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武田勝頼激闘録  作者: pip-erekiban
前の巻 第一章 勝頼誕生
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元服と初陣(三)

 西上野に出陣した永禄五年(一五六二)当時、信玄が未だ北進策に武田の将来を賭け、これに拘泥していたことは間違いなかろう。前年九月におこなわれた八幡原の戦いにおいて、越後防衛に賭ける政虎の不退転の決意を目の当たりにした信玄であったが、だからといって北より他に拡大する出口はなかった。この時期の西上野派兵も、越後攻略の一環という文脈で捉えるべきである。

 武田家にとって幸いだったのは、この方面で武田の攻勢をことごとく退けてきた箕輪城主長野業正(なりまさ)が前年十一月に亡くなったことであった。山内上杉家の家臣として仕え、笠原清繁籠もる志賀城への後詰を山内上杉憲政が決意したとき、業正はこれを諫止したという。憲政は業正の諫言に耳を傾けることなく、戦いは配下に任せきりにして、結果、山内上杉軍は小田井原にて板垣駿河守信方の軍に大敗し、関東管領の権威は地に堕ちた。

 憲政はその後も小田原北条氏に敗退を重ねて遂に上州平井城を失陥し、箕輪城は敵中に孤立することとなった。

 しかし名将長野業正は関東管領家の武将としてその矜恃を保ち続け、堅城箕輪に籠もって幾度も甲軍の鋭鋒を撃退している。その抵抗があまりに頑強、硬軟使い分けた攻勢の前にもびくともせず、信玄は

「業正がいる限り上州には手が出せぬ」

 と嘆いたほどであった。

 その業正が死んだ。

 信玄はこれを好機と西上野への攻勢を強めた。勝頼が初陣の芝を踏んだ永禄六年(一五六三)というのは、ちょうどそのときに当たっていた。

 勝頼は、高遠衆を率い、碓氷峠を越えようという甲軍本隊に合流するよう父からの指示を得た。

(遂にそのときが来た)

 勝頼は小者に具足の着装を手伝わせながら、昂ぶる気持を必死に抑えていた。

(信豊も人数を率いて出陣しているらしい)

 勝頼はそのことを考えて功を焦った。

 河原の一件があったことや、現実問題信豊が若年だったという事情もあって、信豊の初陣は今日まで果たされていなかった。これは見方によっては信玄が、両者同時に初陣を飾らせ手柄を競わせようとしているものと見ることが出来た。同時に初陣とは言い条、勝頼はこの年十八、信豊は十五であるから、信豊の方が若くして戦場の芝を踏むということである。そのうえ更に手柄まで譲るわけにはいかなかった。勝頼が功を焦ったのはそのためだ。

 しかしそれにしても、初めて具足を身に着け馬に揺られ、軍中に身を委ねたものであるが、具足の上から陣羽織というものを着してはみたものの、凍み入る寒さは相当に厳しいものがあった。

 ときは十二月であった。

 勝頼を閉口させたのは、寒いからといって具足の下に幾重も衣を重ねることが出来ない点であった。あまり着込むと身の動きに支障を来すためであった。いくら寒くとも、必要とあればすぐに脱ぎ捨てることが出来る陣羽織を頼るより他になかった。

 しかし勝頼の如きは陣羽織を羽織ることが出来るだけ、まだましであった。小身の軍役衆の大半はそのような防寒具もなく、なかには陣中凍死する者もあった。そうならないためには敵地において民家を接収し、或いは乱妨狼藉を働いて得た材木を燃やして暖を取るより他にない。

 華々しい侍同士の決闘を期待して従軍していた勝頼にとって、こういった光景はいくさのもう一つの側面であった。

 長野業正が逝去して後、上州攻めの好機と乗り出してきた信玄であったが、業正嫡男業盛(なりもり)は父の遺訓をよく守り、なおも上下は一致して、箕輪城攻めは遅々として進まなかった。甲軍は寒風の中、陣屋を急造して城を包囲するより他になかった。

「いくさとはこういうものか。随分と動きに乏しいな」

 勝頼は陣中にあって、誰にともなくそう呟いた。

「動きのあるいくさばかりではございません。近年は御家も随分と大きくなりましたゆえ、城攻めが多く野原にて大いに争うことも少なくなりました」

 穐山紀伊守はそのようにこたえた。

 穐山紀伊のいうことは事実で、甲軍が野戦を大々的に戦ったのは二年前の八幡原の戦いが最後であった。そのような合戦の話をせがんで期待していた勝頼にとって、この箕輪城包囲戦はまことに動きに乏しい、詰まらぬいくさであった。

「穐山。わしはこの初陣で手柄を挙げたい。陣中には典厩信豊も在陣しておる。あれにだけは負けられぬ。頼む」

 勝頼の言葉に、穐山紀伊は考え込まざるを得なかった。

 手柄とはいっても敵は城に固く籠もり出て来る気配がない。城に取りつき攻め上るような危険を冒せば、手柄どころか勝頼が戦死しかねない危険があった。そうなれば穐山紀伊守だけでなく、勝頼に付き随っている高遠衆の多くが切腹を命じられることになるだろう。

 しかし他ならぬ若い主人の願いである。なんとか手柄を建てさせ、勝頼を男にしてやりたいという親心もあった。

 穐山紀伊守が目を付けたのは、時折城中の何処からか数騎の馬を出してくる斥候の一団であった。城から出てきては何をするわけでもなく、ただ包囲陣を舐めるように見渡して、また何処かへと去っていくという一団に目を付けたのである。一団の将は身形みなりからしてそれなりの身分の侍と思われた。だが包囲陣を見渡すだけで矢弾の一つも放つことがないこの一団を、強いて追おうとする者は甲軍中になかった。これを勝頼に討ち取らせようというのである。

「分かった。ありがたい。して、その一団は次はいつ出て来るか」

 穐山紀伊守の進言に喜んだ勝頼であったが、穐山紀伊が続けた言葉に、これは意外な難事かもしれぬと思わざるを得なかった。

「彼の一団は不定期に出現します。それがし思うにこのまま動きなくんば間もなく包囲を解いて撤退ということになりましょう。そうなる前に手柄を挙げねばなりません。陣中、具足を解くいとまなど今後ないと思し召せ」

 勝頼は穐山紀伊守の献言どおり、夜中であっても具足の紐を解かなかった。勝頼と共に打って出るべき穐山紀伊守も同じであった。勝頼陣営には独自に不寝番ねずばんが置かれた。食事においても、固く飲み下すのに時間がかかる干物は遠ざけられ、湯漬けを掻き込む程度で済ませた。

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