義信謀叛の決定的な証拠といえる文書であった。

 源四郎はこの文書を信玄に披露することにより発生するであろう家中の混乱を恐れ、ひとしきり逡巡したのち、両横目付の復命を聞いて、遂に信玄にかかる書状の存在を注進することを決意したのである。

 義信による謀叛の企てはこうして露顕した。

 追捕使ついぶしたる穴山信君及び武藤喜兵衛に対して飯冨兵部の告げた弁明の言は簡素であり、ただ

此度こたびの謀叛は全てこの飯冨兵部と、曾根周防、長坂源五郎等が企てたもの。これらの軽輩を頼みにしたのがそもそもの誤りであった。我等は御曹司を担ぎ上げる肚であったが、御曹司は謀叛の企てなどつゆ知らずと御屋形様にお伝え下され」

 とのみ申し立て、諸肌脱ぎ潔く切腹して果てたという。

 勝頼はこの話を聞いて、あの飯冨兵部少輔虎昌が父に対して謀叛を企てたとはどうしても信じることができなかった。

 典厩信豊と釜無川の河原で決闘まがいの私闘に及んだときも、初陣の芝で敵将と組討に及んだときも、まず勝頼を叱責したのは兵部であった。その様子は勝頼をして真に迫ったものに映った。一片の偽りもないもののように、勝頼には思われたものであった。叔父典厩信繁が存命であれば敢えて兵部が担うこともなかった若年の一門を育てるという任を担っていたのも、ひとえに主家への忠節の為せるわざとしか思われなかった。その兵部が謀叛を企てたという話が、勝頼にはどうにも信じることが出来なかったのだ。

 だからといって勝頼は、実は兵部が謀叛の首魁たる義信を救うために罪を一身に背負ったのだという話も信じることが出来なかった。その話を真実とするならば、かつとの婚儀に先立って詫びようとした勝頼の先手を取り頭を下げた義信の、あの態度はいったい何だったというのだろう。

 義信は確かにあのとき、勝頼に対して

「もとより遺恨などなく、頼りにしている」

 と言った。

 勝頼は謡の席で、次から次に盃へと注がれる酒を飲み干しながら、義信の言葉を頭の中で反芻していた。酒も勝頼の思考を妨げることは出来なかった。

「少し中座致す」

 勝頼は用を足しに行くと装って席を中座した。

 厠に入った勝頼は用を足すのではなく、したたかに吐き戻した。

 それは、酒に酔って悪心を催したからではなかった。

 勝頼は思い至ったのだ。

 義信があのとき、何ゆえに勝頼を叱責しなかったのか。何ゆえに勝頼に先んじて詫びたのか。

 あのとき既に、義信は謀叛を決意していたに違いなかった。義信は謀叛を企て飯冨兵部の合力を得たことにより、その成功を確信する段階にあったのだ。そして義信は父信玄を追放するか成敗するかして、親今川路線を堅持する肚づもりだったのであろう。

 この企てが成功した場合、勝頼とかつの縁談は破談になるに違いなかった。義信はそのことについてあらかじめ勝頼に詫びたのだ。そして自らの所業により勝頼の縁談が破談になっても、勝頼と自分の間には元々遺恨はなかったのだから、今後とも頼りにしている、と義信は言っていたのである。

(狂っている・・・・・・! 父も兄も)

 そのように思い至った勝頼はいまいちど嘔吐えづいたけれども、既に胃の腑は空虚からであり、えた液体が吐き出されるだけであった。

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