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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
後の巻 第一章 越後大乱
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雪と運命(一)

 地上に暮らす人々が半ば恣意的に定めた身分差に関係なく、雪はあまねく地を覆った。降り積もる雪の前に人々は平等であり、誰彼に味方することも敵対することもない。ちっぽけな存在に過ぎない人々が、容赦なく降り積もる雪に一喜一憂する。ただそれだけの話である。この年の雪は、薪や炭を作ることが出来なくなってしまった小池郷の人々にとっては憂いの種となり、そして越後で相争う二人の男にとっては明暗を分ける要因となった。

 降り積もる雪を前に

「天佑我にあり!」

 と喜びの声を上げたのは喜平次景勝であった。氏政率いる北条本隊は雪を恐れて本国に帰還し、坂戸城は窮地を脱した。氏政は坂戸城攻略を諦めたわけではなく、橋頭堡を樺澤城に定めて坂戸攻城の兵を残しはしたが、もはや坂戸城を包囲することも出来ずただ樺澤城に在って雪解けを待つだけの北条勢など、景勝にとっては脅威ではなく取るに足らない存在になり果てていた。

 景勝は氏政撤収の報を得て、御館に引き続き景虎方琵琶島城攻撃を下命した。これに対して景虎は、本庄秀綱を琵琶島城へと派遣し救援を試みたが、秀綱は景勝方の妨害に遭って琵琶島へと辿り着けず、また御館を景勝方が厳重に包囲していたので御館に帰還することも出来ず、本拠地栃尾城に帰るより他になくなってしまった。

 本庄秀綱の戦線離脱はやむを得ないものであったが、これは景虎方諸将の目に

「本庄秀綱は景虎を見限った」

 と受け取られ陣営の動揺甚だしいものがあった。

 景虎は驍将北條景広を景勝方の旗持城攻略に差し向けていたがこれも撃退され、いよいよ旗色が悪くなった。

 明けて天正七年(一五七九)正月、景勝優勢を決定づける事件が起こる。景勝派切り崩しを目的として猿毛城に派遣された景虎の使者が、城将上野九兵衛尉によって斬り捨てられたのである。それまで氏政来援による景虎方勝利に疑いを抱いてなかった諸人がその本国撤収という事態を前にして、雪崩を打って景勝方に転じ始めた兆しであった。勝ち馬に乗じる武士の習性はここでも遺憾なく発揮されたというわけだ。

 景勝は二月一日、御館に対し総攻撃を命令した。防御戦を戦う北條景広は諸方を駆け巡って押し寄せる景勝方を追い落とし、懸命に城の手当てをおこなっていた。

 景勝はその様子を遠望しながら

「あのように勇戦するのは北條景広に相違ない。あれを討ち取った者は褒美望み次第だ」

 と下知して諸兵を励まし、景広は群がる敵兵によって無惨にも切り刻まれた。景広は瀕死の手疵を負い、戸板に載せられ御館の城中に担ぎ込まれたが既に虫の息で、翌日死亡している。

 景勝方は御館の外郭にまで押し寄せて放火し、主要な防御施設を焼き払ってしまった。御館はさながら生城なまじろ(外郭を落とされ本丸だけの状態になること)の様相を呈して無惨であった。

 大身の将を失い生城に追い詰められた御館の苦戦を知ってか、坂戸攻城兵の一部を率いる景虎方の長尾景憲が樺澤城を出奔して坂戸城に入ったのもこの日の出来事である。樺澤城はこのために坂戸城攻略どころではなくなった。自分自身の身が危うくなり、逆に坂戸城兵に攻め囲まれて、同月二十三日、遂に陥落する。これにより北条は、越後における橋頭堡を失ったわけである。

 景虎と共に御館おたてにあって籠城戦を戦っていた上杉光徹は追い詰められて、戦前は消極的だった景虎を自分自身が焚き付けて蹶起を促した経緯いきさつも忘れ

ことここに至っては喜平次との和睦もやむを得んと考えるがどうか」

 と景虎に勧めると、景虎は激昂して言った。

「和睦? それは一体どういう意味ですか。国衆の支持を得て、武士としてこれに優る冥加があろうかなどと申し向けて私を焚き付けたのはどこの誰ですか。ご自分のお言葉をお忘れですか。あなたが私を担ぎ出したことでどれだけの血が流されたと思っているのですか。喜平次が今さら私を助命するとは思えません。よしんば喜平次が私を許したとしても、この錯乱で親族を殺された越後国衆は決して私を許さないでしょう。今さら和睦など出来るはずがないではありませんか。和睦に露命をつなごうとして醜く斬り殺されるくらいなら、死ぬまでとことん戦う所存です」

 光徹はそれでも

「まこと、そこもとを焚き付け蹶起を促したのは他ならぬわしだ。したがってわしが和睦の使者として喜平次陣中に赴こう」

 と食い下がってなおも和睦を勧める。

 光徹には成算があった。先代謙信が客将として厚遇した自分が和睦交渉の使者として訪れたならば、景勝は自分を無下にあしらうようなことはしまい、ましてや自分を殺すようなことはあるまいと高をくくってこのように申し出たのである。光徹は前関東管領としての立場をこの期に及んで恃んでいた。

 景虎は光徹が和睦の使者に立つのならば、とようやくにしてこれを了承した。

 光徹は早速和睦申出の矢文を景勝方の陣中に射込んだ。矢文は景勝の許に回送された。景勝は和睦交渉の席を四ツ屋砦に定めること及びその席に景虎嫡子道満丸を同道するように求め、その条件を呑むなら和睦交渉の席に就くと回答した。四ツ屋砦は景勝方の根小屋ではあるが、交渉の場が春日山城でも御館でもないということに意味があったし、道満丸の同道は、和睦が成立すれば即日人質としてその身柄を求めるための措置と思われた。景虎方は景勝がこの二点を求めてきたことについて

「景勝は和睦に応じる気配がある」

 と一種の手応えを感じていたがこの見通しは甘かった。

 景勝には和睦に応じる気などさらさらなかった。なにせ群臣に担ぎ上げられるより先に、刺客を放って景虎を殺そうとした景勝である。景勝は最初から、景虎方の巨魁である上杉光徹と、長じて復讐者となる恐れのある道満丸の二者を和睦交渉にかこつけて誘き出し殺すつもりだったのである。景勝は四ツ屋砦に使者を遣った。

 同砦番兵に

「光徹一行が近付いてきたら残らず斬り捨てろ。一人たりとも生かして帰すな」

 と光徹及び道満丸殺害の密命を下すためであった。

 四ツ屋砦在番衆は俄然緊張した。

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