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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
後の巻 第一章 越後大乱
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三和交渉(三)

 折悪しく勝頼の許に遠州に徳川家康が出張ってきたとの報せが入った。武田は潮が引くように越後から退いていった。

「武田は景勝景虎の和睦を諦めた」

 越後諸衆及び北条氏政は勝頼の帰国をそのように受け止めたに違いなく、勝頼の思惑をよそに、事態は彼の望まぬ方向へと発展していくのであった。

 躑躅ヶ崎館においてりんをはじめ信勝等の縁者、在番衆代表大井靱負尉の出迎えを受けた勝頼であったが、居館に入ったからといってくつろぐことが出来るというものではなかった。武田の許には各国各勢力のみならず国内の様々な階層の人々から書状や願届がもたらされていた。そういったもののうち、重要性、緊急性が認められるものは大出雲在陣の勝頼の許に直接回送されたし、そうでないものは帰府を待って国主勝頼に披露された。帰府したばかりの勝頼には、そういった書状や願届の決裁が山積していた。しかも勝頼には次なる出陣も既に予定されていた。勝頼自身、三和交渉の首尾が上々であったなどとはつゆほども考えてはいなかった。そのような中途半端ともいえる形で三和交渉を打ち切ったのは、遠州方面が家康の攻勢にさらされていたからに他ならない。遠州方面に後詰するためには、勝頼は早急にこれら国内の仕置しおきを済ませなければならなかった。無論それら願届のなかに小池郷の人々の訴状は含まれてはいない。本来勝頼の帰府を待って披露されるべき訴状であったのだが、公事の相手方が桃井将監だと知った大井靱負尉が小池衆を訴状ごと体よく追い払った経緯は前に陳べたとおりである。

 勝頼にとって当面の重要事は、林に今回の出陣の首尾について問われた場合の対応であった。林は良人勝頼が兄景虎を救うために越後に出陣したものだと考えていた。それはひとり林だけの考えではなかった。衆目そのように見ていたのである。甲相の同盟を前提に景虎救援の軍を発した勝頼が、道中方針を変更して三和に動いたことなど、林や他の国衆の知るところではなかった。もとより勝頼とて三和がうまくいったのならばさして悩む必要はなかったのだが、これが事実上の破綻に終わっているのである。急な方針変更の裏に何があったのか不明瞭な挙げ句、三和の目的すら遂げていない。なので、ことの次第を勝頼の口から簡単に聞いた林が、その大きな瞳に憂いを湛えながら

「それでは兄(景虎)はどうなってしまうのでしょう」

 と問うてきたのに対し、勝頼は、普段は幼妻に向けることのない、殊更表情を殺した顔を作りながら

「景虎殿とて北条の流れを汲む立派な武家である。弓矢に拠って喜平次を亡ぼし国主として起つというのならば、懇意にしない余ではない」

 と、女性には分かりにくい「武家の理論」を殊更ふりかざしてその追及をかわすのがやっとであった。

 事実、三和が破綻した以上勝頼が甲相同盟を維持するためには、景虎が景勝を討ち滅ぼすことに賭けなければならなかった。

(余は、自分の運命を他人の手に委ねておる)

 そのように考えると、気が気ではない勝頼なのであった。

 そんな勝頼にとっての朗報は、未だ越府に達していないとはいえ北条が越後に乗り入れているという情報であった。北条方は景勝の出身母体である上田長尾家本拠地坂戸城を囲み、激しく攻め立てていた。もとより景勝本貫地として、その重要性を知っている北条方から標的にされたものであり、景勝も他の諸城の守りを疎かにしてでも坂戸城だけは死守しなければならなかった。坂戸の籠城兵は景勝に対して盛んに後詰を要請し、景勝も動きのとれない身ではありながら

「間もなく武田の援兵を送るので頑張れ」

 と、勝頼にその気がないことを知りながら苦しくも励ましている。

 このまま北条方が坂戸城攻撃を続行しておれば景虎は勝利していたであろう。しかし事態は十月に入って一変した。冬の到来を恐れた氏政が、最低限の坂戸攻城兵を樺澤城に残して本隊を帰還させると布礼ふれたのである。御館にあって兄氏政の来援を心待ちにしていた景虎は、北条本隊が来援するどころか本国に帰還したと聞いて驚愕した。

「兄は何を考えているのか!」

 景虎は御館においてその報せを聞き、取り乱して怒号した。

 国内の反景勝派に担ぎ上げられ、自らが望まぬ形で蹶起した景虎であったが、既に錯乱勃発五ヶ月、その間双方に許容の度を超えた血が流されていた。事態がここまで発展してしまった以上、景虎は自らが好むと好まざるとに関わらず、景勝を亡ぼしてしまう以外に自分が生き残る道がないことを自覚していたのである。

 一方の景勝方は氏政本隊の本国帰還によって、落城寸前だった坂戸城をはじめ各方面で息を吹き返しつつあった。景勝はこの好機を逃すまじと兵を御館に繰り出し、郊外で景虎方本庄秀綱を撃破した。しかし景勝にも追撃の余力はなく、御館陥落には至っていない。なので乱の収束までには今しばらくの時日を要することになる。

 さてそのころ、いみじくも自分の運命を他人に委ねることになると嘆いた勝頼は、自らの命運を切り開くべく遠州方面に出陣していた。高天神城直近に付城として横須賀城を築き、駿河田中城下で苅田狼藉を働いて、この方面の武田方を盛んに挑発する家康に対し、勝頼は大軍を率いて戦いを挑んだ。しかし家康は独力でこれに当たる愚を避け、早々に兵を引いてしまった。

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