救いたいもの
俺は知っている。人間なら、あるいは生まれた次の瞬間から知っているのかも知れない。
世界は決して平等ではなくて、社会はたとえ誰かがいなくても進むもので、誰もがそれに不満を覚えるけれど口にはしない。
だって、それが普通で、自然で、真理なのだから。
なら、誰も傷つかない平等な世界を望んだ俺は、きっと普通じゃないんだろう。
「矛盾解消――――終焉を超えて輝け、《顔の無い王》」
それでも俺が望んだ世界は間違いなどではない。麻里奈が欲した世界は絶対に、誰がなんと言おうと決定的に間違いなどではなかった。
だからこそ、俺は奴らに負けられない。
確かにこの世界は不平等だ。人間の優劣は目に見えるほどに明らかだ。おそらく《幽王》でなくてもいずれは誰かが同じことをしていたに違いない。
だとしても、俺は等しくそいつらに楯突くのだ。この世界は間違っていると理解していても、そんな世界を終わらせることはもっと間違っているから。
たとえ、人でなくなろうとも俺が……俺達が今いる場所は、この世界は終わらせはしない。
完全に回復しきった体は自然と起き上がる。アジ・ダ・ハークと対峙するタナトスの肩に手をおいて退かし、奴らの前に立ちふさがった。
左目は今もなお虹色の炎を上げている。さらには左目に文字が映し出されていた。
〈おはようございます、マスター〉
まるで意思を持ったような文字だった。
試しに簡単な命令でも頭に思い浮かべてみるかと、アジ・ダ・ハークが所有する不老不死を殺す短剣について考えてみた。
するとどうだろう。左目には俺が思い描いたことへの回答が映し出されたのだ。
〈呼称:カインの短剣。
識別名称《Kパーツ=モデル:デッドオアデッド=タイプ:3rdシリーズ》
命名“吉祥なる不死殺しの短剣”には不老不死を殺害することができる能力が付与されており、これにより死傷を受けた不老不死者は原則絶命します。
例外として製作者であるカイン及び一部の生命系統の《世界矛盾》を有する不老不死者には効果が認められず、神々の戯れで改造されたマスターにも効果が認められません。
ただし、条件次第でマスターへの効果が認められます。
条件:マスターの存在を希薄化、あるいはその在り方を一般人レベルにまで落とすことによるダウングレードで絶命する可能性が生じます〉
ということは、俺があの短剣で死にそうになった理由は望月養護教諭の《世界矛盾》を発動したからか。
なら、あの終末の代償は能力を解除すれば特に無いと思ってたけど、発動させたら俺の肉体の不死性が失われて、なおかつ存在が刻々と失われるなんていうとんでもないものだったわけだ。
そう考えて俺は身震いする。もしも、意識を失うのと同時に《天地劫末》の能力が解除されなければ、あのまま俺は目覚めぬ体になっていたのかと思うと冗談では済まされない。
ともあれ、俺の復活と《世界矛盾》の獲得はアジ・ダ・ハークには予想外だったようだ。さきほどから白伊の鬼面の如き人相は俺を睨みつけたままじっとしている。
俺は体を見る。颯人や望月養護教諭のように変化は見られない。本当に《世界矛盾》を発動させたのかと思うほどに変化がない。だが、それがアジ・ダ・ハークには脅威だったのだ。
実際、体に変化はない。しかし、それは表層には見えないという意味である。俺の内では今、莫大な情報が駆け巡っている。その情報とは左目が捉えた枝分かれする未来が到来する確率と非力な身で勝つ術だった。
決して俺は強くない。一心不乱に訓練をした者、学んだ者、突き進んできた者、何かを成し遂げようと奮闘した者たちには逆立ちしたって勝ち目など無いだろう。それでも勝とうとするなら、俺はそれ相応の覚悟がいる。
強者や天才に凡人が追いつくには死ぬほどの限界を引き出さなければならない。この瞬間だけで良いから全生命エネルギーを足りない力に変えるほどの覚悟が必要なのだ。
そして、俺は死なない。どれほど頭が割れそうになろうと死ぬことはないし、どれだけ血を流そうと死ねないのだ。
その前提があるからこそ、後は簡単だった。
地面を踏み込んで、俺は白伊に向かって突進する。その速度は人間が出せるそれではない。そんな速度で突っ込んできた俺の拳が白伊の固いガードに突き刺さる。如何に硬い守りだとしても、想定を超える威力を十分に止められるわけもない。
白伊はここに来て初めて吐血した。これは初めて有効な一撃を与えられたことになる。
信じられないと言いたげな目は、現実を正しく把握できていなかった。
「がっ……馬鹿な……」
「信じられないって? そりゃ、俺は凡人だ。お前から見れば取るに足らない存在だ。でもな、簡単に倒せるだなんて思うなよ? 俺はアイツらを守るって誓ったんだ。たとえ、俺の命に変えてもな」
これは正しさを求めた戦いではない。
間違った世界を正そうとしたコイツらを倒そうとする俺は、絶対に正しくなんか無い。わかっているんだ。それでも止められないんだ。何より、正そうとする過程でどれほどの人間が死んでも構わないと思っているコイツらを俺は許せないんだよ。
俺をおびき出すためだけに麻里奈を誘拐した。それ以前に、幽王はカオスを使って世界を一度殺そうとした。止めなければ、一体どれほどの犠牲が出ていたことだろう。
俺はただ、平穏な日常を謳歌したいだけなんだ。頼むから、その邪魔をしないでくれ。
握りこぶしを前に出して、俺は痛みで表情が歪む白伊に吠えた。
「舐めるなよ、アジ・ダ・ハーク。お前らが世界を殺すのは構わない。だがな、俺の仲間を巻き込むんじゃねぇよ。弱くて凡人な俺でもな、お前らを殴る力くらいはあるんだ。お前に止められるか、命を削った必死でみっともない足掻きを!!」
「勝手なことを…………抜かすなぁ!!」
ほぼ同時に俺たちはぶつかる。おおよそ人の域の戦いとは思えない速度で繰り広げられる攻防は時間にして一瞬だった。
俺の素人丸出しの大ぶりのストレートを華麗に避けた白伊が、得意の技で俺の心臓めがけて構える。
俺の攻撃は一撃一撃は身を切り裂く諸刃の剣だ。白伊の速度に合わせるために、筋繊維の限界を引き出す代わりに動かすだけでダメになる。そのダメになった部位を持ち前の回復速度で急速に回復することで完成する攻撃には想像もできないほどの激痛を伴う。
対して、白伊にはその痛みがない。加えて、この速度こそ本来のスタイルであるがゆえに、白伊には勝機が十分にある。動きもなめらかで、軽やかなステップで俺の心臓を弾く。
全身の血流が止まる。しかし、それを予期していた俺は心臓を撃ち抜いた白伊のガラ空きの脇腹へと引いていた右手を放って突き刺す。
痛み分け、ということになるのだろう。けれど、無限の回復力を持つ俺にとって心臓が撃ち抜かれるというのは大したダメージではない。意識が続けばそれでいい。手足が動けばそれだけで十分なのだ。
「まさか……」
「来るとわかっていれば、どれだけ痛くても耐えられるんだよ」
脇腹に深々と突き刺さる俺の右手は硬く握られていた。攻撃されるなど予想もしていなかったようで白伊の体はくの字に曲がる。白伊を倒すにはこのチャンスを見逃すわけにはいかない。痛みで動けないだろうこの瞬間を除いて、俺に有効打は撃てない。
すぐさま左腕を引いて、みぞおちを狙うように血を撒き散らしながら打つ。
「な……めるなぁ!!」
なんと、白伊が動いた。おそらく痛みで視界すら悪くなっているだろうに負けることを嫌った白伊の執念は激痛すら和らげたようだ。
けれど、俺の放った左拳はもう止められない。それこそ威力を弱めるくらいにしか出来ないはずだ。
それをわかっているようで、白伊は己の左腕でみぞおちを守るようにする。その左腕がクッションになり直撃は避けられた。だが、砕ける音が鳴った白伊の左腕がありえない方へ曲がっていた。
満身創痍の白伊はそれでも向かってくる。体をスライドさせて、持ち前の技を出すために右手を伸ばす。対する俺は一拍遅い。このままでは白伊の攻撃のほうが早く俺へと直撃することになる。
白伊の攻撃が再び心臓を狙うのであれば問題はなかった。もう一度痛みに耐えればいいだけの話だったからだ。しかし、今度は頭を狙ってきたのだ。
きっと、意識を飛ばさなければ勝ち目がないと潜在意識の中で思ったのだろう。だから、頭を吹き飛ばそうと手を伸ばしたのだ。さすがの俺も頭が吹き飛べば意識はなくなる。だから、この攻撃だけは絶対に喰らえない。
だというのに、どれだけ速度を上げても間に合わない。
限界に達しても追いつけないのか、俺は。
諦めそうになったその時だ。白伊の右足が踏み込もうとしたその瞬間、足元の地面がえぐれた。
そのせいで白伊はバランスを崩した。刹那ほどの時間で、俺と白伊の視線が一点に集中する。白い霧が濃く漂う場所、望月養護教諭の嗤った顔が目に映った。
「望月ぃぃぃぃ……………………静香ぁぁぁぁああああ!!??」
白伊の絶叫が響く中、俺の全身全霊の右拳が白伊の頭に向けて振り下ろされた。
地面を割るほどの衝撃が巻き起こる。白伊の頭は地面と俺の拳とで挟まれて絶命してもおかしくない深刻なダメージを負ったに違いない。もう白伊の体は起き上がる予兆さえ見せない。それどころか、先程までの覇気が感じられない。
あとはカインの短剣を持つやつを倒すだけ。そう思って周りを見回すが、すでに姿が見られなかった。きっと、逃げたのだ。白伊を置いて、戦線を離脱したのだ。
おそらく、白伊が敗北するような事があれば逃げる算段だったのだろう。俺はまんまとその策にハマってしまったというわけだ。
ほんと、抜け目ないやつだよ、お前……。
戦いが終わったのかはわからない。ただ、もう敵は目に映らなかった。





