死ねない者の決意
病室に戻ると、最近になって俺の家に居座るようになった皆々が居なくなっていて、随分と久しぶりに麻里奈だけの景色が目に入った。どこか寂しさを感じるのは贅沢というべきだろう。何より、俺には初めから麻里奈だけがいる世界で十分だったのだから。
お見舞いに来た人が座る安っぽい椅子に腰掛けて、麻里奈は数枚の紙の束を眺めていた。
きっと、俺の検査の結果だろう。やがて、視界に俺が入った麻里奈から話しかけられる。
「おかえり」
「ああ」
「検査の結果見る? って、見なくてもわかるよね。どこも悪くないって。ただ、念の為に今日一日は入院していけってさ」
「そうか」
まあ、予想していたとおりだった。俺の体の超回復は異常だ。たとえ頭を吹き飛ばされようが通常の不老不死とは比べ物にならない速度で回復するのだとか。
ただし、それはそれ。病院という施設において回復速度が早いとしても念の為を理由に長居させるのだ。当人はもう十分に元気だと言うのに。
用意されているベッドに腰掛けてから、見る必要もない検査結果を受け取って目を通す。なんのことはない普通の検査結果だ。見ていて楽しいものではなかった。
それを近くの棚に投げるように置くと、こちらを見ながら何も言わない麻里奈を見つめる。
――――俺は麻里奈を守りたかっただけだった。
この言葉に嘘偽りはない。今もそう思っているし、おそらく永遠にそう思うのだと信じたい。
だが、それが例えばクロエと麻里奈のどちらかを選ばなければならないとなると話が変わってしまう。
確かに最終的には麻里奈を守るのだろう。どういう手順を取ったとしても麻里奈は守るに違いない。ただ、クロエを見捨てるのかと言われるとそうではない。
つまり、俺には守りたい人が増えてしまった。それも一人二人ではない、手に余るほどの人数だ。
俺はただの高校生だ。今でもそう思うし、これからもそうでありたいと思っている。だのに、世界は俺にそれを許してはくれない。大切な人たちを悲しませるのだ。まるで俺に今度は救えるかと問うように。
このままではダメだ。今回は上手くいった。だが次は? さらにその先の未来で俺は麻里奈たちを守り通すだけの力があるか。
世界を壊す力では人類は守れない。自分を守る力では他人を助けることすら出来やしない。
俺には人を守るための力が決定的に欠けていた。
震える唇で俺は麻里奈に問う。
「俺は…………みんなの側にいていいのかな……」
「……え?」
「いや、なんでも無い。忘れてくれ。ただの独り言だ」
麻里奈の心配するような目を見て、すぐに問いを取り消して目をそらす。
弱気になってはいけない。俺はみんなを守ると約束したではないか。そう言い聞かせるように息を吐いた。
けれど、背後に感じる柔らかい感触に驚いてテンパった声を上げてしまう。
「ま、麻里奈?」
「大丈夫だよ」
「…………っ」
言葉が詰まってしまった。その大丈夫という言葉が一体どういうものか、すぐに分かってしまったから。
回された手を握り、俺は麻里奈の顔が見られなくなってしまう。
麻里奈はそばにいても良いと言ってくれたのだ。きっと、俺が言いたいことの全てを飲み込んで、それでもなおそれいいのだと言ってくれたのだろう。そんなことを言われてしまったら、まっすぐに麻里奈の顔など見られるわけがない。
我慢をしていた。
諦めていたんだ。
俺は人ではなくなってしまったから、もう誰かに認められることもなくなってしまったのかもしれないと思ってた。それがどうだ。たった一人、側にいても良いと言われるだけで救われるなんて思いもしない。
いつぶりだろう。心の底から涙を流したのは。
まさか「大丈夫」という一言で涙を流す日が来るとは思いもしなかったが、案外人生はわからないものだ。高が十数年生きただけの小僧が何を言うんだと颯人なら笑ってくれるだろう。俺も今はそう思う。
涙を拭い、麻里奈の手を解いて振り返る。そして、麻里奈の肩に手をおいて息を呑んだ。
俺は麻里奈を守りたかった。そして、今いる全ての仲間を守りたいと思えた。
そう思わせてくれたのは、小さい頃から俺の面倒を見てくれた麻里奈が、掲げた正義のおかげだったんだ。今の俺があるのは麻里奈のおかげなんだ。
「今の俺にみんなを守ることは出来ないのかもしれない。多分、これからも麻里奈を危険に晒すかもしれないし、もしかしたら怪我をさせてしまうかもしれない。それでも、麻里奈の側にいてもいいのか?」
「うん。私だけじゃない。きっと、みんなもそう思ってるはずだよ。だから、何も心配しなくていいんだよ?」
そうか。ああ、そうだったらいいな。
肩の荷が下りたように、心が軽くなった。悔しいが麻里奈はいつだって俺のほしい言葉を知っている。そうして、それをまるで当たり前のように言ってくれるんだ。それでどれだけ救われたことか。
麻里奈の方を掴む手の力が強まる。
心が逸る。
もう押さえられそうにない感情が溢れ出そうになっていた。
諦めるような笑みを浮かべて、俺は申し訳無さそうに告げた。
「麻里奈。俺は麻里奈が好きだ」
「…………ふぇ!? あ、えっと、あれだよね。お姉ちゃん的な立場でって話だよね!?」
「いいや。男女って意味でだよ。こんな俺に言われても困ると思うけど、どうしても押さえきれそうにないんだ」
「え……っと……」
頬を朱色に染めて、麻里奈は目を見開いた。視線が泳ぎ明らかに動揺しているのがわかる。それがどうにもおかしくて、俺の知る麻里奈の姿ではなくて、控えめに笑ってしまった。
笑われたことに怒ったのか麻里奈がムスッとした。可愛らしい姿は見慣れているが、今日ばかりはおかしくてたまらない。
告げるだけ告げた俺は麻里奈の肩を掴む手を離した。そして、座っていたベッドから立ち上がり、麻里奈に背を向けてしまう。
「答えはいらない。受け入れられようとられまいと、俺がやることは決まってる。というより、今さっき決まった。俺は強くなるよ。みんなを守れるように」
「…………きょーちゃん」
「そんな顔すんなって。別に俺が俺でなくなるわけじゃないんだぜ?」
「うん…………でも……」
心配は絶えない。そういった顔だった。
俺は頭を掻きながら、どうしたら麻里奈の表情を笑顔にできるか考える。ふと、思いついたことがあってそれを実行した。
振り返って足早に麻里奈に近づいて、力強く麻里奈を抱きしめた。実は麻里奈の表情よりも抱きしめたかっただけだというのは秘密である。ただ、抱きしめたおかげか麻里奈の表情から不安が消え去っていた。
結果オーライと思いつつ、俺は麻里奈の首を手刀で意識を失う程度の強さで叩き、気絶した麻里奈を抱きかかえるや俺が使っていたベッドに寝かせた。
そして、病室から飛び出した。
ドアを抜けた先には黒崎双子と望月養護教諭が俺が病室から出てくるのを待っていたように立っていた。
「どうせ、白伊とかいうやつのとこ行くんでしょ、せんぱい?」
「あ、ああ……ついてくるのか?」
「もっちろん。あたしも穂もせんぱいの行く末が気になるしね」
「さいですか……」
それはあれだよな。俺がどこで力尽きるかみたいって話だよなぁ。
ともあれ、白伊は俺によってこてんぱんにやられてしまったので、おそらく二ヶ月は目を覚まさないだろうというのが望月養護教諭の見解だった。だから、俺が白伊に話を聞くのは最短でも二ヶ月後になるだろう。
双子がついてくる理由はわかるが、望月養護教諭がここにいる理由はわからない。すると、望月養護教諭がそっぽを向きながら言うのだ。
「ま、まあ? 私はあなたの専属の医師みたいなものだからぁ? ほ、ほら、面倒を起こされると困るのよ」
「って言ってるけど、さっきまでついてくるなって言われたらどうしようって気が気じゃなかったんだよ、せんぱい。笑っちゃうよね、せんぱいがそんなこというわけないのにねー」
「そ~なのですよ~。静香ちゃんはこう見えて夢見る乙女さんなのですよ~」
「う、うるさいわね! って、違うからね!? 別に見捨てられるのが嫌だったとかじゃないから! そこのところちゃんと理解してほしいわ!」
「あ、ははは……まあ、ついてきてくれるなら頼もしいですけど……」
そんなあからさまな言い方されては嫌でもわかってしまうじゃないか。
こうして俺の目的のために三人がついてきてくれるらしい。
振り返って、未練を見る。きっと、麻里奈は許してはくれないだろう。勝手に置いていったと知れば、激怒するに違いない。
案外、とんでもないところが情報源になって追いついてくるかも知れないけどな。
ともあれ、しばしの別れだと微笑みを向ける。
――強くなろう。みんなを守れるように。今度こそ、この言葉を有言実行できるように。
「そのためにはまず、家出娘たちを探さなくちゃな」
白伊に会いに行っても今はどうしようもない。であれば、まずは仲間を探すことが先決だ。
一陣の風が吹く。
それは嵐の前触れか。はたまた希望の風向きか。それはまだ、誰にもわからなかった。





