嵐の予感
世界津々浦々から蒐集されたありとあらゆる記載書を保管する世界の書庫《ワールド・オブ・ミュージアム》と呼ばれるいわゆる大図書館が存在する。ただし、そこに介入できる人間は非常に少なく、言質が取れた人数だけを言えば、実に七人だけである。
さらに、そこに介入する人間の特徴は単純明快で、人間でありながら人間を超越したもの。つまるところ、超越者である。
そんな人外認定を受けたような者だけが入れる場所で一人、青年と思われる人影がゆらりと蠢く。どうやら、書籍の頁をめくったようだ。
「こんなところでのんきに本なんて読んでる時間があるのか?」
決して明るいとは言えない室内で、さらに濃い影が顔を覆うため人物の特定は出来ない。しかし、声色から読書をしていたと思われる青年はそれが仮面の男《幽王》であることを悟る。
気配すら感じさせずに姿を表したことに驚きもせず、青年は声の主に向けて非常につまらなそうに言葉を返す。
「問題ないさ。なんだったらここで君にそう言われることまで計画の内なくらいだ。微塵の誤差なく計画は続いている。懸念素材だった黒崎颯人は君が仕掛けた世界の終わりに手を焼かされて戻っては来ない。目標は勝手に減弱され、新たな力を手に入れる算段は存在しない。全ては僕の手の上だよ」
「それは上々。お前の計画が瓦解するところが見られると思うとワクワクするな」
片眉を上げて、幽王が言った計画の瓦解という言葉に反論を述べようとする。
だが、すぐに冷静さを取り戻した青年はありえないほど落ち着いた様子で、ニヤつく幽王に向けてよもや肯定を差し向けた。
「僕も楽しみだ。君がそこまで過剰評価する彼が、本当に僕を退けることが出来るのか、ね」
「出来るさ。お前がこのまま天狗になっていればな。いいか、ハーク」
一息。
「お前が今から立ち向かうのは致命的なバグを生み出し続けるクソゲーだ。それは裏技も改造アプリも使わずに、己の知識と技能となけなしの強運のすべてを使って一発でクリアするようなものだ。セーブもロードもない。本物の一発勝負。すべてを計算で済ませられるほど単純なものじゃあないよ」
忠告だった。しかも、幽王自らのとてもとても珍しい注意だ。
だが。
しかし、青年――ハーク――は読んでいた本をようやく閉じると、幽王の顔を真っ直ぐに見つめたままに場が凍りつきそうになるほどの爆弾発言をすることとなる。
「計算も出来ないから、君は間違えたんだろう?」
「…………言うな、餓鬼。勇気と無謀が違うことを教え込むぞ?」
「やめておいたほうがいい。今日の君に勝ち目は皆無だ。理由は――言わなくともわかるだろう?」
まるでお前のことをすべて知っているというふうな言葉。それを受けて、幽王は言葉をつまらせる。どうやら、ハークの言っていることは本当のようだ。それが実力なのか、あるいは別の要因があるのかは現状はわかりようがない。
黒い笑みを見せるハークは顔の前で手を組んだ。
確信があるのだ。計画がすべて丸く収まると。たとえ、誤差が起きたとしても、その誤差すらも想定の範囲内であると。
なぜなら、彼の頭の中ではありとあらゆる緊急事態を想定した最悪の対処法が全て浮かんでいるのだから。
口では勝ち目がないと踏んで、幽王は早々に立ち去ろうと振り返る。おそらく、調子がどうなのかの確認も兼ねていたのだろうが、想像していたよりも生き生きとしていたためか、気圧されてしまったようだ。
しかしながら、最後に一つ思い出してもう一度訪ねた。
「今回はどんな勝ち方をするつもりなんだ?」
「表舞台に立たない君が配下の勝利法を事前に知るべきじゃないだろう。それに急がずともすぐに結果は出るさ」
それはもうすぐ目標とやらに相対するという合図である。あるいは世界の終わりを再現するという宣誓でもあろう。
幽王を格下のごとく扱うようなハークの態度に肩をすくめた幽王は、ため息混じりに大図書館を今度こそ後にしようとする。その後姿を横目に、ハークは今更に気がついたと、聞こえるか聞こえないか微妙な声量でつぶやく。
「その呼び名は好かない。せめて呼ぶならアジ・ダ・ハークと呼んでほしいな」
「その長鼻がへし折れたら考えてやってもいいさ。ま、せいぜい頑張れよ、魔女の右腕くん」
だから、その呼び方が好かないんだ。
そう舌打ちを交えて再びつぶやくが、その声はすでに居なくなっていた幽王には届いてはいない。
再び静寂を取り戻した大図書館で、アジ・ダ・ハークは閉じていた本をもう一度開く。
その表紙には黒い文字でこう書かれていた。
――――不死殺しについての考察
カイン
と。
topic
・クロエ、クロミ、イヴ、および奈留の失踪により恭介の武力は激減した。





