太陽が落ちる前に
あの黒い太陽の正体を知っているというタナトスの表情はとてもじゃないが善神のそれではなかった。どちらかと言えば悪心のそれで、今にも世界の半分をやるから俺の側に着けとか言いそうである。
しかし、善神ではないとしても、悪心でもないと知っている俺は、タナトスのその表情の意味をよく知っていた。人をおちょくるようで用心深く見つめている。人を陥れそうで救いの手を差し伸べている。きっと、タナトス自身、自分がどういう思いでそうしているのかわかっていないのだろう。
言うなれば、タナトスは自分を偽って俺たちにヒントを与えようとしているのである。けれど、それもまた違うのだと少し先の俺が結論付けることになる。
「知ってるって……あの黒い太陽をか?」
「もちろん。それ以外はよく知らないな。ともあれ、あれの正体が知りたいなら僕はそれに見合う回答を持ち合わせているよ。ただ、用心したほうが良い」
「……それはなんでだ?」
「なぜ……って。あれには絶対に勝てないからさ。人類がどう足掻いたところで、勝てるはずがないんだよ」
「どうしてそう言い切れる」
やつの正体をしているからこそ、そう言い切れるのかもしれない。だが、そんな事はありえない。ありえてはいけない。あれが終末だというのなら、勝ち目がないなどありえないのだ。なぜなら、誰も踏破できなかった終末を超えてきた者がこの場にいるのだから。
確かに、あの黒い太陽はそいつですらクリア出来なかった難題かもしれない。ともすれば、今日この瞬間に超えられる壁じゃないかもしれない。それでもやつの名前さえ分かれば、突破口は絶対にあるはずなんだ。無限とも言える終わりを見てきた颯人がいるのなら、知識で勝っているはずだから。
けれど、それは次元の違う話だったのだ。
「だって、あれは僕のおじいちゃんだ。真名はカオス。《星喰い》と呼ばれた原初の神の一体にして、意思を持たぬ理を司る存在。だから、理の中に居続ける人間には殺せないし、阻めない。無論、君に星を穿つだけの行いが出来るなら話は別だけれどね」
つまり……つまりはこうか? やつはタナトスの肉親で、神様の一人なのに理だと? しかも、理の中にいる俺たちじゃやつは倒せないと? やつを倒すことは、不可能だと? 止めるには星を砕けないといけないだと?
――――ふざけるなっ!!
はいそうですかって言えるはずがないだろ!? 俺たちは今、世界が終わるかどうかの瀬戸際なんだぞ! あれをどうにかできるのは俺たちだけだ。俺たちがなんとかしなくちゃ世界は忽ち消えてなくなってしまう。
そんなことが許されるはずがないだろ!! なあ、おい!
必死に考える。《星喰い》を消し去る方法を。この場を丸く収めるいい方法を。あるいは、明日を迎える方法を。
やつに意志はない。きっと、このまま肥大していって星を喰っていくだけなのだろう。交渉は無駄。願いは無碍に。叫びは虚しくなるだけだ。
ではどうする。天に叫ぶのは無力だ。かといってやつを一撃で屠れる火力を持つ者はいない。神を屠る一撃を持つ麻里奈でも、あの規模の神を相手に一撃で仕留めろなど言えるはずはない。ではどうする!! どうしようっていうのさ!!
白熱する脳内の思考のぶつかり合いは終りが見えない。答えを得るにはなにかが足りない。そう叫びだそうかとしたその時だ。正しくそのヒントは掲示された。
「おじいちゃんは掃除機のようなものでね。あらゆるエネルギーを吸い上げる。そして、吸い上げるのには限界がある」
「…………………………………じゃあ、その限界までエネルギーを吸わせたら?」
「間違いなくおじいちゃんは止まるだろう。でもできるのかい? おじいちゃんを止めるには太陽の激突と同等の威力が必要だよ?」
いつになく真面目なタナトスの目に、驚きがなかったと言えば嘘になる。まるで見定めているようで、次の俺の言葉に注目しているかのようだ。
わかってる。これは自意識だ。過剰なまでの思い上がりだ。タナトスは俺にあれがどうにか出来るなど考えてないだろう。もちろん、この場にいる誰もがそう思っている。世界の終わりを超えてきた颯人でさえどうにも出来ない現状を、ただの高校生だったやつが超えられる訳がない。
でも、俺は約束しちまったんだ。決めてしまったんだ。世界を守ると。麻里奈とクロエとクロミと、イヴ、奈留、カンナカムイ、タナトス、颯人、由美さん。あまりにも大切な存在になりすぎてしまったみんなを守ってみせると。
だから、やるしかないんだ。誰も出来ないことをするしかない。
俺は息を吐き捨てると、確認するようにタナトスに再度聞き直す。
「太陽が落とせれば、それで止まるんだな?」
「…………………………………もちろん。でも、正気かい?」
「正気だったら今この場で悩んでなんかいないさ。きっと、他の奴らと一緒に気絶なり悶絶してるだろうさ」
「だからって、一体どうするつもりだい? 君に太陽の衝撃と同等の力なんてないはずだ。黒崎颯人の《銀の右腕》を有に超える威力の攻撃は――」
どうやら、珍しいことにタナトスが驚いているようだ。いや、これは焦っているというべきか。一体何に喚いているのかはわからない。そもそも、タナトスの考えていることなんて考えたところでわかるはずがない。だってこいつは、俺なんていう普通のやつを異常にしようとするおかしいやつなのだから。
確かに俺には颯人の最大威力を超える攻撃方法はない。持っていたら、颯人にボコボコにされることなど無かった。颯人に苦戦する俺に、颯人を超える攻撃はできない。そう。俺には。
だから。
俺は空を指さして枯れた笑みを浮かべる。
「太陽をぶつければ良いんだろ?」
「「「!!!!????」」」
驚愕で場の全員が息を呑む。
俺が言ったのは世界に、太陽系に一つしかない太陽をぶつければいいということだった。タナトスは言った。太陽の衝撃と同等の威力が必要だと。
一言も太陽の衝撃以外ではダメなど言ってはいない。そして、それほどの威力を持つ人間はこの場にはいない。ならば、もう大本をぶつけるしかないだろう。
俺とタナトスの頭の悪い会話に割り込むように颯人が叫ぶ。
「馬鹿かテメェ!! 確かに太陽の衝撃と同じ威力ならいいってのは、太陽をぶつければいいってことになる。だけどな! それは太陽が黒い太陽――カオスに飲み込まれるってことだぞ!? そうすればどうなるか、バカな天災でもわからないわけじゃないだろ!?」
「ああ。きっと、太陽はなくなるだろうな」
あっけらかんと言ってみせた俺に、颯人はクラっと足元をよろめかすと、頭に来たようにさらなる怒号で叫び散らすのだ。
「太陽がなくなったらどうなる!? 光は消え、温もりは失われ、氷河が地表を覆うんだぞ!? そんな世界で人が生きていけると思えるのか!?」
「あー…………、それは無理そうだなぁ」
「じゃあ!」
「でもさ、もうそれしかないだろ? それに俺は何も本物の太陽をぶつけるなんて一言も言ってない」
開いた口が閉じないとはきっとこのことだろう。颯人は目を丸くして口を開けたまま惚けた顔になる。
まあ、普通のやつならこうなるに違いない。俺には太陽と同等の威力の攻撃はできない。というか、この場にいる全員がそうだ。だのに、俺は今、本物の太陽以外のものをぶつけると言った。根本的におかしいのだ。ないものをどうぶつけるというのだ。
その答えは、いつかタナトスが言ったことによる。
「タナトス。教えてくれ。ニュクスの眠りが浅いっていう意味を」





