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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
後の巻 第一章 越後大乱
121/205

境目争い(四)

 大坊が示した目安には


目安

乍恐以書附御訴奉申上候事

信濃国筑摩郡小池郷士永年而入会内田山草木切取候処、内田郷士当月以点札禁入会候、郷村而貧窮地頭如斯被禁入会候条申候、此上者拠御訴度承上意存申上候

目安言上如件


(目安

 恐れながら書附かきつけを以て訴えを申し上げ奉ります。

 信濃国筑摩郡小池郷士は永年内田山に入会いりあいをして草木を伐り取ってきましたところ、内田郷士は今月点札によって入会を禁じました。郷村が貧窮して地頭(桃井将監)がこのように入会を禁じられたと申しますので、こうなってしまったうえは訴えによって上意を承りたく思い、申し上げます。以上のように訴え申し上げます)

 

 このように書かれていた。

「凡そ目安とはこのようにして書くものだ。檀家でもない信濃の村人の依頼を受けて代筆したのであるから、本来であれば礼銭を求めるところではあるが、そなた等も貧窮した上での公事であろう。今回ばかりは礼銭を求めぬ。免除してやろう。しかしそのようなことが噂になれば人々が押し寄せて同じように無償で目安を書くよう求めるに相違ない。そうなっては困るので、このことはくれぐれも内密であるぞ。拙僧から求めるのはそれのみである」

 と、目安を三右衛門尉に手渡した。

 三右衛門尉等三名は加賀美の大坊に感謝すること一再ではなかった。加賀美の大坊が新たに代筆してくれた訴状に力を得た一行であったが、いよいよ甲斐府中に至り、条坊に区切られた街区の大通おおどおりからその先にそびえる、ひときわ大きく立派な建物を目の当たりにすると尻込みせざるを得なかった。

 躑躅ヶ崎館はこれまで彼等小池の軍役衆も何度か足を運んだことがあった。しかしそれは具足に身を固め、寄親に引率されて大勢の中に紛れてのことであった。今回の緊張の度はそのときの比ではない。なにせ甲斐、信濃、駿河、上野を統治する大国武田の中枢に、その家の一門衆を相手とする公事の訴状を提出する目的で来訪したものである。躊躇するなという方が無理であった。次郎兵衛は次郎右衛門の袖を引っ張りながら

「本当に行くのですね。い、行くのですね」

 と震えながら声を掛けた。その次郎右衛門は

「当たり前だ。人々から旅費を預かってここまで来た我等だ。今更引き返すことなど出来るものか」

 と自らを励ましたがやはりその声は震えていた。

 そのような遣り取りをする二人を尻目に三右衛門尉はただ黙って歩を進めた。この訴えを奉行が受け付けなければ勝頼本人に直訴することを既に決意していた三右衛門尉である。奉行に訴え出るより前に尻込みなどしてはそれも覚束ないと、覚悟は端から定まっていた。

 大手を護る躑躅ヶ崎館在番衆の目に、この三人の姿はどう映ったであろうか。街区には引っ切りなしに人が往来し、三人一組の旅人が甲斐府中を通りがかった記念に武田の政庁とはどんなものか、目に焼き付けておこうとその前を通りがかる姿にでも見えたかもしれない。

 しかし在番衆がそうではないことに気付くのに、さほど時間はかからなかった。三右衛門尉等三名は、大手に架かる橋を渡り、その在番衆に対して

「公事に参じた者です」

 と用向きを伝えたからである。在番衆は差し出された訴状を受け取り、城門脇の木口の内に差し入れて

「公事のため参上したとのことだ。大井様にお伝えしてくれ」

 と門内の在番衆に伝えた。

 訴状は手から手に伝わり、門前にてしばらく待たされた三右衛門尉等は先の書状と同じようにようやく大手の脇の木口から府第に入ることを許された。通されたのはうまやであった。厩において三右衛門尉等は大井靱負尉(ゆきえのじょう)と名乗る身形の立派な侍に目通りした。大井は言った。

「わざわざ筑摩から越されてまことに大儀であるが、あいにく御屋形様は上杉征伐のために越後へ御出馬の最中さなかなのだ」

 そう言われて初めて気付いたのだが、確かに府第は建物の中もその敷地内にも、人がまばらで活気がない。当代では国主が不在の最中は公事は停止されるのが慣例であった。

 しかし三右衛門尉とてそのまま引き下がるというわけにはいかなかった。この公事に村人達の生活がかかっているのである。三右衛門尉は

「公事が進められないことはよく分かりました。訴状を置いて一旦帰郷したいと思います」

 と言った。

 公事が進められないというのなら、さしあたり訴えを受け付けてもらおうと思ったのである。しかし大井は

「公事の奉行となるべき方々も御屋形様に同陣しており、それらの帰府を待って再度訴え出られるが良い」 

 と、ていの良い言い方でその受け取りを拒否した。

「そうですか。仕方がありません」

 三右衛門尉は訴状を引っ込めた。

 小池郷の三名は空しく府第の門を引き上げていくよりほかなかった。訴えが事実上門前払いされたことで、次郎右衛門は安心するやら途方に暮れるやらで考えがまとまらない。

「やはり、受け付けてくれませなんだな」

 次郎右衛門は三右衛門尉に言った。大井靱負尉は公事方奉行が勝頼に同陣してしまって不在であるから訴状を受け付けないと説明した。しかし本来であれば訴えがなされたのであるから武田家として訴状を受け取り、勝頼と公事の取扱を出来る者の帰還を待ってから訴状の披露に及べば良いのだ。ただそれだけの話であった。

 大井靱負尉がそのような簡単な取り計らいですら渋ったのは、訴状に目を通して公事の論人(被告)が筑摩郡内田郷の地頭すなわち桃井将監であることを知ったからであろう。そのように考えると、然るべき立場の者が帰還したからといって公事が順調に進むとは到底思われなかった。

「だからといって他に解決策があるか」

 三右衛門尉は次郎右衛門と、そしてともすれば弱気の虫が鎌首をもたげる自分に対してそう言ったのであった。

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