直訴(四)
村に帰ると、三右衛門尉は早速次郎右衛門、次郎兵衛等とともに甲府滞在の費用を調達するために渋る村人達の説得を始めた。
「公事のためだなどと言って、その実、飲み食いに使ってるのでねえか」
などと口にする者もあったが、三右衛門尉はそういった者と言い争いをすることもなく我慢を重ねて頭を下げて回った。
旅費が集まったのは、三月も旬日を経た後のことであった。三右衛門尉一行は村を出発した。二日後の辰の刻には府第の門前に立てるよう、夜も明け切らぬころに村を出た。途中、小野神社に差し掛かった一行のうち、三右衛門尉は
「公事勝利を祈願していこう」
と言った。
次郎兵衛は
「前は一顧だにしなかったのに、どういう風の吹き回しか」
と訝しんだ。
一行は更に、峠に差し掛かって諏方の湖を見下ろした。湖面はもう凍てついてはいなかった。陽光を反射して、大地にある太陽のように、金色に輝いていた。三右衛門尉は、やはりその輝く湖面を美しいと素直に思った。
道中一泊し、一行は予定の時刻に躑躅ヶ崎館大手門の前に立っていた。
そしてもはや顔なじみになった門番の在番衆に対して
「今回は公事の決裁をいただきたく、御屋形様に直訴しにまかり越した」
と、用向きを伝えた。
門番は直訴と聞いて一瞬ぎょっとした表情を見せたが、すぐに大手脇の木口から内の在番衆に対して
「御屋形様に直訴を望んでおる者が越した。伝えてくれ」
と言った。
しばらく待たされた一行は木口から府第に招き入れられた。一行を応対したのは、一度目の訴えの際に事実上それを門前払いした大井靱負尉であった。靱負尉は言った。
「生憎であるが、御屋形様は今、志摩の湯に湯治に出られておる」
またぞろこの場で門前払いされてしまうのか。三右衛門尉は肩を落としかけた。
しかし靱負尉は案に相違して
「これより志摩の湯に使いをやって御屋形様に用向きを伝えよう。宿所を届け出て一旦下がられよ」
と一行に伝えた。
宿所において
「呼出は何日後になるものか」
と一行が思案していたところ、勝頼と面会するという心構えも出来ていない一行の許に、即日武田の侍がやってきて言った。
「御屋形様がお待ちである。疾く、志摩の湯へ越されよ」
このころ勝頼は、北は越後から南は遠江まで南北に走り回って多忙を極めていた。その間隙を縫っての湯治である。年に何度もない機会であり、勝頼が体と頭を休めることが出来る数少ない機会であった。
(このようなときくらいは、ゆっくりと頭を休めるものだ)
湯に浸かりながら、勝頼は頭に浮かぶ各方面の情勢を強いて振り払ったのであった。湯から上がった勝頼の許に、府中から注進があった。郷村の境目争論について、勝頼に直訴する者があるという報せであった。
(どうやら逃げられぬ立場らしい)
勝頼は自嘲するように口角を上げた。
「その者達に、ここへ越すように申し伝えよ」
そのように言った後、勝頼は取って付けたかのように
「急ぐ必要はない、ゆっくり参れば良いとも伝えよ」
と言ったのであった。政務から少しでも離れたところにいたいと思ったために出た言葉であった。
林が勝頼と共に志摩の湯に来たのは久しぶりのことであった。年がら年中政務やいくさに駆けずり回っている良人の身を思うと、こういったときくらいはゆっくり休んでもらいたいと思っていたが、越後にあって追い詰められていた兄景虎のこともまた気に掛かっていた。
(御屋形様は、なにゆえ兄を扶けてはくださらないの)
そうは思うがもしそのような疑問をぶつけてみたとしても、
「三郎殿とて北条の流れを汲む立派な武家である。喜平次を打ち倒したうえで国主として起つというのなら、懇意にしない余ではない」
と鉄面皮のような表情で言い放たれるのは目に見えていた。事実そうだったからである。
林は、勝頼は少なくとも自分に対してだけは人間らしい温かさを以て接してくれているものと信じていた。しかし景虎救出を懇願したときに見せた勝頼の表情は、見たこともないほどに冷たいものであった。このときの一度ばかりだったと言って良い。そして林は思った。良人も悩んでいるのだ。私には分からないなにか難しい問題があって、困り果てて行き着いた結論が
「三郎景虎に合力しない」
というものだったに違いないのである。
そのことを想うと、林は勝頼に対して重ねて景虎救出を懇願出来ないでいた。そのようであるから、久しぶりの湯治とはいえ林の表情は浮かないものであった。そのような林の様子を見逃す勝頼ではない。夕餉をとろうという手を止めて勝頼が林に言った。




