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かくしごと。  作者: monaka
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異体同心。

 

 涙を止められず狼狽する私を、お母さんは地元から離れる事への悲しみや友達との別れなどから来る物だと思ったらしく、ごめんね。ごめんね……と言って私を強く抱きしめた。


 私は久しぶりに感じる母親の体温に包まれて、気が付いたら深い眠りについていた。



 不思議な夢を見る。


 私はどこか丘のような場所に立っていて、どこかから汽車のような音が聞こえてくる。


 ガラガラ。ガタゴト。ガラガラ。ガタゴト。プシュー。


 それはやがて私の目の前まで来て停車する。

 電車、というよりはそれこそ蒸気機関車のような見た目で、線路も何もない空中を走って来た。

 扉が開き、私が訝し気に覗き込むとそこには先輩が立っていて、私にあの素敵な笑顔を向けながら手招きをするのだ。


 私は誘われるがまま汽車へと乗り込む。

 この汽車はどこへ向かうのだろう? 

 気にはなるのだけれど不思議とそれを聞く言葉が口から出てこない。


 私は先輩と一緒に席につき、他愛もない事を延々と語り合う。


 楽しかった。

 先輩は以前のように毅然としていて、自信に溢れているようで、なんだか懐かしい気持ちになった。


 先輩と話す時間があっという間に過ぎていく。

 そして、ある場所で停車した汽車から二人で降りるのだが、振り向くと先輩がいない。


 慌てて探すのだが姿が見つからず、もしやと思い汽車の方に目をやると、閉まりかけの扉の向こうに、寂しそうに手を振る先輩の姿があった。


 私を置いていかないで。

 私も一緒に連れていって。


 私の叫びなどまるで気にせず汽車は動き出す。

 そのまま私はそこに一人取り残され、先輩だけがそのままどこかへ行ってしまうのだ。



 最悪の気分だった。

 目が覚めるとまだ私の顔はべちゃべちゃなまま。

 どうやら眠りながらも泣いていたらしい。


 目が覚めた私にまた母が目に涙をためながらごめんね、と呟く。


 私はお母さんを心配させないように必死に涙をこらえた。


 だけど、気持ちがどうにも落ち着かず、気を紛らわせる為に荷物の中から本を取り出す。


 先輩からの贈り物だった。


 夏目漱石の、こころ。


 頭の中からいろんなもやもやを追い出すように夢中になって読んだ。


 どうして先輩がこの本を私に贈ったのだろう。

 それを考えながら読み進む。


 勿論時間が足りなくて、電車を降りて新居についてからも読み続けた。

 何せ何もない家の中で特に何もする事がないのだ。

 照明だけは備え付けであったので助かった。


 日付が変わった頃、私はこころを読み終わる。


 先輩は、一体何を思ってこの本にしたんだろう。


 私は死ぬ前にたった一人で好いから、(ひと)を信用して死にたいと思っている。

 あなたはそのたった一人になれますか。

 なってくれますか。


 この部分はとても、とても心に突き刺さる。

 一人でいいから人を信用して死にたい。その一人になれますか。なってくれますか。


 私は……どうだろう。

 先輩の、そのたった一人になりたかった。

 だけどなれなかったから惨めに逃げ出したんだ。

 先輩に信用される価値の無い人間だったから。


 もう一か所、印象に残った場面はここだ。



 私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。

 私はただ苦笑していました。

 しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、

 悲しかったのです。

 理解させる手段があるのに、

 理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。

 私は寂寞でした。

 どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。



 先輩がこの本を無作為に選んだとは思えない。

 もしかしたらこの本は、先輩からの精一杯のSOSだったのかもしれない。


 自分が最も信愛している人間すら自分を理解していないかと思うと悲しい。理解させる手段があるのに理解させる勇気がだせないのがますます悲しい。



 ……私は、なんだかとてつもなく不安になった。

 おじいちゃんの日記の事もそう。何か全てがかみ合っていないような違和感。


 私はこころに登場する先生になった気分でKに対する罪悪感に押しつぶされそうになりながら夜を明かした。


 どうして、私はこのタイミングで先輩に銀河鉄道の夜なんて渡してしまったのだろう。


 一睡もできなかった。


 翌朝、ふらふらしている私をお母さんが心配して駆け寄ってくる。


 大丈夫だよ。具合悪いとかじゃないから。


 だけど、私お母さんに無理を言ってもいいかな? 一生に一度のお願いがあるとしたら、それを今使いたいの。


 私の顔を見たお母さんは、その言葉を本気で言っているのだと解ってくれた。

 そして、もう一度私をぎゅっと抱きしめて、ごめんなさいって呟くのだ。


 私もお母さんを力いっぱい抱きしめて、ありがとう。って伝えて家を飛び出す。


 出る間際に、お母さんが私にお金を持たせてくれた。

 お母さんだって余裕はない筈なのに。

 ありがとう。

 私がもっと早くに行動に移せていればこんな二度手間は必要なかったしお金だって余計にかかる事はなかったのに。


 電車に乗るが、こればかりはいくら私が急いでも到着が早くなるわけじゃない。

 落ち着かなくて貧乏ゆすりが激しくなり、乗り合わせた乗客の若い女性に睨まれる。

 ごめん。もう辞めるから。


 何時間もかけて昨日まで居た街へ帰ってくる。

 ここへ来るまでに先輩にはメールも居れたし電話もした。

 返事も来ないし電話は通じなかった。

 嫌な予感がする。


 電車を降りるなり恥を承知で友達……だった人に電話をかける。

 電話が繋がるなり私は罵倒された。

 それはもうめちゃくちゃに罵倒されて死ねとまで言われた。

 それなりにだが仲の良かった友人に死ねと言われるのは意外と辛い。


 けど、それだけ責められても仕方がないのだ。

 私だって今すぐに死んでしまいたい気持ちになった。


 ここら辺なら場所は限られてる。

 スマホで検索をかけてかたっぱしから電話で確認を取ると、私が行くべき場所がはっきりした。


 あんなにも先輩との別れを自分に納得させた筈なのに、私は今激しく後悔していた。


 私が思っていたよりも遥かに、先輩には私しか居なかったんだ。


 そこまで私が必要とされていたなんて思わなかったんだ。


 タクシーで目的地まで向かい、受付で要件を伝えるが家族以外は面会謝絶だと言われる。


 そんな事で諦める訳にはいかないので必死に説得……いや、ただ駄々をこねていただけだ。まるで子供のように泣き喚いた。


 君は、もしかして……


 背後から私にそう声をかける人がいた。


 見覚えは全くなかったが、その男性と女性の二人組はどこかしら懐かしい雰囲気がした。

 特に女性の方は……かなり大人びているし、先輩の方が全然綺麗で可愛くて美しいけれど、それでもなんとなく似ている気がした。


 その二人は先輩の両親だった。


 普段はとても忙しいらしいが、先輩がこんな事になったと連絡を受けて慌てて駆け付けたところだったそうだ。

 確か先輩には妹がいた筈だが……


 そうか、そういえば今妹さんは留学中だって言ってたっけ。



 私は先輩の両親のご厚意で、一緒に先輩が眠っている病室へ入る。


 両親が泣き崩れるように先輩に駆け寄り手を握り、目をつぶりながら涙を流し必死に呼びかける。


 私は背後でそれを眺めながら絶望感に体と脳内を完全に支配されていた。


 友達の言葉を思い出す。



 お前が先輩に冷たくして最低な別れ方をしたから……きっとそのショックで先輩は飛び降りたんだよ。全部お前のせいだからな! お前が死ねばよかったのに! このまま先輩が死んじゃったら一生許さないんだからな! 



 ……私が、先輩を置いて行ったから? 

 先輩にそっけなくして冷たくして見捨てるように逃げ出したから? 

 だから先輩は絶望して飛び降りたの? 


 どうして? 


 どうして私を失うくらいでそんな事するの? 


 分からない。


 先輩が何を考えていたのか全く分からないよ。


 先輩は、私を大人の事情に奪われたKみたいな気持ちだったのだろうか? 


 私は先輩を裏切って酷い目に合わせてしまった先生の気分だ。


 そして私がそんな先輩に読ませてしまったのは銀河鉄道の夜。

 もしかしたら先輩は、もう会う事が出来ないなら命を絶つことによって銀河鉄道で私と会おうとしたのかもしれない。


 愚かだ。


 だけど、それをさせたのは私だろう。

 だから愚かなのは私だ。



 病室に医者が入ってきて、両親だけを連れていく。

 私は暫くの間先輩と二人だけに。


 先輩は頭に包帯をぐるぐる巻きにされてあの美しい黒髪がまったく見えない。

 顔にも酸素が供給される大きなマスク状の物が取り付けられていて奇麗な顔がほとんど覆い尽くされている。

 よく見ると布がかけられている身体の方もあちこち妙な形に膨らんでいる。ギブスか何かだろうか。


 私は、先輩を追い込んでしまった。

 自分が先輩にとってここまで大きな存在になっていた事に全く気付かずに自分が傷付く事だけを恐れて逃げ出して、先輩を孤独にした。


 先輩。目を覚まして下さい。

 そして先輩が思ってる事を全部聞かせて下さい。

 私も、もう一度話が出来るのなら全部、私が思ってる事、先輩を想っている事、大好きな事、全部全部伝えますから。

 お願いします。もし私の命で先輩が助かるなら代わってあげたい。

 おじいちゃんもきっと薫ちゃんが死んだ時同じ気持ちだったんだろう。


 代われるなら代わってあげたいって書いてた。


 おじいちゃんは私と本当に同じ道を歩んでいる。


 ……違う。


 私がおじいちゃんと同じ道を歩んでしまったんだ。

 おじいちゃんが残していった日記を盗み見てまで教訓として頭に入れていたのに、それでも私はおじいちゃんと同じ道を歩んで同じ後悔をしている。


 おじいちゃんが警告として残してくれた訳じゃないだろうけど、私は十分この状況を回避できる可能性があった筈なのに。


 全部私が招いた結果だ。


 私のせいでこんな事になってしまったのは間違いないだろう。


 だけど、ご両親に対する申し訳ない気持ちなんて驚くほど湧いてこなかった。


 最低なゴミクズ人間だから許して。


 私が喜ぶのも悲しむのも辛いのも後悔するのも涙を流すのも、それは全部自分と先輩の事だけ。


 私には先輩が全てなんです。先輩が死んだら私が死んでやるから。死んで逃げないで。もし先輩が私が嫌で死んでどこかへ逃げようとしてるなら私も死んでどこまでも追いかけてやるんだから。


 そして、どれだけ拒絶されてもいい。

 どれだけ失望されても蔑まれてもいい。


 私は私の気持ちを伝えるんだ。


 私は、貴女の事が大好きです。


 気持ち悪いですか? 


 知るかボケ! 


 私は貴女の事を心から愛しています。


 その心も身体も私だけの物にしたい程、めちゃくちゃにしてやりたいくらい貴女の事しか考えられないんです。


 私をこんなふうにした責任は取ってもらいますからね。


 先輩が私を必要としてくれてるなら

 私だって先輩を必要としてもいいでしょう? 


 先輩が必要としている方向とまったく内容が違ったとしても、そんな事知りません。


 私が先輩を必要としてるんです。

 私は死ぬ前に一人だけ、愛したいんです。


 あなたはそのたった一人になれますか。

 なってくれますか。


 断りたければ断ってくれて構いません。

 拒否したければ拒否してください。

 蔑みたければ蔑んで下さい。


 それでも、私の想いはきっと変わらないから。


 好きでいさせて。


 だから、



 早くこの気持ちを伝えさせて下さい。





 帰って来た両親から、先輩の容体を聞いた。

 意識不明。ほぼ植物状態のようなものだそうで、このまま意識が戻るかどうかは全く分からないそうだ。

 明日目を覚ますかもしれないし、一生このままかもしれない。

 それでも、先輩の両親は生命の維持費を出し続ける事を約束してくれた。

 どうしても金銭的に厳しくなったなら私が払うとも言った。


 どうしてそこまで? とご両親は疑問だったようだが、私にとって先輩は必要な人なんです。とだけ伝えた。


 深くは追及されず、むしろ雫の事をそんなに思って下さってありがとうとまで言われた。


 辞めて下さい。

 先輩がこうなったのは私のせいだから私がいつまでも先輩を待つのは当然の事なんです。


 ……なんて偽善は心で思ったとしても口には出さない。

 そんな上辺の言葉は無駄だ。



 私に出来る事を整理しよう。

 出来る限りここへきて先輩に声をかけ続ける事、そして長期目覚めなかった時の為に私が出来る限り早く、そして多くの稼ぎを得られるようになる事。

 その過程で先輩が目覚めればそれでいいし、目覚めなければいつ私が費用を負担する事になってもいいようにしなきゃ。


 だから、とにかく勉強。

 そして就職。

 絶対、絶対先輩にこの想いを伝えるんだ。


 おじいちゃん、見守っていて。

 そして、出来る事なら私に力を貸して下さい。


 おじいちゃんができなかった事を、私に叶えさせて。


 私は先生にもジョバンニにもならない。

 Kでありカムパネルラである先輩を絶対に失ったりしない。

 だから私には先生のような後悔も、銀河鉄道も必要無い。


 そんな物が無くても私は私の想いを遂げて見せる。


 もし先輩が銀河鉄道に乗って私を迎えにきたとしたら、その綺麗な手を取って無理矢理引き摺り降ろしてやる。


 覚悟しといてよね。


 いつだったか先輩も知りたいって言ってたでしょ? 


 目覚めたら教えてあげますから。

 先輩にだけは秘密にするつもりだった

 私の、たった一つの





 かくしごとを。

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