英雄無き凱旋
一部地域が中心となり、SNSで大流行した《太陽の落下》という映像が過去の話となるのに一ヶ月を要した。研究者が昼の番組で真実となんら関係のない仮設をいくつも立ち上げている頃。何事もなかったかのように麻里奈を含め、縛神市の高校では3年生が無事に卒業していった。
ただ、一部の真実を知る者たちには不安要素が多分に残る結果となり、何より勝者たる御門恭介が眠りについてからすでに一ヶ月が経過していたのだ。
その道に詳しい医者の考えでは、身体事態に以上は見当たらない以上、精神面でのダメージが大きかったのではないかとのことで、いまいち手出しできない状態となったことに一同は歯がゆい思いを味わうこととなる。
そんな、卒業を終えて一ヶ月後。大学進学を先送りにした麻里奈はボストンバッグを持って恭介の部屋へとやってきていた。
「……おはよ」
未だ目を覚まさない恭介にそう声をかける麻里奈は荷物を置くなり恭介の頬を撫でる。身動き一つしない恭介の体には点滴の管が繋がれ、明らかに細くなった全身が目に痛い。一ヶ月で変貌しすぎてしまった恭介を心配する麻里奈は、日課となった恭介の腕や足を揉む作業へと入る。
意識不明で眠り続ける人となった体は筋肉が硬直するため、放置すれば目覚めた時に体が動かせなくなってしまう。それを回避するために麻里奈は毎日二度に渡り筋肉を解す作業を行っている。
半分まで揉みほぐし終わったところですでに額には疲労の汗がにじむ。
実は卒業と同時に神埼家の当主となった麻里奈が恭介の介護をすることに家族全体から反対の嵐が巻き起こっている。しかし、その反対の声を恭介を家族に招き入れるという宣言一つで黙らせた。
加えて、今回の恭介の功績を讃えると同時に日本の守護者として祭り上げるため、神埼家は日本の王としての権利を捨て、その全ての権限を恭介に移譲しようという話まで出てきている。
その裏では颯人、神埼紅覇の働きがけがあるが、すべての決定権を持っている麻里奈によって最終的に決められることとなる。だが、当の本人が目を覚ましてくれなければその話自体が無くなってしまう。
ともかく、理由は様々だが、恭介に目覚めてほしい麻里奈は一ヶ月もの間、ずっと介護を続けていた。
「ふぅ。朝のマッサージはおしまいっと」
右手で汗を拭うと、今度はぬるま湯で濡らしたタオルを取り出し、恭介の体を拭いていく。それらが終わって初めて麻里奈は一息入れることができる。
普段なら恭介がいいタイミングでコーヒーの一杯でも淹れてくれるのだが、あいにくと恭介は眠っている。そのため、麻里奈は自分でコーヒーの豆を砕き、お湯を沸かし、抽出をし始める。そうして淹れたてのコーヒーを片手に、リビングのソファに座ってテレビを眺めていると、珍しいお客が現れた。
「……颯人くん」
「あいつは?」
返事もせず、颯人はぶっきらぼうに聞く。
静かに首を横に振ると、ガシガシと頭を描いてバツが悪そうに手に持っていたものを渡してきた。
「土産だ。もしかしたら起きてるかもと思ったが、寝てるなら食っちまってくれ」
「ケーキ? ……なんだか珍しいね」
「うるせぇ…………すまねぇな」
「なにが?」
「結局、俺は俺の力で世界を守れなかった。俺に力があれば、少なくともあいつは眠りにつくことは無かったはずだ。全部あいつに背負わせちまった」
そう悲観する颯人に、麻里奈はもう一度首を振って否定する。
「大丈夫。きょーちゃんはそういう人だから」
眼の前で苦しんでいる人を放って置けない。身の丈に合わないことだとしても、無理だとわかっていても、きっと正しくないと理解していても、理不尽に涙する人を救い上げようとしてしまう。バカだけど、憎めない幼馴染なのだ。
だから、颯人の言葉は間違っている。きっと、いや絶対に恭介もそう言うはずだ。だから、麻里奈は言うのだ。
「バカでしょ。私が好きになった人は」
苦笑にも似た笑顔をみせて、せめて自分だけは恭介の行動が、颯人の行動が正しかったのだと言ってみせる。たとえ、それで二度と好きな人が目覚めてくれなかったとしても、あの戦いは絶対に間違いだったなどとは言わせない。そういう意味を込めて。
込められた思いに負けたように、颯人は話題を変える。この場にいない人間を引き合いにして。
「魔女は?」
「クロエちゃんね。あの日から返ってきてないよ。奈留ちゃんとイヴちゃんも」
クロエ及びクロミに加え、イヴと奈留までもがカオスと戦ったあの日から姿をくらましている。恭介のこともあって総動員で探すことは出来なかったとは言え、すでに一ヶ月もの間家に帰ってきた形跡がないというのは心配になる。
「何を企んでるんだろうな」
「血なまこになって探さないんだね?」
「アイツの責任は布団で寝てやがる天災が取るんだろ? だったら、俺が忙しく探す必要なんてないだろ」
颯人は颯人なりに恭介を信頼しているようだ。というよりも、クロエが悪人でないと理解しているようにも思える。深く聞けば否定されるので、それ以上言及はしないようにしたが、颯人が最後に一つだけ不可解な事を口走った。
「危ねぇことに首を突っ込んでなきゃいいけどな」
「……え?」
か細すぎるつぶやきは、麻里奈には聞き取れなかったが、読唇術で辛うじて読み取れた言葉に、麻里奈は目を丸くした。
クロエを殺そうとしていた颯人がクロエにそんな感情を抱くなんて考えられなかったのだ。
しかし、少し考えれば麻里奈にも理解できた。理解できて、落胆した。
颯人は最初からクロエを苦しめるつもりなど微塵も無かったのだ。ただ、救う手段が殺す以外に無かっただけで。
そもそも、終わった世界を繰り返している颯人なら、クロエを知らないはずがない。むしろ何度と無く出会っているはずだ。さらに、何度と無く世界を破壊されているはずだ。そして、クロエが優しい女の子だと知っているはずなのだ。
颯人には制御できないクロエの能力を完全に封じる手段が無かった。長引かせれば、クロエは自分を恨んで心を殺しただろう。だから、クロエが自分を憎まないように、自分を苦しめた颯人を憎みながら死んでいったほうが幾分マシだと颯人なら考えるに違いない。
なんと不器用なことか。
そして。
なんて優しいことだろうか。
追求はしない。この考えに間違いがあるかもしれないが、聞いたところで本当のことは言うまい。ならば、この結論は心の中にしまっておこう。
やがて、話が途切れた頃。颯人が時間だと言って立ち上がる。
「どこか行くの?」
「俺はどうやら、世界を救わなきゃいけないようだからな。それに世界各地で異変が多発してるんだ」
「もう戻ってこないの?」
「バカ言え。ここは俺の故郷だ。それに俺の義妹がここに来るしな。問題を解決したら戻ってくるつもりだ。その頃には天災も起きてるだろうしな」
言うなり、挨拶もなしに家から出ていってしまう。礼儀知らずだとも思ったが、別れの挨拶は颯人にとっては酷なことなのだろう。
そうして、静かな時間が戻ってくる。冷めているコーヒーを一口飲んで、夜ご飯の買い物でも行こうかと立ち上がると、視線の先に違和感を感じて凝視する。
その正体が何なのかを理解すると、麻里奈の体が駆け出した。
そこには、英雄の姿があったのだ。
「あー……麻里奈? 腹……減……った」
ただし、英雄にしてはとてもじゃないが締りは悪かったが。





