とても優しい正義
《幽王》は言う。世界を終わらせに来た、と。
颯人は言う。世界は終わらせない、と。
――では、俺は……、俺はなぜ今、ここに立っていた……?
これを引き起こしたと思われる登場の仕方にはラスボス感を醸すには十分だろう。表情は見えないが、あの中二鉄仮面野郎の仮面の下は、満足げな笑みを浮かべているに違いない。仲間でもないのに恥ずかしくなってしまう。
そんな黒歴史製造マシンのような《幽王》は両手を広げて語る。
「そう固くなるな。今日も今日で、別に俺からお前たちに手を出したりはしないさ」
では何が目的で現れたのか。当然、俺達に宣言するためだろう。
そう。どうあれ《幽王》は世界を終わらせようとするやつで、俺たちはやつらの敵なのだ。そこだけは変わらない。しかし、《幽王》の背で燃ゆる黒い太陽がやつらが発生させたものだとすれば、その戦力は俺達の遥か上であるのは間違いない。なぜならあれは、何度も繰り返している颯人ですら攻略不能な終わりなのだから。
ならば如何とする。諦めるなど愚の骨頂と笑われるだろう。なにせ、攻略不能を証明した颯人が今、俺の横で焦りの顔で微かにニヤついている。策は無くとも立ち向かうのだ。勝率が低くとも、敗北濃厚の試合でも。きっとどのような状況でも颯人は自分が正しいと思った行動を取る。全ては嫁さんを救い出すという究極の正義を成すために。
未だに俺が戦う理由は曖昧だ。仲間を守りたい。生きていたい。やつの言った言葉を否定させたい。戦わないことを言い訳で済ませたくない。プライドなのか、あるいは第三者の策略か。俺は一体、誰の意志でここにいて、誰の思いで戦おうとするのか。
ふいに、《幽王》が語りかける。相手は、俺だった。
「お前はどうしてここにいる?」
「…………なに?」
「いや、来ることはわかってた。お前なら絶対にそういう行動を取るって知っていた。そして、お前が今、ここに立つ理由に悩んでいることも」
「…………………」
なぜわかるのかはわからない。どうして内心を読み取られたのか。
麻里奈によく、感情が顔に出ると言われるが、どうも俺がエロい顔をしていたという意味では無かったらしい。
心の隅で安堵しつつ、問題の《幽王》の仮面を見つめたまま言葉に詰まる。答えられるわけがない。だって俺は、その回答を持ち合わせていないのだから。
答えを期待していたわけではなさそうな《幽王》は言葉を続ける。
「確固たる意志がないお前に、一体何が救える? 幼馴染を悪しき神から救い上げたか? 己の力に苦しむ幼女を救ってみせたか? 前に進むことを拒んだ不死者に可能性を与えたか? くだらない。全くくだらないぞ、御門恭介」
どうして俺のことをそんなに知っているのか……、ストーカー?
身を震わせる悪寒がしたが、ふざけているわけにもいかない。《幽王》の言葉は続く。
「お前はただ問題を先延ばしにしただけだ。
知っているか。救い上げたと思っている幼馴染が、一族で疎まれていた事実を。力不足を補うために今でもなお厳しい修行に明け暮れている真実を。
知っているか。救ってみせたと思っている幼女が、屠った命の怨念の夢を見ることを。屠られた命の怨念が分離された幼女の力の権化に向くという最悪を。
知っているか。可能性を与えた不死者が、再びいつ終わるともしれない地獄へ赴こうとしているというのを。大切な人を失い続ける苦しみを。
お前は助けたと思っているのかもしれないが、俺から言わせればお前は悪魔だよ。人を苦しませるだけの災厄だ。
もう一度問おう。周りの優しさに気が付けないヒーロー気取りが、こんな場所に何のようだ?」
かつて感じたことのない圧力だ。怒り……いや怨念のような感覚さえ思わせる。《幽王》は何故か俺のことを嫌っているみたいだ。理由に宛などない。そもそも、俺はこいつが誰なのかを知らない。忘れているわけではなく、本当に知らないのだ。
俺の知り合いに、鉄仮面をつけるような趣味のやつはいないからな!
けれど、言われて初めて知った。麻里奈の苦しみを。クロエの恐怖を。颯人の現実を。全てやつの言うとおりなら、確かに俺は誰も救えてなどいない。むしろ――。
「しっかりして、きょーちゃん」
《幽王》と睨み合ったままだった俺を力で無理矢理振り向かせた麻里奈。俺の目に麻里奈の顔が大きく映る。呆然とする俺に、麻里奈は今にも泣きそうな顔で言うのだ。
「大丈夫だから。きょーちゃんは何も間違えてなんていないよ。だから、大丈夫」
「で……でも……」
「確かに、あの人が言う通りなのかもしれない。
私も、クロエちゃんも、クロミちゃんも。きっと颯人くんも。これから苦しむのかもしれない。今も苦しんでいるのかもしれない。
私達がそれをバレないように隠すことは優しさかもしれない。でも、きょーちゃん。そうだとしても間違ってなんていないよ……」
絞り出すような声は、《幽王》の言葉を真実にしたくないという意志が感じられる。どうして麻里奈がそこまで必死なのかはわからない。けれど、俺の肩を掴んで振る麻里奈は、俺を奮い立たせようとしている。
そこで俺は気づいた。
もしも、ここでやつの言葉を真実にしてしまえば、俺が行ってきたことが正義などではなく、他人を苦しめることであったとしてしまえば、麻里奈たちの立場はどうなる?
麻里奈は変わろうとして努力をしていた。クロエはこれまでの贖罪を。俺が頷けば、それら全てを無碍にするんじゃないか? 意味のない行為だったと嘲笑ってしまうのではないだろうか。
それは…………ダメだろ。やつの言う通りなら、俺は……せめて俺だけは、胸を張って正しかったと言わなくちゃいけないだろ。すべて俺のせいなら、その責任はきっと、肯定し続けること以外には取れないんだから。
なおも肩を揺らす手に力が込められている。涙を流す麻里奈の視線は落とされて表情が見えない。しかし、吐き出された力強い言葉だけは良くも悪くも俺の心を震わせる。
「間違いなんかじゃない……、だってそれは…………誰かを救いたいっていう想いで……、それを間違いだなんて言わせない。人が人を助けたいっていうとても優しい正義を、間違いなんて言わせちゃいけないよ!!」
顔を上げた麻里奈の顔はとても見られたものではない。だが、顔をそむけず、俺はそっと麻里奈を抱き寄せる。嗚咽を上げながら泣きじゃくる麻里奈を感じつつ、決心した俺は《幽王》をもう一度見る。
何一つとして変わってなどいなかった。俺は最初から、身勝手な想いでみんなを守ろうとした。そこには大人の事情とか、命の心配とか、そんなことは関係なかったんだ。俺はただ、目の前の人を、手が届く先で苦しむ人を放っておけなかったんだ。善悪の問題じゃない。俺の憧れた正義がただ、それだっただけだ。
だからもう驕ったりしない。誰かの言葉で揺らいだりなどしない。だってこれは、この思いはもう俺一人の答えではないのだから。
《幽王》の表情は依然として伺えないが、どうも笑ったように思える。しかも、嘲笑うような嫌なものではなく、なんというか、清々しいようなもののようだ。
「いい面構えだ。迷いを断ち切ったか。だが、お前の考えは変わらないんだな。そうやっていつも、誰かの優しさに甘えてテメェの正しさを突っ走る。それを間違いだとも気が付かずに」
「テメェは一体誰なんだ。どうしてこんなことを――」
「世界に選ばれていない君が知るべきじゃないだろう」
俺の質問に答えたのは《幽王》ではなく、その横で燕尾服を身に着けた眼鏡の青年だった。その顔がどこかで見たことが会った気がしたが、どうも思い出せない。とても重要な場所……身近な場所で会ったはずなのだが。
ともかく、それを最後に俺は話す機会を失う。まるで見定めたというように、《幽王》が結論を語りだす。
「今日は顔合わせを兼ねたお披露目だ。言ったろ? 俺からお前たちに手は出さないってさ。それに、あの黒い太陽を踏破できなきゃ、二度と会うことはないんだしな」
「クソッ!! 待ちやがれ!」
「黒崎颯人。お前との交渉はもうない。延々と続く地獄を見続けろ。では諸君。太陽が落ちる前に、俺たちは姿を隠そう。出来るなら、二度と会うことの無いよう、良き終末を――」
力を開放しようとした颯人より速く、奴らは空間に突如としてできた亀裂に消えていく。
残されたのは俺たちと、空に浮かぶ黒い太陽。終末は、刻一刻とその足を進めていた。





