境目争い(一)
小池郷の住人が四五人は集っているであろうか。各々が、或いは葛籠を背負い或いは鉈や鎌、斧を手にしている。打ち揃って山に入り、薪や炭の原料となる木々を採取するためであった。葛籠を背負って一行の先頭を歩く惣助はようやく見えてきた内田山への入山口を指差して言った。
「なんだありゃ。札が立っとるずら」
入山口に至った弥源次が
「なんと書かれておるんかいのう」
と思案顔で札を見上げているところに、少し遅れて次郎右衛門がやってきた。次郎右衛門は惣助と弥源次が見上げる札になど興味も示さず、ただ
「これ、なにを阿呆のように見上げておるのか。さっさと山に入って木々を採るぞ」
と先を促すのみである。次郎右衛門に促されて入山しようという弥源次を止めたのは、同道する惣助であった。
「待て。この札、見たことがあるぞ」
惣助はそのように言って弥源次が山に入ろうというのを止め立てし、続いて次郎右衛門に言った。
「この札、点札ではありませんか」
小池郷の人々には苦い経験があった。今を遡ること二年前の天正四年(一五七六)十月のことである。小池郷の隣に位置する内田郷の人々が小池と内田の境界を移動させたことに端を発する境目争いが発生した。惣助はこの際に、似たような札が武田の奉行衆によって立てられたのを見たことがあった。
文盲の惣助は札に何と書かれてあったものか読むことが出来なかったが、小池の有徳人である草間官兵衛によれば
「内田との境目争いに決着が着くまでは、小池衆はこの札より内田側に出入りしてはならんと書かれておる。武田のお奉行のお達しだ」
ということであった。
それから境目争論に決着が着いて札が取り除かれるまで、小池衆は札より向こう側に自分たちが耕した田畑の作物を取ることも出来ず、甚だ貧窮したという事件があったのである。今、入山口で札を前にたむろする小池衆に向け掲げられている札は、そのとき掲げられた点札に酷似したものであった。
「なに点札だと。そのようなはずはあるまい。昨日まで自由に出入りしていた山だぞ」
字を読むことが出来る次郎右衛門は訝しんで掲げられていた札に目を通すと、
「なんと」
と驚嘆する声を上げてしばし絶句してしまった。
それは惣助が言ったとおり、小池衆の内田山への出入りを禁じる点札であった。掲示者は内田郷の地頭、桃井将監となっている。
「これは困ったことになった。惣助の言うとおりこれは内田山への入会を禁ずる点札だ。我等に宛てて掲げられておる」
と絞り出すように言った。
そう言ったきり点札を前に考え込んで黙り込んでいた次郎右衛門は意を決したように
「点札が掲げられた以上、入山は控えよう。皆、一旦村へ帰るぞ」
と一行に告げて空しく小池郷へと引き上げていったのであった。
次郎右衛門等が小池に帰還すると、村を代表して入会地である内田山に入っていった彼等が炭や薪の原料となる木々を採って帰ってきたものと思い込んでいた村人達が
「なにしに山へ入っただか」
「物見遊山にでも行っておったのか」
と口々に文句を言うので惣助や弥源次は
「そうではない。山に点札が掲げられたのだ」
と必死になって説明したが、生活のかかる村人達に納得する様子はない。
次郎右衛門は村人達から責め立てられる二人を気の毒に思いながらも、今後の対応を協議するため村の有徳人である草間官兵衛の屋敷に出向いた。草間屋敷に赴くと、出迎えたのは弱冠に至ったばかりの官兵衛嫡男三右衛門尉であった。官兵衛は三年前の長篠戦役において酷い手傷を負ったので、三右衛門尉がその陣代として次郎右衛門からの注進を受けたものであった。
次郎右衛門はことのあらましを三右衛門尉に説明した。三右衛門尉は点札の掲示者が内田郷地頭桃井将監と聞くと、一瞬怯んだような表情を見せた。それもやむを得ないことである。桃井将監といえば武田典厩信豊の姪婿、すなわち武田の一門衆である。他の何者かであれば怯むこともない三右衛門尉も、さすがに相手が武田一門衆となると話は別であった。そこで三右衛門尉は点札が掲げられた翌日、実際に点札を目にした次郎右衛門と次郎兵衛を伴って内田郷へと赴いた。父官兵衛と旧知の間柄であった内田郷の百瀬志摩に、桃井将監への口利きを依頼するためであった。
もとより自らの存念で入山を禁じたわけではない百瀬は
「これまで入会地としていた山であり、そちらの言うことも尤もである。一度わしから桃井様に伺いを立ててみよう」
と気のある返事をした。内田郷から小池へ帰る道中、次郎右衛門は
「百瀬殿は口利きを快諾してくれましたので、きっと点札は除かれるでしょう。点札の撤去を見届けるまでもなく、明日にでも山に入り、木々を刈り取ってしまいましょう」
と言うと、草間三右衛門尉は
「やめたが良い。下手に乗り入れて内田の衆と山中に出くわせば面倒なことになりかねん」
と危惧を示してかかる行為を戒めた。それから三日後、今度は百瀬志摩が小池郷草間官兵衛屋敷を訪ねた。療養中の草間官兵衛は子の三右衛門尉とともに百瀬を屋敷に出迎えた。百瀬は言った。
「桃井様の許に足を運んでその存念を伺って参った」
「して、首尾は」
官兵衛が身を乗り出してその結果を訊ねると、百瀬はこたえた。
「よくない」
右兵衛尉の返事を聞いた官兵衛、三右衛門尉共に落胆した表情を隠さなかった。百瀬志摩は続けた。
「桃井様の存念はこうだ。近年軍役が重なり、加えて軍装を調えるよう常々求められるので御屋形様に御加増を願い出てるのだがなかなか果たされん。当方も相当に苦しいのでこのようにしたと」