御館の乱(六)
傍らに付き添う信達が書状の内容を虎綱に読み聞かせる。虎綱は頬の痩けた顔を逐一縦に振りながら聞き入っていた。そして信達がその内容を読み終えると、連署の部分を指差して問うた。
「これは連署であろう。何者が名を連ねておるか。読み上げよ」
「竹俣三河守、齋藤下野守、吉江織部佑と中条与次の父子、それに色部惣七郎、新発田尾張守、上条山城守とあります」
信達からそう聞くと、虎綱は独り言のように
「謙信亡き今どれをとっても満足に鑓も振るえぬ小童同然であるが、齋藤下野と竹俣三河の名は聞き捨てならん。彼等が喜平次に与党しておる以上、国外はともかく国内は景勝が優勢である。だが紙一重であろう」
と論じ、死相の浮いた顔を信豊に向けて
「それがし思うに書状はあてになりません。難しいところですが三郎景虎に合力せざるを旨として行動なさるべきでしょう」
と言った。信豊が驚きながら
「喜平次を扶けよということでしょうか」
と問うと、虎綱は
「それも愚策です。ただ景虎に加勢せざるのみ」
とこたえたので信豊は迷っているところを腹蔵なく虎綱にぶつけてみた。
「景虎を見捨てれば北条を敵に回すことになりましょう」
「御先代の御遺言をお忘れか」
「氏政は必ず裏切るという話ですか。御屋形様も心配しておられました」
「左様。その話です。御先代の葬儀を内外に顕らかにした以上、氏政はいつそのような挙に出てもおかしくはありません」
虎綱は言った。
虎綱が口にした意見は信豊とは全く逆の解釈であった。信豊の意見は要するに
「信玄の死を顕かにしたが氏政が武田を裏切る気配はない。景虎に合力しさえすれば今後もそのようなことはないだろう」
というものであった。
一方の虎綱は氏政の裏切りを前提としているのである。すなわち
「信玄の死を顕かにした以上、氏政はいつ武田を裏切ってもおかしくない。それに備えて景虎に合力すべきではない」
と考えているわけである。
虎綱は続けた。
「御屋形様が景虎に合力したとしてもいずれ機を見て必ずや氏政は我等を裏切りましょう。それがし長篠戦役後、氏政の縁者となるよう御屋形様にお勧めし、それが成って御正室をお迎えしたものですが、それとて氏政の裏切りに備えて北条からの人質を得るために献策したものでございました」
「景虎に合力したとしても北条の裏切りは避けられんということですか」
「まず間違いありません。景虎に合力した上、氏政に裏切られては東と北から北条が寄せてくることになりましょう。今景虎を扶ければ自らその苦境を招来するも同然。しかし氏政は力量を量るに敏いところがあります。景虎を見捨てたとしても、武田の武威が衰えを見せなければ氏政はその力量を恐れ、容易に我等を裏切りますまい。まずは我等が力を保ち続けることこそ肝要。氏政の勢力拡大を妨げることがそれに次いで肝要かと・・・・・・」
ここまで発言すると、虎綱は右手で腹を押さえつつ顔を顰めた。
腹に疼痛が走っているものと思われた。信達が傍らに付き添ってその背中をさすり始めた。
虎綱は
「大事ない」
と、信達を制して
「喜平次景勝が約束する黄金や領土割譲もゆめゆめあてになさいますな。ただ景虎に与党せざるを以て氏政変心に備えられよ」
と言った。
「分かりました。体調が優れぬようです。奥で休まれよ」
信豊は虎綱に床へ戻るよう言った。
虎綱はまだ何か言いたげであったが、疼痛に苦しむ虎綱にこれ以上の無理を強いるわけにはいかなかった。虎綱は信達に支えられながら奥へと退いていった。
海津城においてこのような遣り取りが春日弾正忠虎綱と典厩信豊との間で取り交わされた上で回送されてきた景勝書状である。
附された意見書には
「景虎に合力すべきではなく、景勝との和睦には応じるがこれにも与党しない」
と書かれていた。
典厩信豊と春日弾正代筆信達が連署した意見書に勝頼は身じろぎもせず目を通し、次いで跡部大炊介にこれを手渡した。両者の間に沈黙が流れる。
「ここにきて新たな意見が出ましたな」
跡部は如何にも困ったというような表情をしながら呟いた。他の何者かの意見ならともかく、なんといっても二十年近く北信川中島の防備に当たってきた春日弾正の意見である。越後が北条分国と化し、そこから兵を出されることについて他の誰よりも脅威を感じての意見なのであろう。氏政が裏切ることを前提とする春日弾正から見れば、確かに三郎景虎に合力する選択肢は有り得ないものであった。
困ったような表情を見せる跡部に対して勝頼は
「いや、これこそ我が意に適う意見だ。喜平次と三郎景虎の、いずれにも与することなく寧ろ両者の中人として仲立ちするのだ。中人として仲立ちし、我等が両者の和睦に動けば北条方より敵視されることはあるまい。その理由がなくなるからだ。またこの喜平次書状を見る限り、喜平次は我等と同盟して三郎景虎を共に滅ぼそうと求めているわけではない。だた我等との和睦を打診しているにとどまっておる。その願いも同時に聞き届けるのだ。そうすれば和睦は成立したのだから喜平次は書状に示す和睦条件を実行しなければならなくなるであろう。越後に敵を作らず、北条を敵に回さず、そして武田に利のある結果を得んと欲すればこれ以外に方法はなかろう」
勝頼はそう言った後、跡部大炊介に対して景勝に返書を発送するように命じた。




