世にも不愉快な物語
国際連携主催のスパコン・コンクールで勝利したのが、量子コンピュータ「ピッコ」だ。地球温暖化は当然制御不能、気候変動による食糧難が世界を苦しめている。アメリカをはじめ主要各国が自国優先主義を標榜する中、世界同時核戦争の危機が間近に迫っていた。核の商人が暗躍し、かなりの弱小国までもが核ミサイルを持ち、大国といえども無血勝利することは不可能になりつつある。そこで主要各国は弱体化した国際連合を解散し、新たに国際連携を発足させたのだ。加盟を拒否した国は国際連携軍によって集中攻撃を受けるため、参加国はほぼ一〇〇パーセントとなった。
国際連携会議では大国の拒否権がなくなり、すべての議案が多数決で決まる。問題は山積みだが、喫緊の課題は世界的な食糧危機における食糧分配システムの構築だ。しかし、各国は自国民を守るために互いに譲らず、多少のゆとりがある国も、国際連携への食糧提供を頑なに拒んだ。
「これでは国際連合と変わりません。会議が踊っていては、第三次世界大戦を招くばかりです。今後一○年間に限って、世界ナンバーワンのコンピュータに世界統治を任せるのはいかがでしょう」
人間ではらちの明かない問題をコンピュータに任せてしまう。コンピュータの決めたことは人間の責任ではない。どの国の政府も罰を科されることはない。某国の提案は、すんなり多数決で可決されてしまったのだ。そして、世界の統治を任せられる優秀なスパコンを選ぶため、コンクールが開かれたというわけだ。
結果として、日本の誇る量子コンピュータ「ピッコ」が選ばれたわけだが、その翌日には世界的な食糧難に対する明快な解決策を叩き出していた。
「さすが機械だ。アルゴリズムは我々が口に出せないことを平気でやってのける。簡潔、明快、そして残酷。腐った部分は取り除く。しかしこれは、現状打開の唯一の解答に違いないし、地球史の必然でもあるのです。歴史は繰り返すという意味ではね……」
提案者はそう発言したが、「しかし必要な人間たちは必要だ。それは新型病原菌のパンデミック時と同様、医者、政治家、資金源としての金持、特権階級云々になるだろうが、それもアルゴリズムが的確にチョイスしてくれるでしょう」と付け加えることを忘れなかった。
「いよいよ地球規模のスパコン維新が始まった。あとはスパコンシェフのお任せ定食といきましょう。資源を食い荒らす非生産連中は、わが地球からの所払いを言い渡す!」
国際連携議長は小槌を思い切り振り下ろして、一〇年間にわたる休会を宣言した。
勉の誕生日に赤い封筒が届いた。赤い封筒は赤紙といい、七〇歳になってから毎年届くことになる。生き続けるかぎり毎年やってくる。生涯に何通の赤紙をもらうかは、その人の運にかかっているのだ。勉は赤紙を手に涙を流した。明日香の赤紙は五日前に届いていた。誕生日が五日早かったからだ。で、夫婦は二つそろったところで開封することにした。巷では「ご開封の儀」と呼ばれ、誕生日と一緒に祝うのが通例だ。二人はいつも誕生日を一緒に祝ってきたから、開封祝いも一緒にやることになった。勉にとっては誕生日と開封を祝うことになる一大イベントである。しかし、どれをとっても楽しいことなんかなにもなく、むしろ悲しいぐらいだ。夫婦の誕生パーティーは息子の克夫が企画し、親戚や知人、元同僚も参加して盛大なものとなった。
当日の会場はまるで結婚式のような華やかな雰囲気の中、フルコースの料理が次々と運ばれ、来賓の客たちが次々とお祝いの言葉を述べた。もちろん、最近主流になった本物そっくり料理である。いよいよデザートという段階になると、巨大なケーキが出てきて二人がナイフを入れ、シャンパンで乾杯となった。しかし、肝心なのはそのあとの「ご開封の儀」である。開封するのは二人の結婚時に仲人を務めた元専務の山田。残念ながら、彼の妻は数年前に当選してここにはいないが、山田は御歳九二の強運高齢者として崇拝されていた。長い人生の中で宝くじをはじめとする懸賞、入試、コンクールなどなど、そういった類のものに落ち続けてきた強運の持ち主だ。
まずは司会者が、今年四月に発表された削減目標を解説する。
「みなさまご承知のとおり、スパコンがはじき出した人数ですが、今年度は世界で九八六四万五七一四人の方が削減されます。もちろんこれは、今年中に起こるかもしれない天変地異などは考慮されておりませんので、年末調整によって若干上下する可能性はあります。そして肝心のわが国の割り当てですが、残念ながらやはり弱小国に対するジャパン・プレミアムがかかりまして、いささか多目の数値が出ております。二九六万三九七六人。現在わが国の七〇歳以上の人口が二、八六四万二七二六人ですから、当選確率は一〇・三%ということになります。これは決して少ない数値ではございません。それでは、占いの先生、おまじないをお願いしたします」
羽織袴、八卦観の風体をした高齢者が登場。ご開封の儀に占い師は不可欠な存在で、しかも占いの言葉は一言、「外れ~」で終わり、謝礼一〇万円を頂戴してさっさと消えてしまう。本番前に消えないと殴られかねないからだ。筮竹をシャラシャラ鳴らしながら「お二人とも外れ~」の言葉が鳴り響く。会場は盛大な拍手となり、夫婦は席を立って喜び、酒を持ってテーブルを回りはじめる。そしてすべてのテーブルを回ったところで、いよいよ本番、待ちに待った当選結果の通知だ。
「それでは生神様といっても過言でない、御歳九二歳であられる山田様、ゴッドハンドでご開封をお願いいたします」
仲人の山田が立ち上がると、バックミュージックがベートーベン第五「運命」のジャジャジャジャーンに変わり、会場がピンとした緊張感に包まれる。仲人はまず、勉の封筒を開き、中から出てきた赤札に書かれた文字を溢れんばかりの笑顔で読み上げた。
「落選!」
すると、満場の拍手が上がり、巨大な空間スクリーンに「落選」の文字が映し出された。次に仲人は明日香の封筒を開けてしばらく呆然とし、消え入るような声で「当選」と読み上げた。この文字もすぐにスクリーンに映し出される。場内「ア~ア……」というため息の中、仲人は肩を落として席に座り、明日香はその場で失神。
さて、宇宙移住抽選会の赤札は本人が生き続けるかぎり、毎年政府から送りつけられてくるものだ。当たりか外れかの二者択一。外れたやつは小躍りし、当たったやつはへたり込む。勉は外れたのにへたり込んだ。明日香のいない余生など、死んだほうがマシだと思っていたからだ。
それから数年後、勉の誕生日に送られてきた赤紙は当たりくじだった。勉は小躍りして喜んだ。明日香はもう火星に出発したのだろうか……。勉も火星移住を希望していたので、いずれ別れた明日香と再会できるに違いない。当選者は収容前に収容所の見学が義務付けられている。勉は期待に胸を膨らまして見学会に参加しようとしたが、「火星移住は一〇〇年後だぜ」と克夫に言われ、腰砕けとなってしまった。
途中駅ごとに人が乗り込んできて、北海道の終着駅に下りたのは約一〇〇人の招待客だった。駅名は施設名と同じ「火星移住ベースキャンプ」で、施設と同じ深さの地下に造られている。プラットホームには赤い絨毯が敷かれ、それは五〇メートル先の施設入口まで続いていた。宇宙服風ユニホーム姿のスタッフが二〇人、整列して見学客を出迎える。若い女性たちで満面の笑みを浮かべていたが、反対に見学者たちは全員が頬を強張らせ、まるで強制収容所に到着した囚人のような顔つきだった。
「ようこそおいでくださいました。私はキャンプ・キャプテンの小林と申します」
女性たちの後ろから出てきたのもやはり女性だが、こちらはどう見ても六〇は越えている感じの太った女性である。
「あなたも宇宙移住年代ですか?」と、見学者の一人が施設長にたずねた。このとき初めて、見学者からうすわらいが漏れ、ちらほらと黄色い歯が見えたりもした。しかし、わらいはすぐに収まり、全員がもとの硬直した表情に戻った。
「そう、私もあと二年で抽選が始まりますし、それが楽しみでもあります。みなさんの中で、抽選に当たって喜ばれた方はいらっしゃいますか?」と小林が聞くと、勉を含め一〇人ほどが無表情なままにだらりと手を上げた。
「私と同じ考えの方が一〇人もいらっしゃるなんて、素敵ですわ」
小林がいうと、手を上げた一人が反論した。
「いや、死んだほうがマシだと思っているんで」
再び全員が力なくわらった。
「なるほど、私とは違う理由から当選を喜ばれたわけですね。でも、本質的には私と同じ考えだということが、ここを見学すればお分かりになると思います。確かに地球の現実は死んだほうがマシかも知れません。高齢者医療は法律で禁止されました。誰もが死ぬときは哀れです。でもみなさん、ひょっとしたら未来はいまよりもずっとマシになるんじゃないかと思われたことはございません? でしたら、死ぬのはナシですよ。いまよりずっとマシな未来へ行く方法はあるんですから。その一つがこの施設です。ここは日本が開発した先進設備なのです。では、みなさんをご案内しましょう」
一同は小林の案内で「火星移住ベースキャンプ」と書かれた自動扉を潜り抜け、最初に広々とした食堂に通された。バイキング方式で、ここ二〇年ぐらい映像でしかお目にかかったことのないような豪勢な料理が所狭しに並べられているが、アルコール類は一切置かれていない。
「食材はすべて本物です。しかもこれらは火星で作られたものです。お酒はありませんが、最初にお腹を満たしていただき、じっくりと当施設のメリットを考えていただこうという企画です。みなさんが新入社員の時代には、こんなお料理は楽しんでいらしたと思いますが、二〇年前から日本でも配給制度が始まり、多くの方々の口には一切入らなくなりました。どうぞ、思う存分楽しんでください。それに、なにか質問がございましたら、どんどんお聞きください。どんな疑問でもお答えいたします」
ステーキやフォアグラなどの肉類はもちろん、イセエビやアワビ、マグロの刺身といった魚介類まで、すべて本物だと聞いて多くの見学客がほお張り、ふだん食べ慣れているニセ食品との味の違いに驚いた。とはいうものの、一〇人程度が食事に手を付けるのをためらっている。
「すべて火星産ですか?」と誰かが聞いた。
「そうです。現在、地球と同じ環境へ向けてのテラフォーミングが進んでいますが、火星全域が完璧に地球化するのは一〇〇年後です。でも、赤道付近はすでに地球化が進んでおりまして、小規模ながらも海ができ、魚介類の養殖も始まっています。もちろん、穀物や野菜、牧畜も、です」といってから、小林は「どうなされましたか? 体調でもお悪いのですか?」とすぐ横の一人にたずねた。彼女は皿も取らずに突っ立っている。
「気分が爽快になるような薬でも混ぜられていると、施設の正確な評価はできませんから」との答えだ。するとぱく付いている隣の見学客が「評価しようがしまいが、強制的に入れられるんだぜ」と口を挟んだ。
「強制的という言葉には賛同できませんが、火星移住はご高齢の方の義務であることは間違いありませんね」
小林がいうと、男はステーキをクチャクチャと噛みながら「義務を逃げれば捕まっちまうのを強制的っていうのさ」と反論した。
「ですからこのような見学会が催されているわけです。ベースキャンプと火星を十分に知ることで、強制的という言葉は誤解から出たものであることを理解していただけます。もちろん法律がありますから、義務は果たさなければなりません。でも、そのあとはお気持ちの問題になります。みなさんが心配なさっているのは、火星には自由がないのではないか、ということですよね。でもいまの地球、どこに自由がありますか? みなさんがいまお暮らしになっている社会に自由はありますか?」
「ありゃしないわ。歳を取れば取るほど、ますます肩身の狭い思いをしなければならないんだから」と近くの女性が会話に入ってきた。
「でも、火星にはあるのです。火星では思う存分生きることができるんです。取り巻く環境が厳しければ厳しいほど、人は心の中で火星を夢見ます。囚人だって火星を思うと自由を感じることができるんです。ある朝目覚めると、みなさんは理想郷にいた。でも残念ながらいつもの夢だった。いままではね。ところが火星は違います。実際に地球化しつつあります。みなさんの理想郷を実現する第二の地球なのです」
「そりゃ天国のことじゃろ」と誰かがいうと、食堂に爆笑が起こった。
「天国は死んでから行くところですわ」
「やめようぜ、まるで説法を受けているようだ!」といって、遠くのテーブルに腰掛けていた男が立ち上がった。遠目でも真っ赤な顔をしていることが分かる。ポケットにウィスキーでも忍ばせていたのだろう。
「殺人法ができて、毎年、老人の削減数が国ごとに割り当てられるんだ。今年は俺たちがその餌食になった。じゃあどこに集められて殺されるんだ。ここじゃないか。ここは絶滅収容所だろ?」
男は全身をわなわなと震わせていた。しかし小林はまったく動じず、ニコニコと微笑み続ける。事実、見学者の中にはこんなことをいう者は必ずいたので、手馴れた対応ができるのだ。
「それは大きな誤解です。見学会はそうした誤解を解くために催されているんです。まず、ここは人を殺す施設ではございません。一〇〇年後に火星移住が解禁するまでの移住者の待機所なのです。ちょっと良子ちゃん、こっちに来てちょうだい」
バイキング料理の給仕をしていた美しい少女が皿をテーブルに置いて、小林の横にやってきた。
「さあ、自己紹介してちょうだい」
「ハイ、私、良子と申します。この食堂で働き始めてから一〇年になります。主に給仕と調理を担当しております」
「一〇年というと、子供の頃から働いているの?」と誰かが質問すると、「はい〇歳から働いております」と答えたのでまた爆笑。
「あなたは人間?」と小林が聞くと、「いいえロボットです」と答えた。
「残念ながら、彼女はアンドロイドでした。でもみなさん全員、人間だと思われましたよね。彼女と人間の違いは分かりますか?」
誰も答えられないのを見届けてから、「こうすれば一目瞭然ですわ」といって、小林は良子の襟首のところに手を回した。すると突然、良子は硬直して動かなくなった。
「どうです、良子ちゃんの電源を切りました。もう彼女は微動だにしません。ちょっと押しただけで倒れてしまいますが、かわいそうなのでそんなことはしません。さあ、もう一度電源を入れてみましょう」
小林がもう一度襟首に手をやると、良子は再び動き出した。
「どう良子ちゃん。いまあなたの電源を切ったの、知っています?」
「はい、首の後ろをいじられたので、そうだとは思いました。でも、切れているときはなにも分かりません」
「そりゃそうだわ。電気がなければ考えることはできないもの。ではみなさん、もう一度お尋ねします。人間とロボットの違いはなんでしょう」
「ロボットは人間がつくったけれど、人間は自然がつくったロボットです」
答えたのは勉だった。勉はやはりポケットに隠し持っていたウィスキーの小瓶を空にしていた。とても素面でこんな施設は見られないと思っていたからだ。
「そうです、私とまったく同じ意見ですね。人間を含めて生物は自然がつくったロボットなのです。バクテリアのような下等なものから、高等な人間までいろいろですが、ロボットだって玩具のようなものから良子ちゃんまでいろいろです。古くから人間機械論という考えがありますが、良子ちゃんを見ればそれが正しい思想であったことが分かります。彼女は人間と同じ高等な知識と感情を持って、ここで働いています。話していても違和感はまったくありません。彼女の脳味噌は、人間と同じことを考えているのです。しかも作業能力は人間以上です。じゃあロボットが人間と同じだとすれば、その逆も可なりです。人間は自然がつくった機械です。この施設のベーシックなコンセプトは、人間は機械であるということです」
「ということは?」と勉。
「機械はある目的を持って製造され、その目的を達成すると廃棄されます。それを人間に当てはめると、人間は目的を持って世に生まれ、目的がなくなると死ぬことになります。たとえば会社では、社員は会社の目的を達成するため雇われ、ボロボロになるまで使われてから解雇されます。老後は職を失って、目的もないままに生き続けるというのは、昔の言葉でいうとガソリンを使ってエンジンを空ぶかししていることだと思います」
「きついこというなあ。だから早いところ火星にでも飛んでけっていうのかよ」とどこかで声が上がった。
「そうではございません。いまの世の中では、高齢者は目的を持つことができないといいたいのです。目的という言葉が悪ければ、生き甲斐とかゆとりとか、そういった言葉でもかまいませんわ。なにも社会に尽くすことだけが目的ではございません。自己実現も目的です。自分のやりたいことをする。自分の思い描いていた環境を獲得する。でもいまは、そんなことを達成できる世の中ではございません」
「しかし、希望はある」
勉はいって、皮肉っぽくわらった。
「そのとおり。希望は火星です。火星に活躍できる場があるなら、機械はスクラップにしません。ストックされるのです。経年劣化しないように保管すればいいんです。そして、使うチャンスが来たときに起動させます。ご理解いただけたでしょうか。この施設は、神様が創造したあなた方を、バラ色の未来に託して保管するストックヤードなのです」
(つづく)
一時間後に見学が始まった。広々とした見学通路で、どこまでも一直線に続いていてどん尻が見えなかったので、アッと声を発する者もいた。とても歩ける長さではないと思ったからだが、通路の半分がゆっくりと動いていたので全員がホッと胸をなで下ろした。
最初に個人情報のデータベースを保管している部屋に案内された。百坪ほどのスペースの真ん中に一メートル四方の正方形のコンピュータが二台置かれ、ピンキーにされた人たちの脳情報が納められている。
「ここには、万が一保存された方々が再生に失敗された場合、それを修復するための情報がストックされています。たとえばコネクトームと呼ばれる個人の脳神経回路の設計図、および遺伝子情報、そして自己アイデンティティに不可欠な記憶情報など、お客様の心の情報です」と小林。
「それらは僕の家にもあるよ。妻の明日香はここに収容されたけれど、僕はその情報を3Dホログラムで表現できる機械を買って、毎晩明日香と話をしていた。しかし、ホログラムはしょせん幽霊のようなもので、キスもできやしない。最近、そっくりさんロボットに変えましたよ」
勉がいうと周りから一斉にわらいが起こり、「そんな執着心を和らげる薬もありますよ」と誰かがからかった。
「脳情報の売買は禁止されていますから、それはこちらに保管しているものではないですね」と小林。
「もちろん、明日香がここに来る前に安い金で即製にコピーしたものですから、似て非なるものですな」
「こちらの脳情報は、ほとんど本物と変わりません。情報量はスキャナーの性能で決まりますからね」
小林は自慢げにいった。
次に入った部屋はバーチャル・リアリティ空間だった。どこか美しい山々に囲まれた広大なお花畑で、様々な高山植物が可憐な花を開いていた。
「加工される方々は、まずここで火星を想像していただきます。そう、ここは火星のショールーム、一○○年後の火星のリゾート地をイメージしています。あそこをご覧ください」と小林が指差したところに山小屋風の建物があり、その周りのテーブルに加工前の五○○人ほどが着席して食事をしていた。楽しそうなわらい声が聞こえてくる。
「最後の午餐ですかな?」と誰かが聞いた。
「しかし加工前に胃袋をいっぱいにしていいのかな?」と誰か。
「いいのです。お料理はすべて一時間以内に消化され、排出されます。本物ではありませんが、味や満足度は本物と変わりません。ここは火星での新生活の一場面を、先取りして楽しんでいただきます。そして、食事の後はお昼寝の時間です」
「寝ている間に加工されちまうのか」と誰か。小林は何も答えなかった。おそらく食材に睡眠薬でも入っているのだろうと勉は思った。
作業場は通路より二メートルほど低い位置にあり、全面ガラスで仕切られていた。中の様子を見て、今度は一○○人全員がアッと驚きの声を発した。広い部屋にストレッチャーが五○○台ほど整然と並べられ、その上に下半身をシーツに覆われた高齢者が横たわっていた。髪も眉も剃られ、目は目隠しで覆われていていたが、胸を見れば男女の区別ぐらいは付いた。スタッフが五○人ほど、時たまシーツを剝いで全身を観察している。小林が口を切る前に、「どうしてマスクを付けていないんですか?」と誰かが尋ねた。
「ロボットだからです。ロボットは息をしませんからね。キャップはロボットも被ります。鼻毛はありませんが髪の毛はありますから」といって、小林はニヤリとわらった。
「つまり汚れ仕事はロボットの領分と、しっかり区分けはできているんだ」
「そういうことではございません。一連の工程で扱う薬液は劇薬指定を受けているものなので、法律上ロボットが行うことになっております。本当は人間が関わるべき仕事ですが、薬液が皮膚に付くと皮膚細胞が不活性化します」
小林は明快に答えて話を続けた。
「さて、ここは控えの部屋でございまして、いま五○○人の方が横たわっていらっしゃいますが、決して死去されているわけではございません。全身麻酔は三時間有効ですので、三時間以内に処理が行われます」
「この工程の前は見られないんですか?」と勉は小林に聞いた。
「個人が特定できる工程は遠慮していただいております」
「なるほど……」
「この工程につきまして、ほかにご質問はございませんか?」
すると、小林の横の女性が手を上げた。
「この人たちは私たちの前の年の抽選会で当選した方たちですよね」
「いいえ、その前の前の年ですね。施設の処理能力が当選者の数に追いついていないのが現状です。それは加工施設の問題ではなくて、保存スペースの問題です。活断層だらけの日本には、安全な地層などほとんどなく、ここのような安定した花崗岩層も少ないのです。それでも国際規約に則り、施設のない小国から受け入れているのです。でもご安心ください。新たなストックヤードがモンゴル砂漠の地下の岩塩層に建設されていて、じきに完成の予定です」
「というと外人がここに葬られ、我々は外国に、しかも砂漠に葬られるっていうのかい?」
勉は驚いて小林に尋ねた。
「いえいえ、そういうことではございませんわ。こちらでも拡張工事は進んでいるのです。ですから、選択していただくことになりますね。こちらへの入所は二年待ちでして、お待ちの間は地上施設に入っていただくことになります」
「エッ、自宅待機じゃないの?」
横のほうで素っ頓狂な声が上がった。
「ですから、外国の施設をご希望の方は地上施設に入所いただく必要はございません。こちらはなにぶん希望者が多いものですからね。法律的には当選から五カ月以内の入所ですので、地上施設がつくられたわけです。広大な施設内は自由行動ですし、美味しい食事が三食出ます」
「家族とは面会できるのかよ」と男性の声。
「法律上、それは禁止されております」
「強制収容所じゃんか!」
全体がざわつきはじめたが小林は動じることなく、「まあ、この話は全工程の見学が終わった後に詳しくご説明しましょう。それでは、次の工程をご紹介します」といって動く歩道に誘導した。
次の部屋は縦長に大きくて、昔の食品工場にでもありそうな長さ五○メートルほどの細長い機械が横に五台ほど並んでいた。機械の内部はカバーに覆われていて見えなかった。食品なら、材料を均等に裁断して粉を付けて、揚げて乾燥させてパック詰めまでやってもこの半分の長さで間に合うはずだ。一台のサイドに四人ずつ、五台で二○人が従事しているが、もちろん全員アンドロイドだ。投入口には人を乗せた自律浮上走行のストレッチャーが列をつくって順番待ちしている。順番が来たストレッチャーは曇りガラスの向こうに隠れてしまうが、ぼやけていてもやっていることは分かった。目隠しを取られ、丸裸にされた人体は、ストレッチャーの足のほうが高くなって、頭から機械にゆっくりと落ちていく。四人は体が横にずれ落ちないように両側から支えているみたいだ。任務を終えた空のストレッチャーは、横に動いてからゆっくりと先ほどの控えの間に戻っていく。その間に、傾いた台を水平に戻していった。
一方、加工され製品化された人体は反対側から出てきて、そこにもストレッチャーが控えていた。なにかピンクの物体を乗せて次の工程に運んでいくのが見えるが、投入側からは影になって良くは見えなかったので、小林は見学者を五○メートル先のそちら側に誘導した。ストレッチャーの台は水平で、出てきた体は、薄い金属製の板に乗せられてストレッチャーの上にすんなりと収まり、そのまま次の工程に運ばれていった。
「ここは加工部門の心臓部です。五台の機械で、三時間以内に五○○人の方を処理いたします。この機械の中はきわめて単純で、一人の方が入られてから出られるまできっちり三○分かかるように設計されています。中はある液体のプールになっています。微振動や超音波、電磁波、ナノバブルなどを駆使して、さまざまな振動や乱流を発生させ、全身に満遍なく液体が浸透するように工夫されています。次に、余分な薬品は飛ばされ乾燥されます。それらに要する時間が三○分というわけです」
見学者からはショックのあまり、すすり泣く声も聞こえてきた。
「いったいナノバブルがなんの役割を果たすのかね?」と、学者風の男がたずねた。
「いいご質問ですね。専門的な話になりますが、ナノレベルの酸素の泡が大きな役割を果たしています。ピンクの液体には酸素の泡が十分に含まれています。この気泡は液体が固まった後もそのままの形で残ります。これは、生き返るときに大きな役割を果たします。再生のとき液体は溶け、バブルは活性化します。まっ先に生き返るのが全身の細胞ですが、心臓や肺などの再起動が遅れるため呼吸ができず、体中の細胞が酸欠状態に陥って細胞死を起こしかねません。でも心肺が動き出すまでの間、細胞内のナノバブルが命を繋いでくれるのです」
「なるほどね」
男は二回ほど続けて頷いた。
「みなさん、あの半透明になったピンクの体を見てショックを受けた方も多いと思います。生きた人間を加工するというのは恐ろしいイメージがあります。でも、この工程の液体は『即時自律再生保存液』、愛称『ピンキー液』という画期的な保存液なのです。薬に漬ける前に血液を抜くなどの前処理は一切必要ございません。もちろん、消化器内の残存物は排出されていますが、たとえ残っていても問題ありません」
「あれは完全な死体じゃないか。機械の中で、全身麻酔をかけられた人間が安楽死させられているんだ!」と誰かが叫んだ。すると小林は大げさにわらい出して、「それは大いなる誤解ですわ」ときっぱり反論した。
「あんなになった死体がピンピンになって戻ってきたら、それでも死体だといいえますか? この発明で、人間は死から解放されたんです」
「たしかに生き返れば死体じゃないな。心臓が止まっていようが、そいつは死体じゃない。眠っているだけだ。でも証拠がない」と勉。
「証拠はいくらでもお持ちします。みなさん全員が証拠を見たいとおっしゃるなら」
小林がいうと全員が手を上げたので、「了解です。いまはひとまず冷静にお願いいたします」といって、再び動く歩道に全員を誘導した。
歩道はすぐにかまぼこ型のトンネルに入り、ゆるやかなスロープでさらに下っているようだった。
「加工工程は先ほどで終わり、次はベースキャンプの主要部であるストックヤードです」と小林。
トンネルを移動するのに五分ほどかかったが、扉が開くと全員が驚きの声を上げた。かまぼこ型のトンネル壁は透明になり、巨大な倉庫の中心を移動していた。天井の高さは一○○メートル近くあり、両側の棚は天井まで伸びているようだった。前方は闇の中に消えていて、どこまで続いているのか分からないが、見える範囲ではピンクの人体がびっしりと納められ、空きがないように見える。人体を乗せたストレッチャーが横の空間をいろんな高さに浮きながら追い抜いていく。反対に空になったストレッチャーは見学者とすれ違い、加工工程に戻っていく。一台のストレッチャーが通路脇の空中に止まり、人体を乗せた金属板がストレッチャーから浮き上がって、さらに上部に上っていく。どうやら上層にはまだ空きスペースがあるようだ。
「巨大な死体置場だ」と誰かが叫んだ。
「いいえ死体ではありません」と小林。
「しかし、蘇る機会がないとすれば?」
勉は反論した。
「蘇る機会は一○○年後に来ます。火星移住の開始です。これは国際的な採決事項ですから確かです。もちろん、火星がいやだという方には別の移住先もご用意しております。月基地の拡張工事は進んでいます。それに、太陽系以外にも地球に似た惑星が見つかっています。また、偉大なるツィオルコフスキー博士が提案した巨大宇宙船、スペースコロニーの建造も設計段階に入っています。ほぼ一○万人を収容できる宇宙船が代を重ねるごとに大きくなり、最終的には一千万人以上が住む新しい惑星となるのです。そこでは皮膚細胞に葉緑素を入れ込んだ光合成人間が食事もしないで活動しています」
「全身緑色の宇宙人ね。どっちにしろ、年寄りは地球から追い出されるわけだわ」と女性の声がした。
「年寄りを生き返らせてなにかいいことがあるのかい?」と勉の後ろの男がいった。
「現代医学に年寄りという言葉はありません。火星では、地球で禁止されている若返りも解禁です。若者の肉体を持たなければ宇宙開拓はできませんからね」といって小林はわらった。
勉は一瞬めまいを覚えた。昔の話だが、勉の祖父は医者で、若返り研究に携わっていた時期があった。しかし世界的に禁止され、研究も頓挫。同時に七○歳以上の高齢者は保険適用外となり、いまでは人類すべてがろくろく医者にもかかれない状況だ。
「ひとつ、根本的な質問をしたいんですが……」
勉は疑惑の目つきで小林を見つめた。
「なんなりと」
小林は動じることなく素直な眼差しを勉に返した。
「いったい何の目的でこれらの老骨が必要になるんです? 一○○年後の人類が骨董品を蘇らせる? すでにロボットだって人間以上の能力を発揮するんです。月や火星の開発はロボットで十分。老人を目覚めさせて若返り治療を施すだけだって、相当の手間と金がかかる」
「ヒューマノイドは一○○年後には製造禁止になります。世界中のシンクタンクが予測していることです。このままロボットが進化すれば、いずれ人間はロボットに支配されてしまいます。すでにいまの世界がそうでないとはいい切れません。各国の人口削減数は、不公平がないようにAIが決めているんですからね。それを運用するのが人間だということで、かろうじて人間の尊厳は保たれています」
「しかし一○○年後を予測することはできない」
「誰もね。でも、希望を持って眠るほうが、絶望して死ぬよりはマシですわ」
「二度と目覚めなくてもね」と勉がいうと、あちこちで薄わらいが聞こえた。
「さて、この先は延々と同じ光景が続きますので、見学コースはここで終わりとなります。この先では拡張工事が行われております。最終的に全長二キロほどになります」
「保存されるのも順番待ちなら、生き返るのも順番待ちときているわ。これだけ在庫があるんだから、目覚めるのは一万年後かもしれないわ」と後ろの女がいうと、「一万年後には人類は滅亡しているさ」と誰かが口を挟んだ。
「この方たちは一○○年後に芽を吹く、いわば人類の種なのです。あるものに晒されると、たちまち復活するのですからね」
小林は意味ありげに含みわらいをした。
「あるものとは?」と勉。
「後ほどご説明します」
(つづく)