世界の終末で何を願う
全力で走り抜けて予定時間よりも数分速くに学校へと戻ってくることができた。
しかし、学校では大変な騒動になっており、学生たちは皆、教職員の指示の下で校庭に集められていた。
学校に入ろうとした際も、近所の住人やそれらを巻き込んで大規模に展開された消防隊や警察、マスコミの集団で少し時間がかかりそうだったが、形振りかまっていられなかった俺は人の力では絶対に無理な動きでそれらを突破した。
そうして何割かの人たちに俺の行動を見られたわけだが、そんなことはお構いなしに保健室へと走る。
見れば炎は保健室から吹き出すように燃え盛り、消防隊も立ち入れない状態になっていた。
あそこに望月養護教諭がいる。加えて黒崎双子も眠っているはずだ。
ただ、素人目でもわかるように。あんな炎の中から救い出したとしても、俺たち不老不死者ならば完治するが、黒崎双子の体には無数の火傷が残ってしまうのは確実だろう。
申し訳ないという気持ちと、速く助け出そうという気持ちが相まって俺は火傷防止の水浴びすらせずに炎が渦巻く保健室へと歩みこもうとする。それを止めるように消防隊が俺の体を掴むが、無理やりに振りほどいて俺はとうとう炎の中へと足を踏み入れた。
「流石に熱いな……」
よもやその程度の感想しか出てこない自分を残念にすら思う。
確かに熱い。死ぬほど熱いのだ。だが、俺の体には火傷の一つも出来上がらない。火傷を負ったそばから皮膚が修復されていくのが見える。
俺は人間ではない。心はそれであっても、体は決してそうではなくなってしまった。悲しいとは思わない。虚しさも感じない。だってこの体があったからこそ、これまでどうにかなったことが多かったから。
頼む。生きててくれよ。
そう願いながら炎をかき分け、保健室の中を散策すると……いた。
炎の中でタバコを吹かし、煤で汚れた白衣を着込んだ女性と、全く無傷の双子の少女の姿が見えた。
ああよかった。よく生きてられたな。
自分で思うのも何だが、俺が助けに来るまでもなく助かったのではないだろうか。
「無事……そうですね」
「ケホケホ。ええ、まあ。のどが焼け死にそうなのを除いたら、概ね無事ね」
さて、それは果たして無事と言えるのか。
とりあえず、怪我をしていないのならまだやりようはある。要はこの炎をどうにかすればいいのだ。そうすれば、あとはどうとでもなるのだから。
しかし、今の俺には力として、仲間として重要な人たちが一斉に姿を晦ましている。ゆえに、俺が扱えた強さは相当に減弱しているのだ。
だから何だと言われれば、簡単に言ってしまうが俺に残された力は大きな代償を伴う《終末論》に収録された《終末の再現》しか残されていないわけで。加えて言うなら、炎をどうにかするだけの終末の再現など俺には皆目検討などつかないわけなのだが。
ただひとつ。心当たりというよりも、もしかしたらという微弱ならも存在する可能性を手繰り寄せるような、そんな提案ならなくはない。
問題はそれを行った後、俺は身動きができなくなるという点だろう。しかし、今はそれを憂いている場合ではない。目の前で助けを求める人がいる。しかもその人は俺にとっての恩人でもある。
ならば、助けなければならないだろう。たとえ、それでどうなろうとも。
タバコを吹かす望月養護教諭の前で、俺は意識を集中させて左目に浮かぶ文字列を唱えていく。
「天も地も、母なる大海に至っても、やがて人は管理する。時も、思いも、星の自転さえも、とうとう人類は統率を可能にした。一秒の定義を引き伸ばし、無限とも言える寿命を手に入れて、星の尽くを滅ぼしてまで、人は生を切に願う。ならば言おう。声高らかに謳おう。時よ――全ての基準たる一秒の歩みよ。今一度、その歩みを悠久の如く遅らせて、世界の終わりを引き延ばせ」
はて、望月養護教諭が驚きの表情を浮かべたのは俺の左目から黄金の炎が漏れ出したからか、それとも俺がこの力を望月養護教諭に使用したからか。
時間の動きが急激に遅くなる。やがて静止に近い世界の中で動けるのは俺と黒崎双子のみとなった。
颯人との戦いの中で、俺はこの力を使用すると静止した世界の中に立つことが許される。ただし、その中を動くにはその加速に合わせた体の動きが必要なため、カンナカムイの血を浴びて強化された体だとしても耐えきれるものではない。
一歩動けば皮膚は千切れ、骨は軋み、控えめに言っても重傷を負うハメになる。それでも、この力であれば望月養護教諭をこれ以上苦しませずに助け出すことが出来るだろう。
もう一つ言えば、詠唱の簡略化も出来るが、あれは代償が大きすぎるため本当に緊急時しか使用したくない。また倒れて四方八方から責め立てられるのはゴメンだからな。
体から血が吹き出すのをそのままに、俺は望月養護教諭を抱きかかえて静止したように見える炎をかき分けて歩き始める。だが、その後ろをついてくると思っていた黒崎双子が一向に動かないので、何事かと思って見てみた。
すると、黒崎双子は驚いたような、なにか良からぬことを思いついたような、そんな顔のままに妙な笑みを浮かべていたのだ。
「な、何だよ……?」
「ううん。なんとなくわかっちゃっただけ」
「…………? まあいいや、速く来いよ。流石に三往復もするほど俺の体は丈夫じゃないんだ」
というか、一往復ですら無理です。
ここまで六歩。もう俺の体は悲鳴を上げている。回復よりも身体の破壊のほうが圧倒的に早い。さらにはそれに伴った激痛があるのだから溜まったものじゃない。
それからは意外と早かった。望月養護教諭を安全な場所まで連れていき、俺は《完全統率世界》を解除する。もちろん、極力動きたくない俺は両腕で望月養護教諭をお姫様抱っこしたままである。
しかも、解除した場所がまた問題である。火事場を出たすぐの場所。つまるところ校庭である。衆目が存在する中で、静止したように見える世界から帰還するとどうなるか。ただでさえ目立つ姿が更に目立つ。
一斉に向けられた目に対応できるほど俺の体に余裕など無い。なにせ、体3つ分くらいの血液を流しながらここまでやってきたのだから。通常であれば――たとえ並の異常であっても――死んでしまうような血液量を流しても生きていられるのは不老不死者だからだろう。ただし、そこに意識を保っていられるとは含まれていない。
何が言いたいかというと。
「わっ! なにこれ白衣が赤衣になってるんだけれど!? って、流石にこんなに血を流したら回復が早いあなたでも――」
「無駄だよ、しずちゃん」
「そうですよ~。だってこの人、もう気絶しちゃってますし~?」
立ったまま気絶したなど生ぬるい。学校の教師陣の中で最も美しいと言われる望月養護教諭をお姫様抱っこしたまま気絶する、世にも奇妙な学生がいるという伝説が今日から延々と受け継がれたという。
もちろん、それが俺だということは、俺はずいぶんとあとに知ることになるのだが。
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・不老不死者は絶命しなければ回復に時間がかかり、絶命すると復活は傷の回復より若干早いが、恭介は通常の不老不死者と比べて回復復活が異常な程に早い。





