事態は右往左往
朝からとんでもない事件に苛まれながらも、風呂で全てを洗い流してリビングへと向かう。
いつもならちょうど朝食が出来上がっている時間である。しかし、今日に限ってはそうはなっていなかった。リビングでは、麻里奈ともうひとり、よく知っている人物が席に着いていた。
「えっと……神埼紅覇さん、でしたよね?」
「よいよい。かしこまられるほどの人間ではないよ」
一体どの口が言うのだろう。
リビングにいたのは、麻里奈の祖母であり、日本最強の人間、神埼紅覇その人であった。
神埼紅覇は先日のカオスとの戦いには赴いていたものの、人外の戦いであったためか戦闘には参加していなかった。それゆえ、どれほどの強さを持っているのかは未だわからないが、日本の王を任されていた御仁だ。それ相応の力を持っていて然るべきだろう。加えて言うなら、御年で百歳を超えるという、人類を超えた人間である。
そんな人が朝から一体何の用だろう。
あまり会わない人だからついつい身構えてしまうが、それも込みで神埼紅覇は語り始めた。
「別れの挨拶と、愛らしい孫娘の顔を拝みに来ただけだよ」
「…………別れの挨拶?」
まるでそれは、これ以降会うことはないような言い方だ。
しかも、その目には薄っすらと影が落ちているようにも見える。
何を言い出すのかと不思議に思っていたが、神埼紅覇との会話の間で突如として炎が立ち上がる。そうして、そこに現れたのは《緋炎の魔女》こと日巫女だった。
「待たせたのぅ、紅覇」
「いえ、私も今到着した次第ですよ、ご当代」
「その呼び名は好かん。ひーちゃんと呼ぶが良い」
「再三申し上げていますが、私にそのような資格はありませんよ、ご当代」
「ふぅむ……」
なんだろう、この状況。
俺の家には今、美しい幼馴染と、その祖母と、可愛らしい幼女がいるわけだが。どうにも空気がピリッとしている。気のせいであってほしいところだが、もしかしなくても喧嘩にはなりませんよね?
俺の予想はどんどん悪い方へとシフト変更するわけなのだが、どうやらその心配はなさそうだ。
かしこまったままの神埼紅覇が現れたばかりの日巫女に顔を上げて申し出る。
「御身の治めるこの日本。それを預かった身で、今回のような事件を起こしてしまい申し訳ありません。つきましては、その罪をこの身を持って断罪したく存じ上げます」
「…………ふぅむ? では、主は此度の一件を全て自分の命で購おうと言うのだな?」
「はい」
聞き捨てならない。いや、衝撃すぎてそもそも理解に苦しむのだが、もしかしてカオスの一件のことを話しているのだろうか。
確かに、カオスとの一件は下手をしたら日本、及び地球が無くなっていただろう。しかし、それは決して神埼紅覇のせいなどではなく、まして誰のせいというわけでもない。だから、そんな責任は負わなくてもいいはずなのだ。
でも、それが上に立つものの義務であると言わんばかりに神埼紅覇の目は真剣であった。
それについてなにか思うところがないのかと、麻里奈を見てみるが、どうやら麻里奈もそのことに関しては知っているようで、なおかつ全てを知った上で了承しているようだ。
俺はそういう世界には疎い。でも、これが正しいのかどうかなんて火を見るよりも明らかだ。
口を出せた立場ではないとわかっていても、俺は声を上げる。
「ま、待てよ。そりゃあ、なんつうか、やりすぎなんじゃないか?」
「貴殿は黙っていろ。これは神埼家……この国を任された我々の問題だ。口出しは無用だよ」
「いいや、それでも俺は言わせてもらう。なんだったら、ここは俺の家だしな。家主の言葉はちゃんと聞いてもらうぞ?」
そう、お忘れかもしれないがここは俺の家だ。なら、俺の言葉にだって権力はある。それが嫌なら他所でやってくれって話だ。
ともかく、俺の目の前で誰かが死ぬことだけは許さない。特に、俺の知り合いの命だけは奪わせたりはしない。強い意志で神埼紅覇と日巫女に呼びかける。すると、日巫女が薄く笑うのだ。
「何を早とちりしているかわからぬが、別に妾は紅覇の命など取りはしないよ」
「なっ……そ、それでは示しが――」
「知らぬわ阿呆。ここは妾の国で、君は大和の人間。であれば、死ぬことなど許せるはずもなし。妾の目が黒いうちは寿命以外でその生命を散らすことは許さぬとしれ。それに、君はそれ以上の罰を与えなければなるまいよ」
などと恐ろしいことを申し上げているわけですが、死ぬよりも恐ろしいとはそれ如何に。
本物の地獄を見せてやろうとか、ラスボスみたいなセリフにしか聞こえないが、不老不死の《緋炎の魔女》が言うと凄みがすごい。
ともあれ、命を取るよりひどい罰とは一体なんだろう。一同が固唾を飲む中、日巫女が妖艶な笑みで事を下す。
「ほれ」
気の抜けるような言葉と共に、神埼紅覇に妙な液体がかけられる。ぎょっとした神埼紅覇だが、次の瞬間にはとんでもない悲鳴を上げて体をかきむしる。
やりやがった……!!
そう思って、苦しむ神埼紅覇の下へと駆け寄るが、そこには俺の知る神埼紅覇はいなかった。抱き上げた神埼紅覇と思しき体は、先程までの老体とは代わり、とんでもなく若い。見た目からして中学生ほどの肉体だ。しかし、その顔には神埼紅覇の面影が残る。
まさか……、まさかこれはっ!!
「か、神埼紅覇……なのか?」
「な、何を言っているんだ貴殿は……? 全く、体に激痛が走ったかと思えば、今度は貴殿に私が誰かと問われるとは……」
「い、いや、そうじゃなくて……」
本人には本人の変わりようがわからないようだ。なので、手短に理解させるため、テーブルの上においてあった手鏡を取って神埼紅覇に向ける。
すると、一瞬誰だこいつはという顔になって、神埼紅覇は自分の顔を触り始める。そうして思い出したのだ。昔の自分の顔を。
驚きで何も言えないような神埼紅覇に代わり、俺が日巫女に尋ねる。
「一体、どういうことだ……?」
「どうもこうもなかろうて。紅覇は実に八十……いや、九十年か。ともかく、人の身に余るほどの忠義を尽くしてくれた。そやつに死を与えるなど言語道断。妾に言わせれば、くそったれじゃ。それに、妾が大和の民を殺すはずがなかろうて」
確かに、その言葉自体は合っている。というよりも普通の人間のそれに近い。けれど、それを神埼紅覇が認められるはずもない。いや、というよりもここまで命を張った意味がなくなる。
他の言葉が必要だ。大和の民だからという言葉以外に、決定的な言葉が。
そして、それを深く理解している日巫女は、苦笑しつつ言うのだ。
「妾なんぞにそこまで忠義を尽くしてくれた君に礼をするならばまだしも、妾の命で殺すなど出来ぬよ。だからまあ、あれじゃ。これまでの人生で出来なかったことをするが良い。神埼という名を忘れ、妾と共に来い、紅覇」
「そ、それは……わ、私は――」
「ここまで言ってもわからぬか戯け。君を妾の側近にしてやろうというのじゃ。自由に生きる妾の下で、存分に生きよ。それが君に与える罰じゃよ」
その後、神埼紅覇は何も言わず、ただ目から涙を流しつつ土下座をし続けた。いや、拝礼というべきか。それにしても、日巫女は俺の知ってる不老不死の中では一番マトモかもしれない。
まあ、俺の知ってる不老不死なんてたかが知れているんだけどな。
とにかく、一件落着だ。これにてみんな解散ということで、俺たちは朝飯にしてもいいですか?
感動的な朝を迎え、そろそろ目的の朝飯を食らいたいところだったが、事態は思わぬほうへと向かっていくみたいだ。それはじっとりと、確実に危険な方に。
「よし、それじゃあ始めようかの」
「……はい?」
「君たちの結婚式じゃよ。日の本を上げて祝わねばな」
「…………はい!?」
俺、いつ結婚することになってますのん!?
topic
・神崎紅覇は国を危険に晒した代償として王座を退いた。
・紅覇は罪の断罪として若返らせられ、強制的に世界3000周旅行の刑に課せられて、今までの労いを兼ねて緋炎の魔女に連れて行かれることになる。
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